著者は、有名なアメリカ人報道写真家・ダンカンの第二次大戦写真集を見ていてある写真が目に留まる。
それは戦争末期のフィリピンで捕虜になった日本軍士官が、あろうことか自発的にアメリカ海兵隊爆撃機隊を誘導して、ジャングル深くの日本軍の司令部や戦友たちを攻撃している写真であった。
いったいこれは真実なのか。真実だとしたら、どうしてそんなことが出来たのか。
それはどんな人物なのか。そこから、著者の1年に渡る執念の調査が始まる。
記録に当たり、当時の軍関係者を訪ね歩き、一歩、一歩と真実に迫っていく。
これは、私が高校生の頃、岸田秀の一連の心理学ものを読みふけった時期によんだ「幻想の未来」という本に出てきた驚くべき事実である。
中での「卑屈さについて」という章にでてくる歴史の事実だ。
私が高校生のときは文庫本で読んだ。
もう一度読みたくなり、近所の図書館の閉庫から借りてきた。
始めにネタばらしをすると、この人物は、ミヤジマ・ミノルといい、昭和17年、東京農業大学専門部農芸化学科卒業の陸軍小尉であったらしい。
現代史家の秦郁彦氏が検証済みであるとのこと。
米軍資料(海兵隊史)のうち、(第2次大戦における航空隊)の項には、(VMB611)が日本軍を爆撃している写真が掲載され、
323ページに、8月9日、(VMB611)は、(俘虜の日本軍少尉)によって指示された目標を爆撃したと、明記されているという。
彼が爆撃地点を指示している現場を撮影した写真を残している当時のアメリカ海兵隊の従軍カメラマン、D・D・ダンカンは、
「全世界にショックを与える信じがたい行為。明白なる不忠、反逆行為」と、呆れたとのことである。
高校生のとき読んだときは、ラスト、どこか北関東の町でこのミヤジマ・ミノルと出会うまでが描かれていたと勘違いしていた。
今回、20数年ぶりに再読したら、北海道、小樽で海産物関係の営業マンであったまでを特定して、実際に会ってはいなかった。
ただ、このミヤジマ・ミノル探しの過程がドキドキさせて、エキサイティングである。
日本兵捕虜は何をしゃべったか (文春新書 214) 2001/山本 武利 (著)

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米軍の対日諜報システムと杜撰な日本軍の情報管理。驚くべき日本兵捕虜の米軍への順応。戦後の占領政策の萌芽が実はここにあった
日本軍のアホさとアメリカ軍のスマートさが垣間見れる。
当時の日本軍は捕虜になった際の対応を教えていなかった。
なぜなら、捕虜、即、自害すべし、としか伝えていなかったからだ。
カラス
5つ星のうち5.0 こりゃ勝てないわけだ 2011年4月21日に日本でレビュー済み
日本の本土では厳しい情報統制に置かれていても、いざ戦地となると情報が駄々洩れ状態。
それが旧日本軍の実体。
漏洩は兵士が密かに持つ日記に始まり、暗号関連文書が焼却されず地中に埋められたままだったり、捕虜となった日本兵がぺちゃくちゃ喋る喋る。
連合軍はこれを利用して、情報収集を行い、勝利を積み上げてゆく。
その陰で日系人が非常にがんばる。
一方日本側は反省の色なし。
しかも現在、この状況は続いているとの厳しい著者による指摘。
果たして日本は、このまま手の内を見せ続けることになるのだろうか。
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嘘だらけのヨーロッパ製世界史 2007/岸田 秀 (著) 新書館 人類文明の母としてのアフリカ
