どきどき事件ファイルその8【実話】身分証も何もかもが偽物。病死した男は誰だったのか?夫はだれだった:「山森将智家」と二人の妻1991

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事件… それは時代を映す鏡かもしれない。独自の基準で内外の面白そうな事件を取り上げて事件の闇に迫る。

 

どきどき事件ファイルその8「【実話】身分証も何もかもが偽物。病死した男は誰だったのか?夫はだれだった:「山森将智家」と二人の妻1991」

 

この事件は不思議すぎる。

心に刺さったので取り上げたい。

 

1991年5月19日、50歳の男性が 東京都内の病院で病死した。男性は末期ガンだった。男性の名前は「山森将智家」の筈だった。

けれども男性の名前は「山森将智家」ではなかった。

名前どころか、戸籍記載事項から勤務先まで全てがウソだった。

真実を欲する妻を取材した「夫はだれだった」というタイトル記事が朝日新聞に掲載されたのは、同年の11月のことだ。

「夫はだれだった」の見出しと記事内容は、読み手の心を刺激したのだろう。
後年、同記事をモチーフにした小説『嘘を愛する女』(岡部えつ,徳間文庫,2017年)が発表され、翌年(2018年)には映画化されている。

 

【実話】身分証も何もかもが偽物。病死した男は誰だったのか?後に明らかになる衝撃的な事実とは…【山森将智家】


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夫はだれだった 5月病死、戸籍も勤務先も「ウソ」

東京都世田谷区の病院で今年5月、中年の男性が病死した。

その男性と5年間連れ添っていた女性(53)が、夫は本当はだれだったのか、今も調べ続けている。

男性は「山森将智家(やまもり・まさちか)、京都生まれで職業は医師」と自称していた。

本人の言う生年月日からは、亡くなったとき50歳。ところが、死亡届を出そうとしたところ、本籍地には「山森」の名前も親類も探し当たらない。

持っていた身分証明書や戸籍抄本のコピーは、いずれも偽物とわかった。

調べれば調べるほど、「山森」氏の過去は霧の中に消える。なぜ、自分を消そうとしたのか、それもわからない。

男性が死亡したのは5月19日。がんが全身に転移していた。

世田谷区役所は、内縁の妻のA子さんから事情を聴き、「山森」氏として埋葬を許可。A子さんの手で納骨された。

さまざまな遺品がある。

1)「昭和15年京都市左京区で出生」とある、戸籍抄本コピー
(2)昭和40年東大医学部卒業の証明書コピー
(3)顔写真をはった浜松医科大学職員の身分証明書

(4)ドイツ語の書き込みがある医学書やノート。簡単な診療器具のカバン
(5)男性によく似た軍服姿の父と母の写真
(6)原稿用紙700枚に及ぶ書きかけの小説。

(1)(2)(3)はどれも該当者がなかった。

A子さんと男性は、86年暮れに知り合った。離婚裁判を抱えていたA子さんは、相談に乗ってもらうようになる。男性は「過去」について雄弁だった。

両親を亡くし祖母に育てられたが、今は身寄りがないこと。心臓外科医で週末だけ研究室で実験していること……。

出会った翌年夏、世田谷区内の月7万円のアパートで、2人で暮らし始めた。
生活費にはA子さんの離婚慰謝料があてられた。
男性はふだんは家で読書をし、土曜日に「浜松へ行く」と言って出かけ、月曜まで帰らない。

若いころ結核を患い、内臓を悪くしたという。具合は悪くなる一方なのに、病院へ行くことは拒んだ。

健康保険などない。
昨年秋、ほとんど寝たきりになる。
A子さんも、このころから疑い始めた。
今年5月初め、寝たきりのはずなのに、男性が家を空けたことがあった。
あわてて浜松医科大に駆けつけたが、そんな人物は在籍していないという。

A子さんは詰問した。「あなたは一体だれなんですか」。死ぬ間際にこう言い残した。
「死ぬしかなかった。本当は生きていたかったんだ」 A子さんは「決して彼にだまされたとは思わない。

でも、2人で過ごした5年間のためにも、突きとめたいのです」という。
半年間、いろんな場所や人を尋ね歩いた。警察にも相談したが、手がかりは、まだ見つかっていない。

朝日新聞1991年11月4日付

 

 

SNSなどない時代のことである。それでも、夫の行方を捜しつづけていたB子さんにとって、この朝日新聞の記事はさぞや衝撃的であっただろう。15日後に意外な展開をみせる。

 

捜し続けるもう一人の妻がいた 「夫はだれ」

今年5月にがんで死んだ男性の自称していた本籍や勤務先がすべてウソと判明し、5年間連れ添ったA子さん(53)= 東京都世田谷区=が「夫はだれだったの」と身元を捜していたが、19日までに、この男性は神奈川県に住むB子さん(50)と24年前に結婚した電気設備業者だったことが、関係者の証言などで判明した。

男性は結婚後、5年ほどして行方がわからなくなったといい、A子さんと暮らし始めるまでの15年間は依然、空白のままだ。

今月4日付本紙で男性のことが紹介された後、寄せられた情報でB子さんの存在がわかった。

男性は、「1940年に京都市左京区で生まれ、職業は浜松医科大の医師」と称してニセの戸籍抄本コピーや大学の身分証明書などを持っていたが、B子さんによると、戸籍では1927年8月生まれで、死んだ時は63歳だった。

京都市生まれであること、大学医学部に入学したことは自称と同じだが、大学は卒業していないという。

A子さんに名乗っていた「山森将智家(やまもり・まさちか)」は偽名だったが、仕事などで使ったことがあった。

男性は、 東京の電気設備会社に勤務していた時にB子さんと知り合い、67年11月に結婚、入籍。本籍地は神奈川県内に置いていた。
男性の両親や兄弟とは絶縁状態で、結婚後も行き来はなかったが、A子さんに「父親の写真」として残したのと同じ写真が、B子さんの手元にもあった。

男性は72年ごろに退職し、東京で電気設備関係の会社を設立した。
しかし、受注がうまくいかず、営業の仕事で地方へ出張しているうちに連絡が途絶えた。

B子さんは、離婚や失跡宣告の手続きをしないまま、夫を捜し続けていた。
一方、男性は86年末にA子さんと知り合い、世田谷区内のアパートで暮らし始めた。

週末になると「浜松へ行く」といって出かける生活。昨年秋から体調が悪化し、今年5月、救急車で病院へ運ばれ、「死ぬしかなかった。
本当は生きていたかったんだ」と言い残して死んだ。

朝日新聞1991年11月20日付

 

「山森将智家」の正体は、1972(昭和47)年頃に神奈川県内から失踪した、1927(昭和2)年生まれ63歳の男性だった。

 

ずんだもんのYouTubeでの書き込みでも、北朝鮮工作員だとする書き込みが多いが、このケースは私は違うと思う。

北朝鮮側から、何のメッセージもないからだ。

 

古くは、静岡県の在日朝鮮人シンガンスから、日本は正に「背ノリ帝国」である。

立憲民主党の元外務大臣、前原某も私は背ノリくさいと思っている。

次回、背ノリの驚くべき実態について書きたいと思う。

乞うご期待

 

辛光洙(シン・ガンス、1929年6月27日 – )
静岡県出身の在日朝鮮人。日本名は「立山富蔵」。
太平洋戦争終結後に北朝鮮に移住し北朝鮮の工作員になる。

1973年に能登半島から日本国内に侵入。
1980年6月に宮崎県青島海岸で大阪府に住んでいた日本人調理師 原敕晁さんを拉致

その後同人になりすまして海外渡航を繰り返し、地村保志さん夫婦を拉致
さらに、曽我ひとみさんの証言により 横田めぐみさんの拉致実行犯である事も判明

1985年に韓国当局に逮捕され後に死刑判決を受ける
逮捕され、日本人を誘拐したと自白したシンガンスに、1989年日本の警察が日本で
聴取する予定のところを 大あわてで釈放を求める要望書を菅直人、江田五月らが
韓国政府に提出したことで日本での聴取はかなわなかった
菅直人、そのデモ行進では先頭に立ち横断幕を持って気勢をあげた @@@@@@@@@@@@

↑なぜ逮捕できないのか? アメリカみたく(共産主義が法律で禁止)、反日バカチョンコ禁止法が必要では??

 

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