アジアの中でなぜ日本だけが近代化に成功できたのか?
伊藤博文は日本の何を変え、何を守ったのか?
昨今、韓国人に暗殺された日本の要人というイメージが強くなっている伊藤博文。
しかし「国会」「憲法」「銀行」「鉄道」「電信」「四民平等」など、近代日本をつくったのはまぎれもなく彼である―。
明治維新150周年に、初代内閣総理大臣の功罪を追求し、「日本とは何か?」を考察する一冊!
現代日本の礎をつくった男の軌跡―
鹿島昇という著述家がいた。昔の一時期、彼の書くものに魅せられて、渋谷の雑居ビルまで行って、この人の本を買いに行った。
歴史家ではなく、在野の著述家というのがふさわしい。本職は横浜生まれの弁護士である。
10年くらい前にすでに亡くなっている。
執筆対象は日本古代史が主だが、「バンチェン・倭人のルーツ」とかの良書もあるけれど、世代的なものもあるだろうが、この人のサヨク臭(何でもかんでも朝鮮半島から来た)に反発を感じて今ではもう遠い人になっている。
この人が、伊藤博文について書いたものにどうやら私は悪影響を受けてたみたいだ。
曰く、
「伊藤博文こと伊藤俊介は長州忍者の出身、孝明天皇暗殺の下手人…」
と、伊藤博文に対する悪罵がつづく。
【検証まで見て!】日本政府が隠す真実?明治天皇すり替え説を検証します
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↑明治天皇すり替え説を否定した、超優良動画。根拠は、これだけではないが、いわゆる「フルベッキ写真」というのはインチキである。
本書まえがきで、著者・武田知弘氏はいう。
「…しかし日本は明治維新によって、ほとんど一夜にして、この封建制度をぶち壊し、「自由」で「近代的」な社会をつくったのである。
世界中、こんな国はない。ほとんどの国で、封建制度から近代国家になるまでには長い時間がかかっているものなのだ。
当時の日本の指導者たちの綱渡りのような決断、行動力によって、成し遂げられたものでなのである。
明治の元勲の中でも、伊藤博文の功績は凄まじいものがある。
憲法、国会だけではなく、銀行、鉄道、電信、四民平等など、明治維新の重要な変革のほとんどに伊藤が深く関与しているのである。
伊藤がいたからこそ、素早く日本は封建制度を脱しえたのだ。
伊藤は名義の上で、「大日本帝国」の生みの親でもある。
にもかかわらず、伊藤の業績について述べられた書物というのは意外なほど少ない。正確な統計はないが、坂本龍馬の100分の1もないのではないだろうか。
それは韓国で暗殺されたという暗いイメージによるものだと思われる。」
ごく年少のころに(22歳!)、いち早くイギリスに留学できたのが大きい。
松下村塾出身で、バリバリの「尊王攘夷思想」を持っていた伊藤博文青年も、イギリスを実際に見て、尊王はいいけど、攘夷はダメだとすぐ気が付いた。
ここから明治維新の偉業は始まると言っても過言ではないと思う。
しかし、江戸時代の末期である。
横浜のイギリス領事に相談したら、イギリス留学には数千両かかると言われた。
井上馨(太政官制時代に外務卿、参議などを歴任し、黒田内閣で農商務大臣を務め、第2次伊藤内閣では内務大臣、第3次伊藤内閣では大蔵大臣など要職を歴任、その後も元老の一人として政財界に多大な影響を与えた)が、取り持って、村田蔵六(大村益次郎、戊辰戦争では東征大総督府補佐となり勝利の立役者となった。
太政官制において兵部省初代大輔(次官、長官の卿は皇族ポストだったため、事実上の最高責任者であった)を務め、日本陸軍の創始者、陸軍建設の祖とされる。)に相談。
けっきょく、長州藩の御用商人、大黒屋に5000両工面してもらい、事後報告ということにして巨費をねん出したという。
↑この流れが何より凄い。若き日の伊藤博文も相当、利発だったのだろう。
●「愛されキャラ」を発揮した少年期
●「奇兵隊」と「力士隊」
●日本を変えた「兵庫論」とは?
●韓国とどう接するか
●世界に類のない平和な「革命」
●「築地梁山泊」での熱い議論
●主権が「天皇」になった理由
●政党政治の自滅によって昭和の軍部が暴走!? etc.
「日本を変えた「兵庫論」とは?」
「版籍奉還」を最初に言い出したのは、伊藤博文ではない。
意外なことに、「版籍奉還」を最初に言い出したのは、「賊軍」とされている藩主だった。
明治元年1868年11月、姫路藩主・酒井忠邦が、政府に「版籍奉還」を願い出たのだ。
これを知った伊藤博文は陸奥宗光ら仲間を募って、「国是綱目こくぜこうもく」という建白書を提出。
それがやがて「兵庫論」と呼ばれて、政府内や世間に衝撃を与えた。
「藩が所有していた軍事権、統治権を朝廷に返還する」
「人々を自由自在にする」
「身分制度を廃止する」
第4章 「中央銀行」という世界最先端の金融システム
すべて国家は金である。
予算がなければ始まらない。
この難問中の難問、貨幣システム構築にも試行錯誤があった。
はじめ、てんでんバラバラに各藩が独自の幣制を持っていて、金貨を薄めて出すものだから{贋金問題}、外国人から非難が殺到。
伊藤はこれを解消するため、早くも明治3年には上海にあるイギリス・オリエンタル銀行の支配人・ジョンロバートソンから香港造幣局の造幣機械一式を購入して発行。
コインはほぼ解決した。つぎは紙幣である。
明治新政府は、財政の枯渇を避けるため、「太政官札」というものを発行しており、4800万両も発行したが、根本的な欠陥を抱えていた。
この太政官札は金や銀と交換できない「不換紙幣」だったのである。
そのため、外国商館はたびたび日本政府に太政官札の金兌換を迫った。
アメリカに視察に行った伊藤博文が取ったのはアメリカにある「中央銀行」というシステムだ。
銀行という概念を日本に持ち込み、政府から独立した機関が通貨を発行するという大枠のシステムをつくったのは、伊藤博文なのである。
現在、中国や韓国でも当たり前のように使われている「銀行」という言葉は、この時造られた日本語である。
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併せて読みたい
伊藤博文 近代日本を創った男 (講談社学術文庫) 2015/伊藤 之雄 (著)
↑伊藤博文の評伝としては、こちらの方が出来は良く、詳しい。ただ、武田知弘氏の方が要点をよくまとめて簡便に読める。
伊藤博文をめぐる日韓関係: 韓国統治の夢と挫折、1905~1921 2011/9/10 伊藤 之雄 (著)ミネルヴァ書房
↑著者はむしろこっちのほうがお勧め。この本の、反日バカ左翼の歴史家に絡まれた一部始終のやりとりが面白い。
反日バカ左翼の言うことはいつも不毛である。
要するに結論から言うなら、「ちょうせんじんを怒らせるもの、ちょうせんじんの機嫌を損なうものはやめろ」ということらしい。
しかし、こんなアホな反日バカ左翼だが、大学教授という肩書を持ち、まかり間違えば、日本学術会議会員にでもなって、高額の年金をもらうのだから、納税者からすればたまったものではない。
伊藤博文の青年時代――欧米体験から何を学んだか(祥伝社新書241) 新書 – 2011/6/2
泉 三郎 (著)
1907 IN KOREA WITH MARQUIS ITO(伊藤侯爵と共に朝鮮にて) 2015/ジョージ・トランブル・ラッド、桜の花出版編集部(編集) (著)
↑今回、伊藤博文関連で読んでいて、もっとも印象に残った一冊。まさに、心にしみる一冊である。いづれ取り上げようと思う。
アマゾンレビューに質の高い感想が多い。
予算の都合で翻訳されなかった部分も読んでみたいです。
朝鮮人は昔からこうだったんだと、本当にため息が出ます。
日本人への差別が本当に昔から酷かったんですね。
この本を読むと日韓併合が悲劇であるという韓国・朝鮮は
併合がなければ、ロシアか中国になっていたと思えた。
すべてを覚悟していた伊藤博文と、日本人の努力は大変なものだっただろう。
そして、伊藤博文は今の結果をどう思うのかと、現代の日本人として考えさせられる本だった。
ラッド博士は本当に貴重な記録を残してくれた。
伊藤博文の、朝鮮の発展にかける思いが熱いだけに、2年後に暗殺されたことが、切なく悲しい。
しかし、朝鮮の自立を心から願っていた伊藤博文は、今生きていたら、曲がりなりにも独立国となっている朝鮮半島の二国をどう思うのだろう。
ラッド博士も事実と意見と推論を厳密に区別して本を書いている。今も昔も日本を貶めているのは、「特定の外国人達による偏見と悪意に満ちた虚偽の報告」だ。
【前回までのあらすじあり】明治外交の真髄。清国側に非を認めさせた伊藤博文【第六回天津談判】
https://youtu.be/F6kHNLemsLw?si=MAM98z9QaPUBkr6Y
歴史の物語 チャンネル登録者数 5.8万人
↑この人の動画はお勧め。素晴らしい。長崎事件で1本、薩英戦争で1本、日清戦争で5本くらい、チョーおすすめの動画がある。
伊藤博文見直しの機運はユーチューバーから上がっている??