八切止夫という作家を知っていますか。
作家として戦国時代を独自の視点で描いて、けっこう売れたらしい。
その儲けを投入して自分で出版社を築地かどこかへ作り、戦前に出版禁止になったものを次々に自分の独自解説をくっつけて復刻出版していった。
しかも、ここからが大事。その復刻出版された「あぶない」本を希望者に無料進呈するということをやっていた。
1970年代の終わりごろのことである。
私が気づいたときにはその復刻出版されたものが古本屋に並び、値段が高くなりかけていた。
戸上駒之助「日本の民族」、三島敦雄 天孫人種六千年史の研究、木村鷹太郎、
とくに天野信景著「塩尻百巻」は良かった。いまでも目繰り返してる。
江戸時代の異説百科事典のようなもの。
江戸時代の八切 止夫?
とくに部落問題のまったく感じとれない地域に育ち、そんな問題がこの日本にあるのかと知らしめてくれたのも、この復刻書籍の菊池山哉を知ったからだ。
10年後くらいに別の出版社から次々と再発された。
日本原住民と被差別部落 2009/菊池 山哉 (著), 前田 速夫 (編集)河出書房新社

その直観力と、徹底したフィールド調査で、被差別部落研究に圧倒的な足跡を残した在野の碩学の、郷土史から考古学、民俗学、宗教学を結ぶ、壮大な構想のエッセンス。別所、白山神社、雑色村などの起源に迫る。前田速夫編。
八切 止夫(やぎり とめお、1914年12月22日 – 1987年4月28日)は、日本の小説家。日本シェル出版代表。
戦前から戦後まもなくにかけては耶止説夫のペンネームで冒険小説や推理小説を書き、1960年代後半に八切止夫のペンネームでは歴史小説家となる。
「八切史観」と呼ばれる独自の歴史観を展開した。
経歴
本名は矢留 節夫(やどめ せつお)。経歴には不明な点が多く、出身地には名古屋市という説と横浜市という説の両方がある。
旧制愛知一中(現在の愛知県立旭丘高等学校)を経て、日本大学専門部文学科で伊藤整に師事。1931年に同校を卒業した後、当時日本の委任統治領だったヤップ島に渡り、先住民相手に雑貨商を経営。
帰国後、1939年1月に、オランダ領セレベス島へ海軍報国隊の一員として行き帰国する。『新青年』20巻16号に耶止説夫の筆名で『海洋冒険 珊瑚礁王国』を発表、以後、耶止説夫の筆名で紀行文『南方風物誌』や小説『青春赤道祭』など南方海洋文学を『新青年』誌上に発表するも、大本営により執筆禁止処分を受ける。
奇矯な性格から晩年は出版界から敬遠され、みずから日本シェル出版という出版社を設立して『八切止夫自由全集』を刊行した。
同社の本の奥付には「本は読んでもらうためであり金ではない」とあり、送料さえ払えば5万円分の歴史関連の著書を贈呈すると書かれていた。
『サンカ民俗学』『サンカの歴史』などを著し山窩研究家としても知られる。民俗研究者の間では2000年代に入り、八切止夫の再評価があり、絶版となっていた著書の一部が再刊された。
同じく作家で歴史関係の諸説を発表している井沢元彦は「鉄砲の使用には硝石の輸入が不可欠である」と始めに主張したのは八切止夫だと述べるなど、八切の論を一部支持している。
日本の特殊部落発生史 1982/八切 止夫 (著) 日本シェル出版
日本古代史入門 Kindle版 八切 止夫 (著) 作品社(インプレス)
日本古代史の根本文献である「古事記」「日本書紀」に対する徹底批判から出発し、古代王朝説から渡来系と原住民系の対立まで、これまでの論点をわかりやすく解説した八切版「古代史入門」
『明治史学会雑誌 : 日本歴史資料大成』 八切止夫校註(日本シェル出版 1976年)
『塩尻百巻史料事典』 天野信景著、八切止夫校註(日本シェル出版 1980年)
『旧約聖書日本史』 木村鷹太郎著、八切止夫編(日本シェル出版 1981年)
『日本奴隷史事典 : 庶民日本史料』 阿部弘蔵著、八切止夫校註(日本シェル出版 1980年)
『日本部落史料』 菊池山哉著、八切止夫編(日本シェル出版 1981年)
『海洋渡来日本史』 木村鷹太郎著、八切止夫編(日本シェル出版 1981年)
『明治密偵史 : 明治の新聞雑誌』 宮武外骨著、八切止夫編(日本シェル出版 1981年)
『謎だらけの日本史』 重田定一著、八切止夫校閲・補註(日本シェル出版 1981年)
『藤原王朝前日本歴史 : 七世紀までの歴史と言語よりみたる日本の民族 日本古代史』 戸上駒之助著、八切止夫校閲・補註(日本シェル出版 1981年)
『不可思議な国ジャポネ』 オラロ・ケント著、八切止夫校閲・補註(日本シェル出版 1983年)
脚注
野史辞典―八切日本史字典 2003/八切 止夫 (著) 作品社

八切止夫が16年の歳月を費やした畢生のライフワーク。庶民の側の歴史=野史によって日本史の正史を覆す八切史観のエッセンスがつまった辞典。
古代から近代まで厳選された1000項目を詳述。日本シェル出版80年刊の復刊。
信長殺し、光秀ではない (八切意外史) 新書 2002/八切 止夫 (著), 末国 善己 (監修), 縄田 一男 作品社
徳川家康は二人だった (八切意外史) 新書 – 2002/八切 止夫 (著), 末国 善己 (監修), 縄田 一男 小和田 哲男 作品社
松平元康(徳川家康)は、実は死んでいた? 徳川家では、三河出身者は1万石以下の旗本として冷遇され、他国者だけ大名に立身した謎に、独自の視点で迫る。1972年番町書房刊を底本として復刊。
上杉謙信は女だった (八切意外史) 新書 2002/八切 止夫 (著), 末国 善己 (監修), 縄田 一男 寺田 博
八切止夫作品集
https://www.rekishi.info/library/yagiri/index.html
↑有志の方が作ってくれたサイト。これは古い。20年前からあるのでは? 今回繋がってちゃんと読めることを確認。
八切が唱えた仮説・異説の数々
上杉謙信は女だった(上杉謙信女性説)
織田信長を殺したのは光秀ではない(イエズス会犯人説)
徳川家康は四人いた(徳川家康の影武者説)
天皇アラブ渡来説(戦前のシュメール・バビロニア説のリメイク)
平家の祖先はペルシャ
源氏軍の前線に立った下部兵士は渤海国が滅亡した際に逃げてきた民族
藤原氏の起源は、白村江の戦いに勝って日本に進駐した唐軍2000人で、これによって漢字と仏教がもたらされた
大和朝廷は百済系
日本の被差別民の発端は、上記の唐・百済系によって奴隷にされた非仏教徒や原住民
信長、秀吉、家康は被差別民出身
仏教の布教には大麻が使われた
キリスト教は、火薬に使われるチリ硝石の販売で武将らを懐柔した(キリシタン大名もチリ硝石入手のため)
チリ硝石購入の対価として、日本人奴隷が売られた
奴隷売買を禁止するため、秀吉はキリシタン宣教師追放令を出した
ヨーロッパの世界的侵略の成功はチリ硝石がもたらした
伊達政宗は二人いた(小田原合戦前の片目の猛将は妻(愛姫)のなりすましで、それ以後の文化人、教養人が本物の政宗。眼帯もダテ眼帯で両目があった)
ジェロニモは尾張藩士の森次郎右衛門が逐電、脱藩して渡米した後の姿
特殊部落の研究 1993/10/25 菊池 山哉 (著)批評社

被差別部落の淵源を、全国的な踏査によって解明し、日本の部落史研究に画期をなした、幻の名著の覆刻。研究者必読。
別所と俘囚 1996/8/10 菊池 山哉 (著)批評社

山哉は、被差別部落の淵源を全国踏査によって明らかにしつつ、別所探訪を通して古代エミシの俘囚の配流地こそ「別所」に他ならないことを確信する。
古代エミシ=非アイヌ説を生涯にわたって主張しつづけた山哉のエミシ論を新たな視点で解読する。*解説=塩見鮮一郎。
洞村の強制移転―天皇制と部落差別 辻本 正教 1990/解放出版社

菊池山哉(さんさい:大正-昭和の郷土史家)はその著書のなかで、洞村の区長宅で多くの老人たちから聞いた洞村内部の話を次のように伝えている。
「丸山宮址と呼んでいるが、宮があったとは聞いていない。径25間の平地で、円形をなし、その中心が、径3間ぐらい、こんもりと高く、昔は松の木が茂っており、その上を通ると音がして、他のところとは変わっていた。
その境内に、7つの白橿(しろかしわ)の大木があった。最後のものは周囲すでに皮ばかりで、そのなかが、6尺からの空洞であった。皮ばかりでも『しめ縄』がかけられていた。白橿村というのは、御陵に白檮の大木が7本もあったからで、神代からのものと伝えられていた。
洞村は神武天皇陵拡張のため平野へ移転し、今は街路整然としている。
もとは畝傍山の東北の尾の上であり、『古事記』『日本書紀』は神武天皇陵と伝えているところと一致する。
神社を生玉(いくたま)神社という。祭神は神武天皇とのことだが確かではない。
この部落は、神武天皇陵の守戸であると伝承している。
神武天皇陵は、畝傍山の東北の尾の上の平らなところで、丸山宮址のところ
とも、生玉神社のところとも伝えられている。
旧家は、御陵と伝えられているところの下で、『ひぢり垣内(かいと)』ととなえ井上、辻本、楠原、吉岡などが本家。ともに日向からおともしてきた直系の家来で、そのため墓守になったと伝えている。」
洞村の人々が九州から来て、神武天皇の墓守をしたという伝承は、洞村のすぐそばにある丸山が真の神武天皇陵であることを支持しているように見える。
4,奈良県高市郡 8,高市郡、白橿村、元洞 P376 「長吏と特殊部落」 昭和22年 多摩史談会
↑直接、話を聞きに行ったのが菊池山哉ただ一人というのが悲しいが…
九州王朝論者(法隆寺移築説)からみた、「古墳はなぜつくられたのか?」

とりわけ優れた点は、高地性集落の考察が多い点。
いきなり、高地性集落への考察から入る本は珍しい。
①高地性集落 → ②古墳造営 への視点があるのが素晴らしい。
ただ、それだけでは足りないと強く思う。
②古墳造営 → ③決まって、被差別部落が存在する。
↑こちらに対する視点がまったく欠けている。
私はただの古代史好きの、その辺によくいる物好きにすぎない。
そんな私でもこれに類した証言はまだまだあげることができる。
明らかに、柳田国男の言ってることは間違ってる。
古墳はなぜつくられたのか??
これに対する答えは、3点セットで考えなくてはいけないとつくづく思う。
①高地性集落 → ②古墳造営 → ③決まって、被差別部落が存在する。
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