無条件降伏は戦争をどう変えたか 新書 2004/吉田 一彦 (著) PHP研究所 無条件降伏要求というのは、一種の思考停止である。無条件降伏要求は、和平の大きな障害となったのである

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「無条件降伏」とは何を意味していたのか。

第二次大戦中の米国中枢部の思惑と、敵味方入り乱れての駆け引きを多彩なエピソードで綴る。

第二次世界大戦最中の1943年、カサブランカ会談において、アメリカ大統領ルーズベルトは日独伊に「無条件降伏」を突きつけた。

いかなる妥協も許さないその要求は、連合国首脳をも驚かせ、枢軸国側は必死の抵抗を試みた。

結果として戦争は長期化し、双方に多大な犠牲をもたらしたのだ――。

「個々の戦闘で相手側の部隊などに無条件降伏を迫る事例は、これまでの戦争にもあったが、一国に対してそれを公然と要求したのは、第二次世界大戦がはじめてである。しかもそれによって、相手国を根本的に変革しようというのであるから、歴史上未曾有の出来事と言わねばならないだろう」

なぜアメリカは無条件降伏に固執したのか?

前代未聞の過酷な要求は、どのような契機で生まれ、従来の戦争観をいかに変えたのか?

戦争に対するアメリカの潜在意識をあらためて問いなおす意欲作。

 

「無条件降伏」とは、そもそも、カサブランカ会談のルーズベルト大統領の思い付きから始まったことだという。

アメリカ軍関係者も寝耳に水だったという。

会談の相手、チャーチル首相も驚いて反対したという。

イタリアの場合は、ほとんど知られていないが(私も本書を読んで初めて知った事実ばかりだ)深刻な結果を引き起こしている。

イタリアの降伏にまつわる話のてんまつも非常に面白い。

ムッソリーニの後任のパドリオ元帥は、降伏文書の「無条件降伏」記載削除に強硬にこだわったという。

パドリオは、文書のタイトルを変更して欲しい、この文言はイタリア国民にとってきわめて屈辱的であるというのが、変更要求の理由であった。

そこでアイゼンハワーは、パドリオをなだめるために、一通の手紙を書こうと約束した。

イタリアは無条件降伏をしたが、いまや連合国に協力しているという文面である。

それでも、パドリオは無条件降伏の削除をあきらめなかった。

彼はチャーチルにもルーズベルト大統領にも手紙を書いて、事態の改善を訴えた。

結局、無条件降伏の文言は残り、時間だけがいたずらに過ぎていった。

それはドイツ軍を大いに利することになった。

ドイツ軍はイタリアにおける兵力の増強を着実に進めたからである。

7月にはドイツ軍のイタリアにおける兵力は8個師団に過ぎなかったが、9月には18個師団に増強され、さらに4個師団がイタリアに向けて移動中であった。
これがのちに連合軍を大いに悩ませることになる。

イギリスの著名な軍事史家であるリデルハートに、終戦直後、ドイツの将軍たちにインタビューした「ドイツの将軍たちは語る」がある。

それによると、彼が話を聞いたドイツの将軍は、異口同音に、無条件降伏の要求が戦争を長引かせたと証言しているのである。

この要求さえなければ、麾下の部隊はもっと早く降伏を受け入れたであろうと告白している。

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モーゲンソー・プランの衝撃

ドイツを完全な農業国にする。

このアメリカユダヤの財務長官・ヘンリーモーゲンソーによるドイツ敗戦処理案が波紋を引き起こした。

結局のところ、この計画に反対するアメリカマスコミの影響でなし崩しになって雲散霧消してしまったという。

アメリカ民主党(ルーズベルト大統領)のように、表向きアメリカ国民には、我が国は参戦しないといいつつ、裏でちゃっかりフライングタイガーを中国に派遣してて、日本になんとか最初の正式な一発を撃たせようとしていた姑息なアメリカ白人。

日本人差別主義者のルーズベルト大統領にとっては、真珠湾攻撃というのは文字通り、衝撃であったろう。

彼が頑迷固陋な「無条件降伏要求」というものを唐突に出してきたのも、ただただひたすら、悔しいという感情以外の何物でもないと思う。

 

リンドバークとかハミルトンフィッシュとか、全米母親連盟とか、戦争を避けるために会った方がいい人たちを当時の日本政府が相手にしたということは聞いたことがない。

チャーチルが、日米戦争反対のハミルトンフィッシュ(当時のアメリカ共和党の重鎮)を追い落とすために、対米プロパガンダエ作機関「イントレピッド」を組織して暗躍させてた事実とは大違いである。

共和党の下院議員で院内総務であり、ルーズベルトの幼馴染であったハミルトン・フィッシュは自著の中で、当時の共和党下院議員の九十%が日本との戦争に反対していた事実を明らかにしており、

ハルノートを指して「これによって日本には、自殺するか、降服するか、さもなくば戦うかの選択しか残されなかった」と強く批判し、「日本は天然資源はほとんど保有せず、また冷酷な隣国であるソビエトの脅威に常に直面していた。

天皇は名誉と平和を重んじる人物で、戦争を避けようと努力していた。

日本との間の悲惨な戦争は不必要。それは、お互い同士よりも共産主義の脅威を怖れていた日米両国に とって悲劇的だった。

我々は戦争から何も得るところがなかったばかりか、中国を共産主義者の手に奪われることになった」とも述べている。

ちなみにフィッシュは戦時中も「米国の敵は日独ではなくソ連だと」 主張し続けていた為に、アメリカに潜入していた英国の対米プロパガンダエ作機関
「イントレピッド」による中傷工作を受けて一九四四年に落選に至っている。

日本外交のなんと淡白なことよ!!
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「しかし、フィリピン沖海戦以後、遅くてもサイパン陥落以降は、日本の敗戦は決定的であった。この時点で和平の決断をしていれば、今次対戦での被害は最小限に食い止められていたのではないかとの思いを強くする。

ミッドウェー海戦の敗北以降の日本は、戦略的な攻勢をかける能力を喪失していたから、その時点で戦争終結を考えても良かったはずである。

それができなかった理由の一つは、連合国側の無条件降伏要求という、非常にして頑迷な態度に求められるであろう。

彼らは無条件降伏という建前に拘泥して、日本に対して和平の呼びかけをしなかったし、無条件降伏を前提としない日本側の和平提案をいっさい顧みなかった。

無条件降伏要求というのは、一種の思考停止である。無条件降伏要求は、和平の大きな障害となったのである。」




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