『文明論之概略』は、福沢諭吉の気力と思索力がもっとも充実した時期に書かれた最高傑作の一つであり、時代をこえて今日なお、その思想的衝撃力を失わない。
敢えて「福沢惚れ」を自認する著者が、現代の状況を見きわめつつ、あらためてこの書のメッセージを丹念に読みとり、今に語りつぐ。
読書会での講義をもとにした書下し。
福沢諭吉のことを取り上げて少し本体を読んだら、いいこと言うなあ、この人と、感銘を受けた。
それで、あれこれ読んでみて取り上げるのがこれ。何より、わかりやすいのがいい。丸山真男大先生の解説で読めるとは、一挙両得である。
2023-10-18
福沢諭吉の真実 (文春新書) 2004/平山 洋 (著)を批判的に読む 日本の歴史から、「長崎事件」が消えている!!!
フランクフルトのゲーテハウスに日本人の入館記帳サインが多いこと、中でも研究者だけではなく著名な実業家の名刺が数多く置かれていること紹介する。
丸山真男先生の恩師である南原繁のユーモア。
「私の先生で、数年前に故人となった南原繫という学者がいます。南原先生と話をしていて、談たまたま「論語」に及ぶと、先生は「あの人はね」云々というのです。「あの人」というのはむろん孔子のことです。けれども、「あの人はね」といわれると、何か孔子が同じ町内に住んでいる老人のようで、私などには、そこに漂う一種の不自然さがおかしみを誘いました。」
↑個人的には大うけである。目繰り返して何度も笑わせてもらった。
第5講 「国体・正統・血統」も大いに読ませる。
福沢諭吉にしても最重要の論点ではないかな。
おや? 丸山真男いいじゃない。大いに読ませる。私は何か、丸山真男という人物が反日バカサヨクのリーダーという誤解を抱いていたようだ。
極めて常識的な物の考え方をする人である。それに言うまでもなく、博識きわまりない。
でもこれはと、引っかかったのが168ページ。
「……ポツダム宣言受諾をめぐって、最後まで御前会議で紛糾したのが、それによって「国体」が変更されるかどうかということでしょう。
ポツダム宣言ではただ「日本国の将来の統治形態は日本国民が自由に表明した意志によって決せられる」とあるだけです。
そこで、日本側から問い合わせるのです。
「君主制は維持されるのか」と。
それに対して連合国の回答はいまのポツダム宣言をくりかえすだけです。
そこで、これを受諾することで果たして国体が維持されるかどうかで最後まで解釈が分かれ、結局最後に、天皇が自分は護持されたと解釈する、という「聖断」を下したので、終戦が決まるわけですが、宣言の解釈が決まらず、御前会議がもめている間に、原爆が投下されたのですから、ずいぶんと大きな犠牲を払ったものです。」
↑ !!! ??? 丸山先生は何も知らんのだろうなと、哀れに思った。
秘密予算で議会に内緒でつくった原爆をどうしても落としたかったアメリカ民主党
『原爆を投下するまで日本を降伏させるな――トルーマンとバーンズの陰謀』 鳥居 民 (著) 草思社

陸軍長官スティムソンと国務次官グルーは、日本に降伏を勧告するときだと大統領トルーマンに何回も説き、
日本側が受け入れることができるように、天皇の地位保全を約束すべきだと主張した。それでも日本が降伏を拒否するのであれば、そのときこそ原爆の投下を警告すべきだと説いた 海軍長官フォレスタル、陸軍参謀総長マーシャル、海軍軍令部総長キングもまた、警告なしに日本の都市に原爆を投下することには反対の立場であった
ところが、トルーマンと彼のただ一人の協力者である国務長官バーンズは、日本に降伏を勧告する スティムソンの草案から天皇の地位保全を認める条項を削ってしまう
秘密予算で議会に内緒でつくった原爆をどうしても落としたかったアメリカ民主党
アメリカが故意に日本の降伏を遅らせて原爆を投下した手練手管が書かれている
スティムソンの草案では共同提案国にソ連の名前が入っていたが、トルーマンとバーンズは、日本がソ連に和平の仲介を依頼していることを日本外務省とモスクワの日本大使館との間の往復電報から知り、ソ連の名前を削り、重慶の国民党政府に差し替えたのである。
日本にソ連への期待を持ち続けさせ、 降伏勧告を無視させようとしてのことだった。
さらに、その降伏勧告をホワイトハウス、国務省からではなく、宣伝機関の戦時情報局から発表させた。
日本側をして宣伝文書と思わせるようにしたのである。
↑手が込んでるねえ ジャップを皆殺しにしたかったんだねえ 核がなかったから落とされた これが真実
★彼らは戦勝国のほうが非人道的だったと歴史を書き換えられる日がくるのを恐れている★
「トルーマン回想録」は次のように記している。
“Japanese are beast. So are treated as”(「日本人は獣だ。だから、そのように扱った」)
“Japanese are beast. So are treated as”(「日本人は獣だ。だから、そのように扱った」)
442連隊が強制収容所の被収容者を含む日系アメリカ人のみによって構成され、ヨーロッパ戦線で大戦時のアメリカ陸軍部隊として
最高の殊勲を上げたことに対して、1946年にトルーマン大統領は、「諸君は敵のみならず偏見とも戦い勝利した。
(You fought not only the enemy, you fought prejudice-and you won.)」と讃えている
しかし勇戦もむなしく、戦後も日系人への人種差別に基づく偏見はなかなか変わらなかった。
部隊の解散後、 アメリカの故郷へ復員した兵士たちも、白人住民から「ジャップを許すな」「ジャップおことわり」といった 敵視・蔑視に晒され、仕事につくこともできず財産や家も失われたままの状態に置かれた。
日本人は、「たからもの」を持っている。または、「たからもの」がある土地に幸運にも生まれついた人々である。
では、その「たからもの」とは?
皇室である。
ここで、あのアドルフ・ヒトラーのエピソードを引こう。
チョンコの第2次帰還運動を再開して、
共産党を非合法にして、創価に当たり前の税を課して、朝日を廃刊に追い込んだら、この国は無憂になる
山崎三郎氏(独協大学教授)の『ユダヤ問題は経済問題である』には興味深い話が紹介されている。
日産自動車の実質的な創業者で満州重工業の総裁であった鮎川義介氏がドイツを訪れてヒトラーに面会した時のことである。
ヒトラーは鮎川氏に対し、次のような意味のことを語ったという。
「貴方の国が如何に努めてみても、我がドイツが作っているような工作機械は作れないだろう。
しかし、ドイツがどうしても日本にまね出来ないものがある。
それは貴方の国の万世一系の皇統である。これはドイツが100年試みても、500年頑張っても出来ない。大切にせねば駄目ですよ」。
私は、正直者のヒトラーが大好きである。
みんな日本の皇室が羨ましくて仕方ないのである。
羨ましいというこの感情に人種差別というものが加わったとき、人間はどうなるかの典型に、アメリカの第32代・日本人差別主義者のフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領に見ることができる。
またしても、ヒトラーである(笑)。悪名高い「我が闘争」から、
ユダヤ人は自分達の至福千年王国の中に、日本のような国家主義国家が残っているのをはばかり、それゆえ自分自身の独裁が始められる前にきっちり日本が絶滅されるよう願っているのである。
したがってかれらは、以前にドイツに対してやったように、今日、日本に対して諸民族を煽動しており、それゆえ、イギリスの政治がなおも日本との同盟を頼りにしようと試みているのに、イギリスのユダヤ人新聞はすでにこの同盟国に対する戦争を要求し、民主主義の宣伝と「日本の軍国主義と天皇制打倒!」の鬨の声の下に、絶滅戦を準備するということも起こりうるのである。
アドルフ・ヒトラー著「わが闘争」1925
↑まさに、予言者としてのヒトラー!!
これほど短い言葉で、第二次世界大戦・太平洋域戦争のことを、その本質まで含めて予言している言葉を他に知らない。
見事である。ノストラダムス以来の、彼は魔導士ではないだろうか。
羨ましいというこの感情に人種差別というものが加わって、さらに自分よりもはるかに劣ってたと見下してる連中に、ハワイ真珠湾を奇襲攻撃されて、手持ちの誇りの太平洋艦隊を絶滅されて、悔しくてならなくなった日本人差別主義者のルーズベルト大統領が出した答えが、戦史上有り得ない過酷な、「無条件降伏」である。
無条件降伏は戦争をどう変えたか 新書 2004/吉田 一彦 (著) PHP研究所 無条件降伏要求というのは、一種の思考停止である。無条件降伏要求は、和平の大きな障害となったのである

第二次世界大戦最中の1943年、カサブランカ会談において、アメリカ大統領ルーズベルトは日独伊に「無条件降伏」を突きつけた。いかなる妥協も許さないその要求は、連合国首脳をも驚かせ、枢軸国側は必死の抵抗を試みた。結果として戦争は長期化し、双方に多大な犠牲をもたらしたのだ――。
「無条件降伏」とは、そもそも、カサブランカ会談のルーズベルト大統領の思い付きから始まったことだという。アメリカ軍関係者も寝耳に水だったという。会談の相手、チャーチル首相も驚いてその場で反対したという。
「我が闘争」は、ヒトラーがミュンヘン一揆に失敗してランツベルグ監獄に収容されていたときに、副総統のルドルフ・ヘスが口述筆記したものと言われているが、存外、日本の影響がみられる。
ルドルフ・ヘスはナチス党幹部の中では高学歴で、ミュンヘン大学地理学科卒業している。
このとき地政学の父と呼ばれるカール・ハウスホーファー教授の薫陶をうけた。
ハウスホーファーは大戦中には将官として出征し、また説得力に富んだ教授であったため、広く尊敬された人物であった。
ヘスも彼に深く心酔し、強い影響を受けた。
「大日本」など著作、翻訳も戦前たくさんされている。明治初期、日本に軍人として任官して日本を理想の社会とみなすに至る。
ハウスホーファーはランツベルグ監獄にも慰問に訪れている。
福沢諭吉『脱亜論』の現代抄訳
日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、
同じ古典を共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、
日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、
しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも
「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
(中略)
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に
与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。
(明治18年(1885年)3月16日)
『脱亜論』全文
ttp://www.jca.apc.org/kyoukasyo_saiban/datua2.html
↑ホント、何度読んでも素晴らしい。130年前に書かれたとは思えない。頭のいい、先を見通せる日本人もいたものだ。
ここで、全くの独断と偏見を披露させてもらう。
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明治の開国以来、日本はシナ人(ちょうせんじん)と100年以上に渡って付き合ってきた。
明治維新が成功し、日清戦争でシナを叩きのめし、以来、シナからの留学生まで受け入れるようになった。
周恩来もそのひとり。彼は日本では落第生だが。
以来、いろんなことがあった。
もちろん我が国、日本はいつも誠実にシナに向き合ってきた。
ただ、重要なのはやはり、我が国優位のもとでの、付き合いということにこだわる。ここ重要。
だから、日本にとって傀儡とでも何とでも言われようが、汪兆銘を擁立して日本にとって都合のいい政府をシナに作ろうとした。
これ自体、何ら悪いことではない。当たり前である。
ただ、こうした表面的な歴史のそのまた奥深くに、日本民族の本当の気持ちというか、低位に流れるものを考えてみたいのである。
具体的に言えば、たとえば外国に行って、「お前、シナ人か?」と相手から言われた時の、あの嫌な感じを思い起こしたらどうかというのである。
表面上は紳士的にうっすらと笑顔を浮かべて、「いえ、わたしはシナ人ではありません。日本人です」と言うのだろうが、なにか毎回、釈然としない気分が残る。
俺たちはシナ人ではない、おれたちはシナ人とは違う、俺たち、私たちは東海の倭人である。
シナ人と付き合う際、シナ人と向き合う際、こういう叫びを根底に含んでいないだろうか?
少なくとも私はそうだ。
そろそろ日本人は、本心を明らかにした方がいいのではないか。
この本、あまりにも素晴らしいので中巻、下巻と続きを書きたい。乞う、ご期待。
真珠湾の真実 (平凡社新書 796) 「歴史修正主義は何を隠したか?」 2015/11/13柴山 哲也 (著) そもそも、歴史修正主義って、何なんだ??

第4章 ルーズベルト大統領陰謀論はなぜ流布したか
日本の開戦責任について
2014/01/02(木) (平成3)年7月6日付ロサンゼルス・タイムズ紙の一面に、
米国民間人パイロットにより結成された対中国義勇団、通称フライングタイガースが、実は米国の正規兵であったことが米国当局によって公式に確認された、との記事が掲載された。
このフライングタイガースは、中国国民党(蒋介石率いる台湾政府)に協力して日本軍機を撃墜した部隊だが、これまで民間義勇軍であり米国陸軍省や米国大統領とは無関係であると米国防総省は主張してきた。
ところが同記事は、今までの主張を覆して米国務省がフライング・タイガース(AVG)の生存者100人を退役 軍人と認定した、と伝えたのだ。
「日米開戦五十年」の記念日のこの年、フライング・タイガース結成から50年にして、アメリカ政府は公式にフライング・タイガースを「義勇軍」ではなくて「正規軍」であったことを認めたのだ。
フライング・タイガースと言っても日本では知る人は少ない。
だがフライング・タイガースの存在は、アメリカでは第二次大戦の英雄として知らぬ者がいないといわれる。
1941年初頭から隊員の募集が始まった。 ←!!!真珠湾のはるか以前…
給料は月600ドルで、日本軍機一機を撃墜するごとに500ドルのボーナスが支給されるという破格の厚遇。
現役軍人から人員を募集する大統領特別令も出された。 ルーズベルトは500機からなる部隊を準備し、 中国派遣を命じた。 これが「義勇軍」フライング・タイガース(AVG)の実態であった。
↑たしかに、真珠湾は結果的に、「SNEAK ATTACK」(卑劣なだまし討ち)になってしまったが 1941年初頭からすでに日米は開戦状態だったことも日本国民は知った方がいい
軍人恩給貰ってるって、アメリカ政府が認めてるんだから、1941年初頭から、すでに日米は交戦状態に入ってる。
ルーズベルトは真珠湾攻撃の5か月前に日本本土爆撃OKを出した 茂木弘道 2011年8月3日
日本への先向爆撃計画「JB-355」を承認したルーズベルト大続領のサイン入り文書。
「1941年7月23日。了解―ただし、軍事使節団方式を採るか、アタッシェ方式を採るかについては再検討されたし。
FDR」
1941年7月23日、ルーズベルト大統領は、陸海軍長官の連名で(7月18日付)提出された合同委員会の対日攻撃計画書(JB355)にOKのサインをした。10月1日までに、350機の戦闘機と150機の長距離爆撃機を中国に供与して、中国の基地から神戸、京都、大阪の三角地帯と横浜、東京地区の産業地域を爆撃する計画である。中国空軍にやらせる計画であるが、その中国空軍の中枢にいわゆるフライング・タイガーと呼ばれる、偽装ボランティアのアメリカ陸海軍飛行士が派遣されていた。
https://hassin.org/01/opinion/1439
ところで、このJB355計画は大統領補佐官ロークリン・カリーが中心となって1941年初めから進めていた。カリーは後にソ連の工作員だったことが判明した男である。5月9日にこの計画について大統領に覚書を提出したのに対し、5月15日にはルーズベルトからその具体化を進めるよう指示の書簡が送られている。即ち、ルーズベルトは陸海軍からの提案を単に承認したのではなく、ずっと前からカリーを通じてこの計画を進めさせていたのである。ルーズベルトが対日和解など考えていなかったことはこのことからもはっきり確認できる。
日米戦の戦争責任者の筆頭はルーズベルトであることは明らかである。戦争責任論はそこから始めるべきである。 (2011.7.23)
「真珠湾攻撃」の5か月前 米が日本爆撃計画 「大統領も承認」/ABCテレビ
1991/11/24, 読売新聞
◆米・ABCテレビが「米の責任」論評 【ニューヨーク二十二日=藤本直道】
米ABCテレビは二十二日夜の報道番組「20/20」で、
日本軍の真珠湾攻撃の五か月も前にフランクリン・ルーズベルト米大統領は、
中国本土から日本への長距離爆撃計画を承認していたと伝え、
同大統領は日本を意図的に開戦へ追い込んだと論評した。
真珠湾五十周年を前に日本の奇襲を改めて強調する報道が多い中で、
米国の開戦責任を米国側からまじめに論じたものとして異色の番組。
この爆撃計画そのものは一九七〇年に公開された公文書の中にあったが、
その後歴史家に検証されることなくやみに埋もれていたという。
同テレビは当時のパイロットや大統領補佐官などの生々しい証言を伝え、
米政府が日本への石油禁輸を決めた時期と対日爆撃計画承認がほぼ同時期であり
大統領補佐官の証言からも、ルーズベルト大統領が日本を開戦に追い込む意図であったと論評している。
この計画はJB355と名付けられ、
一九四一年七月二十三日に大統領だけでなく当時の戦争長官、海軍長官なども署名。
ビルマから中国への物資補給路を援護するため中国に雇われた米人パイロット・グループ、
フライング・タイガースを率いるクレア・シェンノート氏がこのJB355計画にもからんでいた。
米政府は日本の弾薬工場や重要な産業施設を爆撃するため、長距離爆撃機六十六機を供与するほか、数百万ドルにのぼる経費や兵員も負担することを承認していたが、
これは当時の米国の中立法に反するという。 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
シェンノート氏は、この爆撃により
「日本の紙とマッチの軸で出来たような建物を灰に出来る」と報告していたが、
作戦実施に手間取っているうちに真珠湾攻撃が始まった。
12月の北太平洋というのがどういう状況であったか、元・海軍次官だったルーズベルトは知っていたはずだ。
俗に低気圧の墓場と呼ばれ、暴風雨が荒れ狂い、とてもじゃないが、真珠湾を攻撃するための大艦隊が通行できるとはルーズベルトでなくとも思っていなかったはずだ。だから、かれは、薄々、日本軍の攻撃があるとはわかっていたが、まさか、ハワイが標的であるとは考えられなかったのだおそらく。
じっさい、12月の北太平洋が凄い状況だということは、大正時代に演習で日本の巡洋艦が通過しただけで真っ二つになってしまった事件が証明してる。
