大学の一般教養課程に、「戦争学」を提唱したい。
是非、「戦争学部戦争学科」を新設して欲しい…
僕は少年ゲリラ兵だった:陸軍中野学校が作った沖縄秘密部隊 NHKスペシャル取材班 (著) 新潮社 2016
沖縄戦に埋もれていた衝撃の史実。
幼い少年たちをも最前線に送り出そうとした、日本〈一億総特攻〉計画の全貌!
「敵を殺せ。10人殺したら死んでもよい」
14歳から17歳までの少年で極秘に編成され、沖縄で壮絶なゲリラ戦を
戦った「護郷隊」。陸軍中野学校は、来たる「本土決戦」に備え、
さらにこれを全国に推し進めようとしていた──。
その先にあったのは、子ども含めた「国民総ゲリラ兵化」計画だった。
なぜ、本来守るべき子どもたちを、国は戦争に利用していったのか。
そして、戦場で少年たちは何を見たのか。
どのように傷つき、斃れたのか。
生き残った者たちは、なぜ沈黙し続けなければならなかったのか。
子供までも動員しようとした「本土決戦」計画の全貌を、
はじめて口を開いた元少年兵たちの証言と極秘資料から炙り出す!
陰惨極まりない事実であり、言葉がない…
しかし、読んでいちばん感じたことは、このNHK取材班たちの覇気である。
NHKも大組織であり、中韓擁護のしようもない番組ばかり作っているのではないのだなあと感じた。
なにせ、陰惨極まりない大日本帝国の恥部であり、戦闘に参加させられた沖縄の少年兵たちも、一切を語らず、無論、資料も残っていないので、取材した当人からつぎの取材先を聞き出すほかない。
故郷の村を焼いて移動していく場面には涙を禁じえなかった。
しかしこれ、アメリカ軍の損害も尋常ではなかっただろう…
しかし、この本が凄いのは後半である。
陸軍中野学校は密かに、沖縄の周辺の離島に「残置謀者」といわれる要員を配置する。
久米島にきた上原(もちろん偽名だが)という人物が興味深かった。
沖縄戦が始まろうという時期に久米島に教員としてきたという。
人格識見、高潔な人物で、歓迎会でみごとな喉を披露して皆の喝さいを浴びたという。
沖縄戦が終了するというまさにそのとき、上原が「残置謀者」の本性をあらわにして、アメリカ軍への反撃を口にする。
しかしこれは校長らにとどめられて、あきらめたという。
戦後、兵庫県で静かに暮らす遺族を訪ねるあたりにはうなってしまった。
当の上原は数年前になくなっていた。
忘れられた戦争の記憶 2023/7/19小幡 敏 (著)ビジネス社 大学の一般教養課程に、「戦争学」を提唱したい。是非、「戦争学部戦争学科」を新設して欲しい…

わが米本土爆撃 藤田 信雄 (著) 毎日ワンズ 2021/5/24

世界で唯一、アメリカ本土を空襲した日本軍人の手記、初公開!
「藤田信雄元海軍中尉殿、貴殿の厚意と惜しみない友情にアメリカ国民を代表して感謝の意を捧げます。
さらに私は貴殿の立派で勇敢な行為を讃え、ホワイトハウスに掲揚されていた合衆国国旗を贈ります」――第40代米国大統領ロナルド・レーガン
第二次世界大戦中、アメリカで戦意高揚のため威勢のいい題の本が出た。『GOD IS MY CO-PILOT』、(神のみぞわが副操縦士)と訳しても異論はあるまい。
著者は、むろんアメリカの戦闘機乗り。バリバリと敵を撃ち落としたとある。しかし自分は神様のおかげで、一度も撃墜されることはなかったと誇らしげに書いてあった。
このベストセラーを数年前読んだとき、心に浮かんだのが旧日本海軍の「下駄ばき」と呼ばれた水上機のことである。
重いフロートをつけて、小さいエンジンで飛んだ。遅鈍きわまりない蚊トンボのような下駄ばきは、敵戦闘機パイロットにとっては、まさに空のsitting duck(動かぬアヒル=理想的な標的)のように見えたのではあるまいか。
反対に、この「アヒル」を操縦した水上機乗りのなかには、死神を自分の副操縦士と観念したご仁もおられたのではないかと、その本を読みながら同情もしたものであった。
むろん例外もいたに相違ない。その証拠が本書の著者、すなわち、わが畏友・藤田信雄氏の興味津々たる存在である。
水上機の操縦者として、この旦那はまさに天才ではあるまいかと思うことがある。
終戦まで総計六千時間も飛行して、かすり傷一つも受けなかった。太平洋戦だけでも、北はアラスカから南は豪州のタスマニアまで、自分の下駄ばきで前後十回も敵地上空に遠慮なくおじゃました。
この旦那のロッグブック(飛行記録)で、最たるものが米大陸(ハワイではない)爆撃である。
後にも先にも、藤田さんが米本土の空爆を敢行した唯一のパイロットである。
そのときの目標もでかい。オレゴン州の密林である。
その作戦で、アメリカ国防当局の作った伝説、すなわち、米本土は外敵の直接攻撃には不可侵の聖域であるというあの神話、これを紙屑にした……米誌タイム記者エス・チャング氏(本書「解説」より)
著者について
1912年、大分県生まれ。元帝国海軍中尉。1942年、イ25潜水艦飛行長として史上唯一となるアメリカ本土爆撃を敢行。
戦後その「功績」によりロナルド・レーガン大統領より星条旗を、空襲したブルッキングス市より名誉市民章を受く。
史上唯一の米本土爆撃を果たした海軍搭乗員の生涯
著者藤田信雄海軍中尉は、大正元(1912)年、大分県西国東郡真玉町金屋(現豊後高田市)の農家に生まれた。
山一つ越えた別府湾に入港する連合艦隊の勇姿に憧れ、昭和7(1932)年、志願入隊。戦艦「陸奥」高角砲員に配属されるも、体格の小ささから上官より転科を勧められ、航空兵となり、水上機操縦員となる。
伊号第25潜水艦(艦長田上明次中佐)飛行長となり、昭和16(1941)年11月21日、横須賀を出港。
日米開戦時は真珠湾口に潜航し敵情を偵察。昭和17(1942)年2月8日、クェゼリン基地を出撃。
オーストラリア・ニュージーランドの軍港を偵察。5月11日より2度目の米西岸哨戒と通商破壊に出撃。
伊25は6月22日にはオレゴン州アストリア郊外のフォート・スティーブンス陸軍基地を砲撃。
8月1日帰港。著者は本来の筆まめさと旺盛な研究心から、潜水艦搭載水偵による要地爆撃案を上官に提案していたが、それが司令部に達し採用され、高松宮宣仁参謀臨席の軍令部3課作戦会議に召集。米本土爆撃作戦命令を受ける。
8月15日、横須賀出撃。9月4日、オレゴン州アストリア沖に到達。
9月9日0530、零式小型水上機に76kg焼夷弾2発を搭載し発艦(後席偵察員奥田省二飛行兵曹)。
エミリー山麓への爆撃は成功し無事帰還。
此の日、爆撃の第一発見者となり消化活動に従事したネブラスカ大学生キース・ジョンソン氏は、後年海軍大佐となり昭和49(1974)に筆者と邂逅を果たしている。
9月27日、第2次攻撃にも成功。10月24日、横須賀帰港。小松宮輝久親王邸での夕食会に招待され労われた。
12月9日、トラックよりソロモン方面に出撃。昭和18(1943)年2月7日、エスピリトゥサン島米軍基地偵察に成功。此れが最後の偵察任務となり、鹿島航空隊教官に転属。飛行時間は6000時間を超えていた。
伊25は7月25日、バヌアツ沖で米駆逐艦「パターソン」に撃沈され艦長以下総員戦死。
昭和20(1945)年2月16日、霞ヶ浦で訓練中に敵機動部隊の日本本土空襲に遭遇、教官達による9機の零式水上観測機と共に迎撃(後席偵察員政見吉男少尉)。
グラマンF6F戦闘機1機を空戦で撃墜。自機も被弾し発動機が焼き付き不時着。
撃墜戦果は香取空で確認された。後席の政見少尉は翌日の敵機動部隊索敵任務に参加し未帰還。
鹿島空でも教え子の第13・14期予備学生が特攻編成され、当時中尉で33歳の最古参搭乗員だった著者も、海兵70・71・72期の教官達と共に特攻志願する。
7月、鹿島空は水上戦闘機「強風」部隊を知多半島東岸の第2河和海軍航空隊へ分駐、著者は第1分隊士となる。同地で終戦を迎える。
8月24日復員。鹿島空の教え子の実家に頼り刃物の行商から身を起こし、昭和34(1959)年、茨城県土浦市に金属会社を設立、業績は軌道に乗る。
昭和37(1962)年4月、大平正芳官房長官の仲立ちで、オレゴン州ブルッキングス市に招待され、5月28日、市のセレモニーで史上唯一の米本土爆撃を米側に顕彰された。
自身の会社が息子の代で倒産した後は、鹿島空での教え子の会社に就職。給与を貯蓄し、昭和60(1985)年のつくば万博にブルッキングズ市の高校生3名をを自費で招待、自身への好意の返礼を果たした。
平成9(1997)年9月30日死去。享年85歳。ブルッキングス名誉市民称号の贈呈(9月27日市議会決議)が著者の耳に届いたのは、死去前日の事であった。
著者をテーマにしたドキュメンタリー映画『サムライ・イン・ザ・オレゴン・スカイ』が平成31/令和元(2019)年6月22日に公開された。
遺灰は遺言通り、一周忌の法要をエミリー山の爆弾投下地跡で執り行われた後、自らが記念植樹したレッドウッドの根元に散骨された。
↑この本で、いちばん感動したことは、戦後、刃物の行商から身を起こし、昭和34(1959)年、茨城県土浦市に金属会社を設立、業績を軌道に乗せ、茨城県で8番目に大きな会社にしたのに、社長を息子にゆずったことがあだになり、息子が会社を倒産させてしまい、齢70歳から元・部下の会社で働かせてもらい工場長にまでなって82歳で引退したことだ。
あと、もう一点。
水上戦闘機(本来は偵察機)を積めるという伊号潜水艦のものすごさだ。
同時代に諸国に、そんな化け物みたいな潜水艦はない。
本書に記載があるが、日米開戦早々に、真珠湾作戦に参加していた伊号潜水艦が、作戦の帰途、敵商船を撃沈したとの迫真の描写を読んで思うことがある。
だから、あの戦争にまったく勝ち筋はなかったのかと言われれば、たった一つだけあったというのが私の仮説である…
潜水艦の使い方を間違てた日本海軍!! 早々と真珠湾攻撃直後から通商破壊戦をとにかくやるべきだった。
自ら歴史を貶める日本人 2021/9/25西尾幹二+現代史研究会 (著) 徳間書店、潜水艦隊 (中公文庫) 2023井浦 祥二郎 (著) あの戦争にまったく勝ち筋はなかったのかと言われれば、たった一つだけあったというのが私の仮説である…

潜水艦の使い方を間違てた日本海軍!! 早々と真珠湾攻撃直後から通商破壊戦をとにかくやるべきだった。
立派な潜水艦60隻以上持ってたのに!! アメリカ海軍よりたくさん保有してたのに!!
時期は、真珠湾攻撃後の3か月、場所はハワイとアメリカ本土を結ぶ航路に限る。
その航路の物資の補給路が細々としたものだったこと、日本の潜水艦作戦の乏しさを論じるアメリカの軍事評論家の意見もたびたび見かける。
チェスター・ニミッツ、アメリカ海軍大将が回顧録の中で潜水艦軽視の日本軍の戦い方そのものを批判している。勇気ある批判だといえよう。
後半、押し込まれて負けが続き、カミカゼとか少年ゲリラ隊とか絶望的な戦い方になる前に、何とかなっていたのではないかと思ってしまう…
陸軍中野学校全史 (論創ノンフィクション 013) 斎藤充功 (著) 論創社 2021

ついに秘密戦学校のすべてが明らかになる!
昭和13年、諜報、謀略、防諜活動のための工作員養成を目的に作られた陸軍中野学校。
軍服を脱ぎ、背広を着て、「見えない戦争」を戦った諜報エリートたちは、徹底した教育・訓練を受け、世界各地で〝秘密工作〟の数々を実行した。
知られざるスパイ学校の実態。卒業生たちの戦後。長年、中野学校の取材を続けてきた斎藤充功の仕事が、ここに結実する!
序章 帝国陸軍のインテリジェンスの歴史
第一章 異色の軍学校「陸軍中野学校」とは、どんな学校だったのか
第二章 封印されてきた数々の極秘計画
第三章 特殊工作の真実
たしか、斎藤充功さんの他の本だったが、陸軍中野学校が超短期(3か月)で、要員の育成に成功できたのは、
もちろん優秀な人間を集めたというところも大きいが、教えることが超実践的であったという部分も大きいと…
たとえば、埼玉県本庄市付近に、敵落下傘部隊が、急襲降下、手榴弾2発を持たされていかに行動すべきかとか、そんな感じのカリキュラムだったという。
高市内閣が、日本版CIAの設置を模索しているという。
待望の、というか遅すぎたくらいである。
こんな弱小ブログのいうことに耳を傾ける人もいないだろうが、是非とも、設置委員会が開かれた暁には、呼んで話を聞いてもらいたい人がいる。
本書の著者、斎藤充功氏と江崎 道朗氏である。
なにせ、我が日本は日露戦争(明石元二郎)以来の、諜報大国であった。
小野田寛郎は29年間、ルバング島で何をしていたのか 斎藤 充功 (著) 学研プラス (2015/5/26)

小野田寛郎さんへの切り口は様々あるだろうが、太平洋戦争時、フィリピンに隠匿された日本軍埋蔵金の、生けるボディーガードとしての小野田さんという切り口は初めてである。
日本軍埋蔵金(通称、山下財宝)とは、とにかく膨大な物らしい。
大部分は、インドネシアにおけるオランダ政府資産のことらしい。
間違いなく「あったもの」とする根拠は、以下の3点。
① 1971年、バギオ市に住む弁護士が「マルコス大統領に黄金の仏像を乗っ取られた」と訴えでた。ルソン島北部で発見されたその仏像を、「国家財産として」没収された。高さ1メートルの黄金の仏像で頭部が取れるようになっており、内部にはダイヤモンドが入っていたと。(朝日新聞1987年7月14日付け)
② 昭和27年、財宝を運搬してたドライバーの証言から、東京・越中島の運河からGHQ立ち合いのもと、大量の金塊が引き上げられたいう事件があった。
③ 金塊の一部を、鋳つぶして再度つくったという「福丸金貨」の存在。田中貴金属と並ぶ徳力が一連の作業を担当。社史にもあるし、現物も残っている。
だから全てを総合して考えれば、小野田さんは日本軍埋蔵金の、生けるボディーガードではなかったか…
ミトロヒン文書 KGB(ソ連)・工作の近現代史 2020/山内 智恵子 (著), 江崎 道朗 (監修)ワニブックス

●支那朝鮮人・反日バカチョンコ左翼の願望(妄想):「日本が核武装すると日米同盟が破棄される、孤立する!!」
●…現実:↓
●米有力議員、「家族会」に拉致解決へ核武装の論議提案 2011.7.12 産経新聞
【ワシントン=古森義久】北朝鮮による日本人拉致事件の「家族会」「救う会」「拉致議連」の合同訪米団が11日、ワシントンで米国側の政府高官や議員との一連の会合を開始。
下院外交委員会の有力議員からは、北朝鮮に拉致と核開発で譲歩をさせるために日本も独自の核武装を論議すべきだという提案を受けた。
訪米団は家族会の飯塚繁雄代表や、救う会の島田洋一副会長のほか、拉致議連の平沼赳夫会長をはじめとする衆参両議員8人らで構成。同日午後、下院外交委員会の有力メンバーで中東・南アジア小委員長のスティーブ・シャボット議員(共和党)と会談した。
島田氏によると、シャボット議員は拉致問題の解決策に関連して、訪米団に「あくまで日本自身が決めることであり、米側にも多様な意見があるが、私は日本が独自の核武装を論議することが北朝鮮の拉致や核の問題への有力な解決策になると思う」と告げた。
米連邦議員が日本の国会議員らとの公式会合で日本の核武装論議を奨励するという例はこれまでにない。
↑まっ、普通の知性があればこう考えるわな…
アメリカは半島から引き上げていくし、在日朝鮮人の帰還再開とスパイ防止法、日本の核武装は不可避だよ
天皇のスパイ 2009 高橋 五郎 (著) 学研プラス “天皇のスパイ”と呼ばれる男がいた。第二次大戦中、二重三重スパイとして、世界を股にかけた男、アンヘル・アルカッサル・デ・ベラスコ。なぜ、大日本帝国は、アジア各地から莫大な財宝「黄金の百合」を収奪したのか?

長崎原爆はアメリカ製だが、広島原爆はナチス製であると、ベラスコは断じる。
起爆方式が全く違う二つの原爆。
長崎はアメリカがトリニティ実験で実際に爆発させた原爆である。
ただ、広島の方は実験していない。
これは確かな事実だ。
つまりナチス製の広島原爆はベルギーでロンメル将軍によって連合国に引き渡され(看護婦数人との捕虜交換を表向きの口実として)、広島で投下されたというのだ。
高橋 五郎氏が調べたところでは、実際にベルギーの森で看護婦との捕虜交換が行われたという。
ただ、そのタイミング、交換の実際に間尺に合わないものが多く「奇妙な捕虜交換」と軍事史家の間で言われているものだという。
