日本人の祖先は縄文人だった! ―いま明かされる日本人ルーツの真実 2021/長浜 浩明 (著) 展転社 これは、驚くべき本である。また、とても怖い本でもある。

健康 古代史 時事一般

長浜浩明氏の著作はここ10年くらい立て続けに出ていて気になってはいた。すべて、完璧に近い出来というくらい私のハートを鷲掴み(笑)である。

日本とアメリカ 戦争から平和へ《上》 アメリカ誕生、日清・日露・欧州大戦から日英同盟廃棄まで(ソフトカバー) 2017/長浜浩明 (著)アイバス出版

『新版 国民のための日本建国史』で、古代史に一石を投じた著者による近現代の日本戦争史の第1弾。 日本が関係する戦争の背後には、つねにアメリカの深謀が存在する! 本書では、アメリカの国の成り立ち、そしてなぜ日本が日清・日露戦争へ突き進んだかの真実に迫る。

↑日本古代史以外にも、この上中下、3巻の著作は見事だった。これもいづれ機会を改めて取り上げたいと思っている。

 

本書「日本人の祖先は縄文人だった!」は、ここ10年ばかりの間に長浜浩明氏が問い続けている日本人の起源にまつわる集大成的な本である。

「問い続けている」というのがポイントである。

なぜなら、著者は気になった人類学者、遺伝学者、歴史学者、考古学者に文字通り、自説を提示して問い合わせているからである。

何が怖いかといえば、すべての学者たちが、日本人の先祖を朝鮮半島から来たことにしたいという情報操作が行われているという、その一点である。

これはマスゴミにはもちろん取り上げられないが事実である。

 

著者について
昭和22年群馬県太田市生まれ。同46年、東京工業大学建築学科卒。同48年、同大学院修士課程環境工学専攻修了(工学修士)。同年4月、(株)日建設計入社。爾後35年間に亘り建築の空調・衛生設備設計に従事、200余件を担当。
主な著書に『文系ウソ社会の研究』『続・文系ウソ社会の研究』『日本人ルーツの謎を解く』『古代日本「謎」の時代を解き明かす』『韓国人は何処から来たか』『新文系ウソ社会の研究』『最終結論「邪馬台国」はここにある』(いずれも展転社刊)『脱原発論を論破する』(東京書籍出版刊)『日本の誕生』(WAC)などがある。

 

東京大学総長の佐々木毅氏が代表者作者であった「新しい社会6年 上」(平成14年発行 東京書籍)

「米づくりは、おもに朝鮮半島から移り住んだ人々が伝えました。」

ところが稲の専門家である佐藤 洋一郎氏の「稲の日本史 (角川ソフィア文庫) 2018」によれば、

本書は古代米などのプラントオパールや葉緑体・核DNAなど生物学的研究から導かれた日本のイネ(稲作)の歴史を記したものです。

日本人は弥生時代(以前よりだいぶ早まったが)からイネをつくってきたと学校で習ってきました。

しかし実は6000年前の縄文期から稲作が行われていたそうです。

そのイネは東南アジア山間部に多い熱帯ジャポニカという種類で、主に焼畑で根菜や雑穀とともに混作されていたと考えられています。

一方で水田稲作は縄文晩期に日本に伝わり弥生時代を迎えます。

そしてイネの種類は温帯ジャポニカが主となります。

しかしすべてが温帯ジャポニカ切り替わったわけではなく、熱帯ジャポニカもかなりの割合で混作され現在まで残されています。

イネの歴史から見れば、縄文時代から弥生時代への移行ははっきり区別できるものではなく、極めて緩やかに推移していったようです。

古典的埴原和郎の日本人二重構造説では、渡来人は水田稲作の技術を持って100万人以上が日本列島に到来したとされていますが、著者は懐疑的です。

素人考えだが、朝鮮半島から稲作というのは寒すぎて無理ではないか。

 

あきこ
5つ星のうち5.0 日本古代史を自然科学の視点から「定説」を覆した名著
2019年10月4日に日本でレビュー済み
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稲のプラントオパールやDNA分析から「稲は弥生時代からはじまった」「稲作・稲作文化は朝鮮半島から伝わった」「日本人二重構造説」という歴史教科書で教えられた定説を実証的に覆した。

稲は縄文時代に中国大陸から伝わったが、それに伴うヒトの移動は種族が置換するようなものではなかった。
縄文文化から弥生文化への変革は断絶するのではなく連続性があり、稲作が今日のような田園風景となったのは近世ではないかとのべている。帝国書院で発行している「図説日本史通覧」に掲載されている「弥生時代の水稲農耕のようす」のような風景はなかった、
などなど説得力のある根拠を示し論じている。

なのに、歴史教科書は縄文・弥生時代の記述や資料を一切見直そうとしない。
これも近隣諸国条項による大陸・半島への文部科学省の忖度なのか、私たちは歴史の真実を知ることにより現在そして未来をよりよいものとできるのではないか。真実を知らずにウソにウソを重ねた今日の歴史学者はなんと罪深いもことか、学者としての良心はどこにいったのか、ついつい思ってしまった一冊でした。
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これがわかりやすくよくできてる

稲作の伝来ウソだらけ!最新研究で分かった日本の稲作【ゆっくり解説】


ゆっくり日本の闇 チャンネル登録者数 1.44万人

日本で最も良く栽培されているb型の系統が、唯一朝鮮半島に存在しないというのがポイント。

中国本土での各DNAタイプの分布が分かればもっと面白いが、おそらくb型は海洋進出したグループが伝播し、他は陸路型だったと推定される。

ただ、倭人が朝鮮半島南部にも勢力を持っていたにもかかわらず、b型が栽培されなかったのは謎ですね。

 

ただ、もっと何も考えていなく、ちょうせん大好きという人もたくさんいる。

2023-06-21 隠された日本古代史;存在の故郷を求めて 2022/林 順治 (著)彩流社 「これぞ、昭和脳の悲劇?」

昭和脳ジャンプ(笑)と私が名付けている独特の思考だ。

左派の人特有のものである。司馬遼太郎なんかが有名どころでは典型だ。

半島から日本より優れたものがきたはずだ(じつは何の根拠もないのが驚きである)。

天皇陛下まで半島由来として、恬として恥じるところがない。まことに呆れた「日本人」だ。

統一教会の日本人妻合同結婚式、6500人も(大半がその後行方不明だと)、こういう無茶苦茶な「史観」が影響してるだろう。

 

最新の考古学の知見はこう。

水ノ江和同・考古学者「縄文人は海を越えたか?」より 朝日新聞出版 2022

「まず何と言っても意外であったのは、朝鮮半島における九州由来の考古資料の少なさ、九州における朝鮮半島由来の考古資料の少なさである。」

「しかし、この遺跡の状況を見る限り、縄文人と「交流」を行った痕跡は存在しない。
むしろ縄文文化の中にあって隔絶していた存在であったとも想定され、この遺跡には
縄文人がまさに「行き来」していた程度の痕跡しかうかがうことはできない。」

 

437名無しさん@恐縮です2020/01/26(日) 14:40:50.27ID:nG9Xq01D0
>>428 更に渡来人系は戦争捕虜系や百済難民系など色々あるんじゃね?

歴史学者、考古学者は軽々しく渡来人っていうけどそもそも、渡来人ってそんなにきてない 海があるから渡れないよ
弥生時代後期、古墳時代ふくめてもせいぜい2、3千人てとこだと思う。

40年くらい前、角川春樹が音頭とって野生号という小船で釜山から日本を目指したが、途中漂流(笑)。

しかも、果敢に海を渡れたのは半島の最下層ばかり。

そんなのが縄文人の中に入って何をする?

 

終戦直後の話だけどエンジン付きの船ですらこう↓

*1996年6月19日生野区中川小学校教職員研修会における金徳煥(キム・トックァン)さんの講演

さっきの話ですが、済州島にいる人たちを、親戚関係・ムラ社会を通じて、どんどん招ぶわけです。 「日本に来て働かんか。金儲けになるで。」というわけで、たくさんの人たちが日本にやって来ます。ただし、パスポートはありません。いわゆるドンドコ船と言いましたが、1週間、2週間、飲まず食わずで、 漁船の底に潜んで日本に来るのです。日本に来て、親類の人の所へ着けば、

 

7世紀の遣唐使でさえ約半分が渡れなかった。

国家公認の当時精一杯デカい船ですらそう。何万人も何十万人も、何百万人も(笑)渡来したなんてファンタジーにすぎない。

 

「古代朝鮮語」で云々 すでにその段階でダメ 古代朝鮮語なるものは存在しない。

新羅のリトのことを言いたいんだろうが、金石文でいくつか残ってるだけで日本語のルーツを解明できるほどの量がない。

古代朝鮮語は断片的には残っているのだが、日本書紀!などにあらわれる古代朝鮮語の単語は、同時代の日本語の語彙と一致していない。

司馬遼太郎はじめ、「古代朝鮮語」で云々言ってるのは胡散臭い。

朝鮮最古の三国史記は11世紀の書物  万葉、古事記、日本書紀より300年以上遅い。

 

朝鮮半島から船で渡ってくるのも容易なことではない。

ところが、6月のある1週だけ、対馬海峡で海流の動きが止まる時期があるという。
それを利用して朝鮮半島に10万の兵馬を送ったのが、かの豊臣秀吉の朝鮮征伐軍である。

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稲の渡来だけではもちろんない。

いちばんヤバいのは日本人の渡来に関することだ。とにかくこの人たち、頑固。
長浜浩明氏がいちいち本人へ問い合わせているが無しのつぶて。

 

唯一返信のあった藤尾慎一郎氏。

「朝鮮半島の人々が海を渡り、水田稲作文化を伝えた」(弥生時代の歴史)

 

幾度かのやりとりが長浜浩明氏との間であって、2007年7月3日から9月2日まで歴博で行われた企画展示、「弥生時代はいつから?」に藤尾慎一郎氏がつけたルート図「水田稲作の広がり」。そこで長浜氏の持論である、「朝鮮半島は関係ないのでは?」をぶつけたという。

 

長浜浩明氏の結論。

「……この事実は、かつて筆者が主張していたように、水田稲作は、オカボ同様、日本から半島に伝わったことを明らかにしています。

水田稲作の矢印は、日本から半島へとなり、話は逆さまになり、世の定説の崩壊を意味します。

それにしても、なぜここまでして「朝鮮半島の人々が海を渡り、水田稲作文化を伝えた」にこだわるのか。

「日本から半島へ水田稲作文化を伝えられた」と書いて何か不都合な点があるのでしょうか。まことに理解困難な話でありました。」

 

「韓国人は何処から来たか」長浜浩明 2014.1.20 展転社

半島は、BC10000年~BC5000年の間、旧石器遺跡が(わずかしか)出土せず、ほぼ無人だった。
BC5000年頃から、縄文人が列島から半島に渡り 定住を開始。
BC2000年頃から、大陸北方から人々が(先住の縄文人を駆逐するように)侵入し、縄文人と交雑し、縄文人と入替わって、半島人が生じた。

 

せっかくの、Y染色体・遺伝子マーカー分析、ハブログループ解明により、近隣の民族と明らかに異質のDタイプが日本人に発見され、固有種としての日本人を論じてもいいのに、なにか見えざる手に操作されるように、相も変わらず渡来人がたくさんやってきた(笑)ということにしたい、遺伝化学系の学者たちはもっとひどいという。

 

篠田謙一(国立科学博物館館長。日本の分子人類学者)
平成30年、NHK「サイエンスゼロ」における偏向評論については、長浜氏が著作で再三触れているのでここでは割愛する。

溝口優司(国立科学博物館人類研究部長)、神澤英明(国立科学博物館)も同様らしい。

↑こうしてみると、国立科学博物館に何があったと思わざるを得ない。

 

自分たちに都合のいいように、図表までその都度入れ替え!、肝心の部分を省き、朝鮮半島渡来説を「実証」(笑)しているというおぞましい状況。

稲作の伝来と、渡来人の渡来の論じられ方は似てる。

どうしても、朝鮮半島から来たと言いたい連中が忖度して操作して報じる論じる。気を付けたいもの。

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