人類学と骨 日本人ルーツ探しの学説史 2023/12/25楊 海英 (著)岩波書店 ニューヨークのアメリカ自然史博物館、セオドア・ルーズベルト大統領の銅像撤去(2022年夏)に思うこと…

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植民地支配の拡大に連動して発展した日本の人類学は、日本人の原郷を求めて北海道、琉球から樺太、台湾、満蒙、そして西域で大量の人骨を収集した。デジタル技術によるゲノム解析が考古学などの定説を書き換え、民俗や先住性をめぐる問いを引き起こしている現在、その知られざる歴史を追い、研究と倫理の新たな課題を問う。

著者について
楊 海 英(Yang Haiying)
静岡大学人文社会科学部教授.南モンゴルのオルドス生.北京第二外国語学院大学日本語学科卒業.89年3月来日.国立民族学博物館・総合研究大学院大学博士課程修了.博士(文学).
『墓標なき草原――内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(2010年度司馬遼太郎賞受賞)『中国とモンゴルのはざまで――ウラーンフーの実らなかった民族自決の夢』(以上,岩波書店)『日本陸軍とモンゴル――興安軍官学校の知られざる戦い』(中公新書)『逆転の大中国史――ユーラシアの視点から』(文春文庫)『羊と長城――草原と大地の〈百年〉民族誌』(風響社)他著書多数.

 

この本は、概ねつまらなかったので(知ってることばかりだった)書くのは止そうと当初は思った。

だが、おしまいまで読んでアメリカにおけるセオドア・ルーズベルト大統領の銅像撤去(2022年夏)に思うところがあったので書き残すことにした。

これは著者が実際にアメリカのニューヨークのアメリカ自然史博物館に行って、門前にあるセオドア・ルーズベルト大統領の銅像撤去をみて書いた物だけに説得力がある。なんでも、ルーズベルトが馬に乗っていて、従者が黒人とアメリカインディアンだったのがヤバかったらしい。

俺の感想は著者と同じ、そんなことどうでもいいだ。

 

もう一点、チンギス・ハーンの墓探しに関するモンゴル系中国人の異議申し立てが面白かった。

これは無視できない。

古田武彦は何もかもその「九州王朝論」をはじめ、今でも尊敬しているが、彼の行動すべてを称賛しているわけではない。

広開土王碑の碑文にまつわる在日朝鮮人の無茶苦茶な抗議に対してキチンと反論したところは今でも、いや今こそ日本のために良かったと思っているが、

 

古田武彦について賛成できない点は、唯一、天皇陵(古墳)墓暴きに加担していたところ。

 

天皇陵の真相―永遠の時間のなかで 住井 すゑ/古田 武彦/山田 宗睦【共著】三一書房(1994/07発売)


天皇陵を発掘せよ―大古墳の研究はなぜ必要か 石部 正志/藤田 友治/古田 武彦【編著】三一書房(1993/02発売)

三・一運動(さん・いちうんどう、サミルうんどう、朝: 삼일운동)は、1919年(大正8年)3月1日に日本統治時代の朝鮮で発生した大日本帝国からの独立運動。

に因んで名付けられたという発祥からしてそもそも不逞の出版社、ろくでもない三一書房から出された2冊の本がヤバい。

こういう下らない申し出を宮内庁がもしも受けていたら、と今考えればゾッとする。

腐りきっている日本の考古学のガクシャども(その証拠に、日本考古学界の恥、邪馬台国畿内説が優勢を占める!)が出てきた考古物に対してまともな判断を下せるとはとてもじゃないが思えないからだ。

 

話しをセオドア・ルーズベルト大統領の銅像撤去問題に戻す。

【韓国】セオドア・ルーズベルト「私は日本が韓国を手に入れるのを見たい」

「私たちは米国を兄のような存在と考えています」。

高宗(コジョン)が1897年に韓国公使に赴任した米国人アレンと面会しながら述べた言葉だ。

高宗はアレンを通して米国の支援を切実に訴えた。米国公使館で保護してほしいと2度も頼んだ。

2度とも拒否された。米国の考えは違った。

 

「私は日本が韓国を手に入れるのを見たい」。セオドア・ルーズベルトが副大統領候補時代に友人に送った手紙の一部だ。
ルーズベルトの日本愛はさらに深まる。

「東洋の発展は日本の使命だ。 日本の勝利は世界の幸福だ」。日露戦争の直前に述べた言葉だ。

ルーズベルトは白人優越主義者だ。唯一の例外が日本だった。有色人種のうち日本人だけがアングロサクソンと同じ文明人だと見なした。

もちろん米国外交の第一の尺度は自国の利益だ。国際政治で強大国が考慮しなければならない独立変数は強大国だけだ。 @@@@@@@@@@@@@

米国は日本を後援することでロシアと中国を牽制しようとした。

日本が韓半島を植民地化することを黙認する代わりに、米国は自国の植民地(フィリピン)に対する日本の放棄覚書を受けようとした。

1905年に米日間で締結された桂・タフト協定がその結実だ。密約で韓半島の植民地化は事実上完結した。

米国のセオドア・ルーズベルト大統領1910年8月22日、 日韓併合条約調印に際しての演説

「日本による野蛮国朝鮮の解放は人類にとって幸福になるばかりか、
それはWhite burdenならぬYellow burdenを担う日本の明らかな運命・Minifest DeStinyではないのか、
ましてこれに対する一撃すら与えることのできない無能で野蛮な民族、
集まれば争い分裂することを事にしている朝鮮人、
かりに統一国家が形成できたにせよ、朝鮮がアジアにおいて何の脅威にもならない」

 

米国はフィリピンを占領し支配することを日本が認める代わりに、
日本が朝鮮を支配することを米国が認め、
1905年7月、桂太郎首相―タフト国務長官による協定が結ばれたのである。

 

ルーズベルト大統領は日露戦争開戦当初は、ロシア帝国を満洲から駆逐するために、日本に好意的な中立を外交方針としたが、日本が勝利してみると、直ちにフィリピンが脅威を受けることに気づいた。

そこでロシアを満洲から駆逐する代わりに日露両国の勢力均衡を図り、それによって日本の膨張を抑え、戦争を終結させた上でロシアに有利な平和条約を締結させようと努めた。

日露戦争の日本勝利を受け、ルーズベルト大統領はアジア情勢視察のため1905年6月末に30人の国会議員と実娘を含む一大派遣団を日本に送った。

ポーツマス条約の斡旋に乗り出したのはハーバード大学の同窓生で、面識のあった金子堅太郎(1878年卒業)の働きもあったと言われる。

このころのルーズベルトは日本贔屓で日本文化に深い理解を示しており、アメリカ人初の柔道茶帯取得者であり、山下義韶から週3回の練習を受けるとともに、山下が海軍兵学校で柔道を教えるよう尽力した。

東郷平八郎が読み上げた聯合艦隊解散之辞に感銘を受け、その英訳文を軍の将兵に配布している。

また、忠臣蔵の英語訳本(『47ローニン』)を愛読していたとの逸話がある。

新渡戸稲造の『武士道』に感銘し、自ら何冊か買って友人に読むようにプレゼントした。

 

日露戦争後は、次第に極東で台頭する日本に対しては警戒心を感じるようになり、やがて贔屓も薄れ、事務的かつ冷淡な場面も見られた。艦隊(グレート・ホワイト・フリート)を日本に寄港させ、強大化しつつある日本を牽制した。

排日移民法の端緒も彼の時代である。

日露戦争後に激化したカリフォルニア州を中心とした太平洋岸での反日運動を危惧しながら、ユージン・ホール上院議員に宛てた1906年10月27日付の私信で以下のように述べた。

「カリフォルニア州の政治家は、対日戦争を引き起こす不安材料になっている。ただちにそうした事態になるとは思わないが、将来については不安である。日本人は誇り高く、感受性も強い。戦争を恐れない性格で、日露戦争の勝利の栄光に酔っている。

彼らは太平洋のパワーゲームに参加しようとしている。日本の危険性はわれわれが感じている以上に高いのかもしれない。

だからこそ私はずっと海軍増強を訴えてきたのだ。

……仮に戦争となり、我々の艦隊が旅順港のロシア艦隊のような運命をたどることになれば、日本は簡単に25万人規模の兵力を太平洋岸に上陸させることができる。そうなれば、それを駆逐するのに数年の歳月がかかり、それに加えて、とんでもないコストがかかるだろう。ジャップはロシアに勝ってから実に生意気だ。しかし、こちらが大艦隊を持ってさえいれば、奴らだってそう簡単には手出しはできない」

 

ルーズベルトはノックスへの手紙(1909年2月8日付)の中で、移民問題の重要性を強調し以下のように述べた。

「日本人労働者は排除されなければならないが、巧妙に、かつ戦争のリスクを回避できる方法でだ。それゆえ、我々の任務は、永久には我慢することができない自国民の要求に応える一方で、必要以上に怒らせないように日本を丁重に扱うことであり、同時に、日本が我々を攻撃しないよう非常に用心するような状態に、我が艦隊を準備することである。」



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高山正之は「ルーズベルトはハワイの日系アメリカ人の本土移住を禁止したほか、ハーストをして反日キャンペーンを展開させて、日系人の子弟を学校から締め出し、土地所有を禁止し、市民権の取得も拒否した」と述べている。

セオドア・ルーズベルトを多くの日本人は親日家だと信じている。

しかし彼の本音はまったく違い、日本を叩き潰すことにあった。

そのきっかけは1893年、アメリカのハワイ王朝乗っ取りだった。

アメリカ戦艦ボストンがリリオカラニ女王の宮殿に砲口を向け彼女を退位させた直後、
日本の巡洋艦「浪速」と「金剛」がホノルルに入り
戦艦ボストンをはさむように錨を下ろした。

アメリカの横暴を牽制したもので、アメリカはハワイの併合を断念、
ハワイ共和国という体裁をとった。

巡洋艦の艦長は東郷平八郎といい、彼は翌年もホノルルにやってきたが、
ハワイ共和国建国一周年を祝う礼砲要請を
「その要を認めず」と断った。ハワイは報復に日系移民の帰化を拒否した。

当時、アメリカ海軍省次官だったルーズベルトは1897年3月、友人に
「できることなら今すぐにハワイを併合し、ニカラグア運河を完成させ、日本を凌ぐ軍艦を建造したい。
私は日本の脅威をひしひしと感じている」と書き送っている。

そのために彼は新聞王のハーストと組み、世論を焚きつけて
反日キャンペーンを展開、脅威の日本人をアメリカから追い出す作業も始めた。

その一つが併合を済ませたハワイの日系人の本土移住の禁止措置だ。
結果、日系人の子弟は学校から締め出され、土地所有を禁じられ、市民権の取得も拒否された。

しかし当時の駐米大使・珍田捨己はアメリカ人の善意を信じることから始めた。

「日本への批判が出るのは我々の側に問題があるのではないか」

彼は日系の移民7万人を調査し「750人が花札などよからぬことをしていた」と外務省に報告。

「移民はいわば民間の外交官であり、その心がけが足りない」と逆に日本人を叱責している。

「まず相手を信じ、反省する」この珍田方式が以降、日本外交の基本姿勢となる。

そんなバカをしているからロシアから一銭の賠償も取れない講和を
押し付けるルーズベルトを本気で恩人と思ったりする。

彼を継いだウッドロー・ウイルソンは日本を弱体化するために国際社会からも締め出そうとした。

ワシントン会議では日英同盟を破棄させ、日本を孤立に追い込んだ。

しかし当の日本は、ウイルソンはいい人で、この会議も海軍の軍縮会議だと今でも信じている。

 

ウッドロー・ウイルソン大統領は黒人差別主義者であることがばれてしまって、母校のプリンストン大学からその銅像は撤去されたことは知っていた。

当初、フランクリン・ルーズベルトとトルーマンはどうしようない日本人差別主義者であったが、セオドア・ルーズベルト大統領は違うんだという趣旨で書こうと思っていたが、御多分に漏れず(笑)、彼も日本人差別主義者であったことを認めざるを得ない。

 

最近もUSスティールの買収問題がこれだと思う。

【詳しく解説】なぜ?日本製鉄“USスチール買収計画”の背景【スーパーJチャンネル】(2024年12月24日)


ANNnewsCH チャンネル登録者数 435万人

4.7万 回視聴 4 日前
日本製鉄によるアメリカのUSスチール買収計画。最終判断はバイデン大統領が下すことになりました。そもそも、なぜ日本製鉄は買収したいのでしょうか。経済部デスクがイチから詳しく解説します。

なんだかんだ言って偏見が強いんだろな。2,3年前、アメリカで乳児用の粉ミルクが不足に陥った時、日本のメーカーもすぐ手を上げたけど、アメリカが採用しなかったという事実を思い出した。ヨーロッパのメーカーに頼んだみたいだ。
アメリカの白人のじじいはホントどうしようもない…

@toeic9907
3 日前
アメリカは日本にどんな偏見があるのでしょうか

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★彼らは戦勝国のほうが非人道的だったと歴史を書き換えられる日がくるのを恐れている★

「トルーマン回想録」は次のように記している。
“Japanese are beast. So are treated as”(「日本人は獣だ。だから、そのように扱った」)

しかし勇戦もむなしく、戦後も日系人への人種差別に基づく偏見はなかなか変わらなかった。部隊の解散後、 アメリカの故郷へ復員した兵士たちも、白人住民から「ジャップを許すな」「ジャップおことわり」といった 敵視・蔑視に晒され、仕事につくこともできず財産や家も失われたままの状態に置かれた。

トルーマン前米大統領は2日、CBSテレビ放送番組「今だから話そう」の対談に出演し、 「私は広島・長崎の原爆攻撃を指令したあとに、良心のとがめを少しも感じなかった。 これからも万一の場合、水爆使用はたしかだ」と語った。

(彼はこのときポール牧のようにぱちんと指を鳴らした)

↑おれの書き込み即効削除(笑)

 





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