本書は、日本の侵略と朝鮮支配に叛逆して上海で行動を起こし、金沢で処刑された尹奉吉に関するものです。
1932年4月29日、朝鮮人・尹奉吉は、上海で行われた天長節の式典で、爆弾を投擲し、上海派遣軍司令官陸軍大将白川義則など要人2名を死亡させ、要人多数に重軽傷を負わせました。
激烈な上海戦の最終局面における彼の行動は、中国人から広く賞賛されたことからも、尹奉吉の行動は上海戦と切り離すことができない関係にあります。
上海事変の全過程を捉え直すことで、上海抗日戦争と朝鮮独立運動との関連を明らかにし、侵略に対する抵抗の意味を考えるのが本書の内容です。
(目次)
第一部 上海 ─ほんものの戦争
第一章 不抵抗の満州事変
第二章 抵抗の上海事変
第三章 通説は成り立つのか
第二部 もう一つの抗日戦争
第一章 上海事変と独立運動
第二章 「白川は死んでいない」
第三章 顕になった負の側面
第四章 奪われないために
第三部 抗日に向き合う
第一章 埋葬地跡が示すもの
第二章 未来に何を残すのか
よって、本書は大きく二つに分かれる。
前半は、上海戦の目的について、多くの歴史家が採用する「列国の眼を上海からそらすため」との「通説」が持つ矛盾を明らかにして、
日本軍は何を目的に戦争を始めたのかを検証する。
本書 はしがき 5ページ
第二次上海事変に日本が軍隊派遣を決めたのは、3万人の日本人居留民を守るためだよ。
それ以外に理由なんかないよ。
軍国日本は、四面楚歌の中にいて味方はなく、一人で孤軍奮闘していた
◆「(上海)日本人居留地を総攻撃せよ(第2次上海事変)」ドイツ軍事顧問団・ファルケンハウゼン中将
ファルケンハウゼン中将は対日開戦を執拗に進言し、昭和11年(1936年)になると
「ヨーロッパに第二次世界大戦の火の手が上がって英米の手が塞がらないうちに、
対日戦争に踏み切るべきだ」と進言します。←←←!!!!
ttp://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2011/10/post-5889.html
もともと、蒋介石に日本を攻撃するように薦めていたのが、ドイツの軍事顧問のゼークトとファルケンハウゼン
日中戦争とは、その初期においては、いわばドイツ軍と日本軍の戦いだった
日本軍との戦闘で戦死者まで出している
ゼークトの在任中に上海周辺に構築された防御陣地は「ゼークトライン」と称される。陣地は1937年の第二次上海事変の際には
有力な防御拠点として期待されたが、それを裏切る格好で日本軍により攻略されている。
日本軍戦死者、1万244名!!!!
名古屋第3師団壊滅の被害!!
そして中国国民党に大量の武器を売ってボロ儲けしたのがドイツ
気息奄々たる上海の邦人工場 窮状を語る操業率 大阪朝日新聞 昭和6.11.15(1931)
上海にある各種工場は日貨排斥により、今や重大な危機に当面しつゝあるが、
二十四日上海駐在加藤商務参与官代理から外務省への入電によると、
何れも事業休止或は極度の縮小を余儀なくされ、この先排日貨が継続すれば
各工場軒並に休業するものと憂慮されている、
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?
↑土人は土人… 歴史は繰り返す…
それどころか当時の日中関係がこじれる前にも、日本側から融和策といえるものをたくさんやってきたはず。
例えば、大正6年から始まった西原借款だ。
西原借款(にしはらしゃっかん)は大正時代の日本で当時の中華民国北京政府の段祺瑞政権に対して行われた借款である。
交渉に当たったのが寺内正毅首相の側近西原亀三であったことからこの名がついた。
大蔵大臣勝田主計の主導により日本興業銀行・朝鮮銀行・台湾銀行が資金を拠出、1917年1月に決まった500万円の交通銀行借款を手始めに、その後1918年にかけて実施され、総計1億4500万円にのぼった(八八艦隊が完成した場合の年間維持費が6億円と見積もられていた時代のことである)また、3208万円の武器供与も行なわれた。
なお、勝田主計の子息で日本債券信用銀行頭取を務めた勝田龍夫によると、西原借款はそれを基礎として中国の通貨改革を進め中国を円経済圏に取り込もうという遠大な計画に基づくもので、借款総額は5億円を予定していたという。
更に西原は段祺瑞政権が日本円と同量同質の金券の発行を実施させ、朝鮮銀行(日本円)と交通銀行(中国元)の金券を相互通用させることで、事実上の日中の通貨統合を目指す構想を持っていたとする指摘もある(ただし、中国側に警戒感が強く交渉は難航していたという)。
↑西原借款みたいな、日中融和政策みたいなものは他にもたくさんある。
しかし、それらに対してことごとく反発してダメにしてきたのは、シナ及びシナ人ではないか。
中華思想ってつくづく駄目だなあと感じる。
反日バカサヨクのウソはもうたくさん。
ところでこういう本がある。↓ ↓ まず、反日を卒業するところから始めてみては(笑)
■朝鮮は世界一貧乏だっただけでなく、技術も資源もなにもなかったのだから日本の力なしに急成長などできるわけがない
◆THE NEW KOREA―朝鮮(コリア)が劇的に豊かになった時代 アレン・アイルランド(著)桜の花出版 (2013/8/26)
◆李朝鮮時代は良かった、日本統治のせいで台無しになった。
と韓国人は主張するが、そのすべてが嘘である事がこの本を読めばわかる。
韓国人が本書の内容を認めようが認めまいが、そんなことはもはやどうでもいいと思います。←ここポイント!!
彼らは反日プロパガンダを世界中に普及させようと、日々活動中なのです。
どうか皆さん、本書を地元や大学の図書館で備えてくれるように、購入希望を出してください。 また海外在住の日本人が利用できるよう、この本のことを教えてあげるか送ってあげてください。
◆87年前にニューヨークの出版社から刊行された、英国人研究者による日韓併合研究書の完全翻訳本です。
この時代に、日本が多大な費用を投下したことは知識としてありましたが、ここまで発展させていたとは…
今までの歴史観が一新しました。
大規模なインフラ整備だけでなく、医療、公衆衛生、社会福祉に至るまで、ここまでやるかという改善に驚愕しました。
著者のアレン氏は、当時の、英、米、蘭、仏のアジアでのやり方についても研究していたそうですが、 詳細なデータを基にした分析に、学者としてのプライドを感じます。
衝撃を受けると共に、日本人が過度に自虐的になっていることは滑稽なことであり、ここで止めなければと思いました
資料の写真も必見です。是非、今読んで欲しい本です。
◆原文の英語と日本語の完全対訳。見開きで左に英語、右に日本語というレイアウトです。 87年前、日韓併合時代に書かれた素晴らしい名文。
「日韓併合の是非について語るのはここでは最小限にとどめた」
(結局のところその結論は)「個人的な資質に左右されるからだ」。
「強国が地政学理由で隣国を併合する例は世界的に数多くあるし、
議論は既に尽くされている」と。
つまり、あなたが韓国人の民族主義者ならどんなに日本が善い政治が行なっても認めないし、 逆に韓国人自身によって行われる悪政もすべては善となるからだ。と
筆者はこれを1926年の日本統治時代に予見している。
事実として韓国人、日本人も日韓併合で変わった現実を ありのままに受け入れるべきだとして筆者はこれに
『THE NEW KOREA』というタイトルをつけた。
日韓併合について語られた底本となるべき本だと思う。
朝鮮は、日露戦争の直接的な原因を引き起こした後、 日本に外交権を没収され保護国となって出直すことになった
しかし、保護国となった後も明成皇后の売国行為はエスカレートしていき、
しだいに朝鮮国内では朝鮮王室に愛想を尽かした民衆が親日派(一進会)を結成 、
その規模は日増しに大きくなっていき朝鮮の多くの指導者たちは日本に併合を懇願するに至った。
そして、日韓併合され、朝鮮が欧米列強に売り渡した利権は日本が全て買い戻してあげたのです。
*高宗と閔妃(明成皇后)の浪費で利権は外国に売り払われ、大韓帝國は経済破綻。
1896/ ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権、鐘城の石炭採掘権、豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権売却
アメリカには京仁鉄道敷設権、雲山金鉱(平北)採掘権売却
イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権売却
フランスには京義鉄道敷設権売却
1897/ ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権、軍隊の教育訓練権売却
ドイツに江原・金城、金鉱採掘権売却
1898/ アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権売却
日本へ京釜鉄道敷設権売却
イギリスに平南・殷山金鉱採掘権売却
1899/ ロシアへ東海岸における捕鯨権売却
1900/ ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権売却
日本に京畿道沿海の漁業権 売却
1901/ フランスに平北・昌城金鉱採掘権売却
・日本は清国から朝鮮を独立させ露の影響を排除するのに尽力しましたが実際は日清、日露間交渉です。
日清戦争3万人、日露戦争で9万7千の尊い犠牲。戦い血を流し権利を獲得したのも私達日本人の祖先です。
独立させてもらった李氏朝鮮の高宗は、ロシアの公使館に篭って執務して、ロシア軍を引き込み馬山浦を提供し、 閔妃にいたってはロシアに税関を渡してしまう。
李朝の浪費により国家運営に支障をきたすほど借金もあり鉄道施設権、鉱山採掘権、漁業権、森林伐採権など売れるような権利は、ほとんど諸外国に売り払い経済破綻。
日本の想い描く列強の防波堤化になりませんでした。
↑こういう事実を見ると、日本の反日サヨクどもがいかに愚かで自分本位の資料しか見ないのがわかるだろう。
これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史2002/中塚 明 (著) 高文研 178P
「日本はなぜ、ふるい朝鮮観を引きづっているのか」より
「戦後50年決議」には、決議すること自体に反対して、「戦没者追悼・感謝の決議」の採択が地方議会であいつぎました。この反対運動を指導した会長が奥野 誠亮衆議院議員でした。
この反対運動のなかで彼はこう言いました。
こないだも言ったんだけれども、私たちは朝鮮支配なんて考えたこともありませんと。私は当時、内務省の役人だったんだが、朝鮮がよくなるように、台湾がよくなるように、努力してきたんですと。だから李さんが皇族の一員になったんだし、重臣が華族になったんですと。
学校もどしどし設置し、京城帝国大学まで作ったんです。そして、日本国になり日本人になったんだから、日本人と同じようにしたければ、させてあげようということで、日本流の「氏」を使い、名を使うなら申請すればそのようにしてあげましょうとしたんです。」
(月間国会ニュース 1995年4月号 編集長インタビュー)
↑まさに痛快丸かじりの奥野 誠亮さんである。奥野さんの一字一句に賛同する。惜しい人を亡くしたものである。
「それはまさにこの植民地の歴史上、最も耐え難い圧政が行われた時代であった。朝鮮人は朝鮮語を話さないようにと命じられ、改名を強いられ、数百万の朝鮮人が使い捨てにされたのだ」
↑はい、大嘘確定
奥野 誠亮(おくの せいすけ、1913年(大正2年)7月12日 – )は、日本の内務官僚、政治家。 「おくの せいりょう」と呼ばれることもある。
かつて自民党総務会で、野中広務が「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言した麻生太郎を糾弾したことがある。
そのとき奥野が「野中君、君は若いから知らないかもしれないが、麻生君が言うことは100%正解だよ。朝鮮名のままだと商売がやりにくかった。そういう訴えが多かったので、創氏改名に踏み切った。判子をついたのは内務官僚、この私なんだ」と言ったら、野中はそこで中座して出ていってしまった。
横で聞いていた野呂田芳成は「いや、奥野先生、今日はホントにいい話を聞かせていただきました」と感激していた。
ソース:「別冊正論」 第一号 http://www.sankei.co.jp/seiron/etra/no01/ex01.html
〈覆面座談会〉全国紙政治部記者・月刊誌編集者・週刊誌記者
注意★ 賠償じゃないよ、あくまで「経済協力金」
1965年日韓基本条約に向けた交渉 週刊新潮コラム 変見自在 高山正之
韓国側はまず「起訴状を朗読するようなトーンで」戦時賠償と植民地統治の謝罪を求めてきた。
それは「日本を破産させてしまうほどの巨額な要求だった」
これに対して日本側は朝鮮と戦争もしていないのに 何故賠償なのかと抗議する。
さらに日韓併合は国際法に則ったもので何ら不都合はなく
謝罪の必要もないと突っぱね、 だいたい植民地支配と言うが、実際は搾取どころか
逆に日本政府がカネを持ち出す開発型ではないかと反論する。
それが「禿山が緑に変わり、鉄道、電気が敷かれ、港湾が築かれた。
治水で水田も増えたではないか」 という久保田寛一郎代表(外務省参与)の発言だ。
これに韓国側が腹を立てて交渉が中断すると 当時の岡崎勝夫外相は
「当たり前のことを述べただけ」と韓国側を非難する。
今の福島瑞穂の大先輩に当たる鈴木茂三郎 勝間田清一ら社会党左派の連中まで
「李承晩になめられている」と怒る。 そして朝日新聞も「朝鮮統治では日本はいいことをした。
マイナス面ばかり言い立てるな」という久保田発言を支持し、韓国側の言う「植民地」という表現も使っていない。
結局、日韓会談はしばしの中断のあと、日本側の主張通り韓国側が「賠償」と「謝罪」という表現を引っ込め、
個人補償を含めた戦後補償の形で決着し、調印している。
↑痛快ではないか! その通り! この人たちが言ってることが正しい。現実の朝鮮半島を見てきて言ってる。
こんな反日サヨク史家でもあの日本学術会議会員であったことから、引退しているから、高額の年金をもらっているはず。
日本を不当に貶めた輩が高額の年金をもらう……
こういう不条理はなくさないといけないと強く思う。
反面、こういう愚かな反日サヨク史観というものの、存在意義についてあれこれ考えを巡らせてみた。
アメリカへのアリバイ?
アメリカから言うところの「太平洋戦争」を反省していると。
それ以外にないのではないか。
ただ、状況は変わってきている。
【日米】日高義樹 「日米安保条約はもはや賞味期限切れ。海兵隊撤退論や日本核武装容認論も出ている」★:2014/02/14(金)
韓国では虚構の自国史を国民に刷り込むことで民族の精神性を歪めている by榊淳司
榊淳司 チャンネル登録者数 2.94万人
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一方、こういう立派な大学教師もいる。筑波大学の古田博司先生である。
こういう人こそ、高額な年金をもらうべきだと思うが、皆さんはどう思われるでしょうか。
どしどし意見を寄せて欲しい。
【論説】 「南京30万人虐殺、慰安婦…ウソを実証つきで否定されると怒る中国・韓国の屈折」「日本の左派マスコミも問題」…筑波大教授
2012/10/17(水) ★筑波大学大学院教授・古田博司 日本軍と戦わない屈折が反日に
・中国の野蛮と韓国の野蛮が世界を騒がせている。彼らは日本人が面子をけがしたと言っているが、彼らはウソを つくことを恥と思わない。ウソや虚構が後戻りできないほど否定されたときに初めて恥を感じ、元の面子を取り返そうと 怒りだし躍起になるのである。
★筑波大学大学院教授・古田博司 日本軍と戦わない屈折が反日に
近代史上、韓国は日本軍と戦ったことがない。韓国が主張する戦いは1920年の青山里戦闘1回きりで、
敵は朝鮮人匪賊だった。当時の満州には、このようなアウトサイダーがあちこちにいた。
対日戦争を独立戦争として戦ったのは北朝鮮の故金日成国家主席と仲間たちだけだ。青山里の戦闘で勝ったというウソを定着させようと韓国は骨を折ってきたが、戦場に残ったのは日本軍であった。
敗けた方が戦場に残る道理はない。
韓国が英雄として誇るのは、あとは爆弾魔のテロリストだけだ。有能な人材は全て日本の近代化に参画したから、放浪者しか残らない。その放浪者の爆弾テロリストを英雄に仕立てなければならないのは、今の韓国の悲哀である。
長く英国支配に抗してきたアイルランドでは、このような卑劣を正義とは見なさない。ダブリンにある旧英総督府は、1916年の「イースター(復活祭)蜂起」の記念館になっているが、掲げられている英雄たちはみな蜂起の指導者で処刑された者たちである。
韓国は日韓併合は強制であり、不当だと言った。だが、当時の李朝の国庫は空であり、どうしようもなくなった王が日本の提案に妥協し5人の大臣に丸投げしたという史料が、3カ所から出てきてしまった。
国権強奪はなかった。 土地収奪はソウル大の経済史教授が否定した。
日本時代は、韓国に年率3・7%の経済成長をもたらし、民法典を与え所有権を確定した。
確定した側が所有権を無視し、土地を奪うはずがない。
朝鮮で取れたコメは経済原理に則って日本に輸出されたのだと、教授は主張した。
台湾の植民地統治は成功だったが、朝鮮のは失敗だったという、日本の左派学者たちの韓国の反日擁護の構図は崩れた
日本軍と戦わなかった者たちは自らの正義の記憶がない。
中国は南京事件を捏造する日本の市民派新聞に飛びつき、韓国は従軍慰安婦のウソに搦め捕られた。
日本の左派知識人やマスコミは結局、彼らの卑劣さを助長したのである。
中国人で日本軍に正面戦を挑んだのは、国民党軍であり、共産党軍ではない。中国研究者たちは1990年代後半から 戦いを主導したのは共産党だという恥ずべきウソに加担したが、今では正常心に戻っている。中国にいた日本軍を勝者として
武装解除したのは、国民党軍であり、満州の方を武装解除したのは、旧ソ連軍である。共産党軍は日本軍の武器を ソ連軍から供与され、この火力で戦後、国民党軍を台湾にたたき出した。
共産党軍が主張する戦いは、40年の百団大戦ぐらいのものだ。国共合作で国民党の援助を受けながら大敗し、
その後、執拗な日本軍の追撃を受け、党内でも批判された。中共の主力部隊が延安の山に逃げたことを、彼らは「長征」というが、征服した地はない。「長遯」がふさわしいだろう。満州にいた中共軍は44年までに、日本軍によって全滅した。第二軍の一司令官だった金日成氏は40年頃、国境を越えソ連領に逃れている。
日本が敗戦したのは国民党の中華民国であって、共産党の中華人民共和国ではない。私は東京裁判自体は正しいものだとは思わないが、戦勝国として戦犯たちに臨んだことは、台湾住民に勝利の記憶を残したことであろう。
この記憶が、台湾人の心をすっきりさせている。だから、彼らは反日である必要性を持たない。今日に至るまで親日だ。日本軍と正面切って戦わなかった者たちが、今も反日でしこっているのである。
南京事件の被害者数は年々増加する。戦闘1週間で30万人も殺せたならば、戦争はすぐに終わってしまうだろう
中国軍はそれほど惰弱だったのだと侮蔑することもできる。
だが、戦ったのは共産党軍ではない。国民党軍だった。
歴史共同研究で話し合えば共通認識が得られると思い込んでいる人々がいる。
だが、事実を明らかにする資料を示すと彼らは怒る
その時に初めて恥を感じ、面子を取り戻そうとするからである。
日本側はウソ自体を恥じる。だから研究して会議に臨む。「恥と面子の平行線」である。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121017/kor12101703180000-n1.htm
2015/04/18政治 村上春樹「日本には相手国が『もういい』というまで謝る姿勢が足りない」 [転載禁止](c)2ch.net
↑あー、朝鮮人とバカ左翼に生まれなくてほんとうによかった… どんなに異国で吠えてもチョンはチョン
↑連中にエサ(謝罪と賠償)をやってはいけない お前たちの歴史がみじめなのは、日本人の責任じゃない
★戦艦ミズーリでの降伏調印に出席した外務大臣・重光葵が義足だったのはご存知ですか??
朝鮮人テロリストの爆弾で失ったのです!! 白川大将は即死!!
1932年(昭和7年)4月29日、上海虹口公園での天長節祝賀式典において
朝鮮独立運動家・尹奉吉の爆弾攻撃に 遭い重傷を負う(上海天長節爆弾事件)
↑この朝鮮人テロリストの記念館が金沢にできると
韓国の独立運動家・尹奉吉の追悼記念館 4月に金沢で開館
1/30(木) 10:02配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/47aa129a97d694b5934b2cac04f44af360f01899
聯合ニュース
ソウルで行われた尹奉吉の追悼式(資料写真)=(聯合ニュース)
【東京聯合ニュース】韓国が日本の植民地支配から解放されて今年で80年になるのに合わせ、独立運動家の尹奉吉(ユン・ボンギル)の業績を称える追悼記念館が4月29日に石川県金沢市内にオープンする。尹奉吉は1932年4月29日に中国・上海で日本軍首脳部に爆弾を投げつけて死刑判決を受け、同年、金沢市で銃殺された。
【んでこんなモン建てる流れになったんだか…💧】韓国の異常な価値観!?日本に韓国の“英雄”テ〇リストの記念館が…
Hotch Potch チャンネル登録者数 7.46万人
6,783 回視聴 2025/01/31に公開済み #韓国の反応 #日韓関係 #政策
韓国では「独立運動家」と称えられるユン・ボンギル。
しかし、日本ではどう見ても「テ〇リスト」です。
彼は爆弾を投げ、日本人を死傷させたことで有名ですが、その男の追悼館が金沢市に日本に建つとは…!
韓国テロリストの記念館が日本の金沢に建ってしまう!?
竹田恒泰ch公式切り抜きチャンネル
チャンネル登録者数 34.9万人
4.5万 回視聴 1 か月前 竹田恒泰が語る!笑えるほどたちが悪い韓国の話!
韓国の爆弾テロリスト尹奉吉の記念館が
日本の金沢に立つ!?
どうして!??? …
↑この中で、竹田さんがおっしゃっているが、そんなことをすれば、憎しみが罪日ちょうせんじんに向かうのは当然ではないか!!
ホントにバカなミンジョクである。
外国人留学生優遇…250億円 ← せめて、反日教育してるところから受け入れるべきではない。世界に、親日国は数多い…
韓国児童の反日絵画展
http://shiratorijun.blog4.fc2.com/blog-entry-22.html
マインド・グロ注意
↑こいつらを好きになれというのは無理がある 韓国朝鮮人は、遺伝子レベルで反日差別民族
黄禍論とは何か 1999/8/1ハインツ ゴルヴィツァー (著), Heinz Gollvizer , 瀬野 文教 (翻訳)草思社 この1行にこだわりたい……「たしかに日本は、中国に対して傍若無人なふるまいをしたが、その一方ですでに…30ページ」

なぜ、日本の近代史から長崎事件が消されているのか?
なぜ、日本の近代史から長崎事件が消されているのか?
この本も勿論、長崎事件の「な」の字も出てこない。
「…日本は平和を願ったのだが、好戦的なシナのせいで、やむなく戦争になったと強調すること、失敗した軍事行動は記さないこと、
直接作戦に関することのほかは末尾に付け足しておけばいいーーといった指示である。」
↑と、中塚明も福島の図書館で発見したとする日本陸軍参謀本部の「佐藤文書」なるものを精査して云う。
全てのこの類の本に共通するのは、いきなり唐突に日清戦争開戦から始まり、朝鮮の王宮占拠に触れ、東学党の乱発生、鎮圧辺りに触れ、2万とも3万ともいわれるちょうせんじんの死者に触れ、日本軍やりすぎじゃないのかといった意見を述べる…
大体がこのパターンである。
福沢諭吉が自己資金を提供して、寄付金額たしか2位、他の日本人も挙国一致となったのに、なぜその熱い思いが忘れられているのか?
関東大震災・朝鮮人虐殺について思うこと… 問題提起。

関東大震災直後の9月3日に無政府主義者の朴烈(ぱくれつ)と愛人の金子文子が東京淀橋警察署に
連行され、朴烈は尋問にこう答えている。
「俺は日本の天皇、皇太子を爆弾投擲(とうてき)の最重要なる対象にしていた。
それで、爆弾が手に入ったらいつでも機会を見て使用するつもりだった。
できるだけ日本の皇太子の結婚式に間に合うよう計画を進めてきた」
シナ人の靖国神社放尿、江蘇省蘇州市の日本人切りつけについて思うこと…

放っておくと間違いなくエスカレートする。
そもそも、みんな忘れてるけど、かの第2次上海事変だって、「邦人保護」が第一目的だった。
当時、上海にいた邦人約3万人…
彼らを救うために日本海軍陸戦隊は派遣されたのだった。
気息奄々たる上海の邦人工場 窮状を語る操業率 大阪朝日新聞 昭和6.11.15(1931)
上海にある各種工場は日貨排斥により、今や重大な危機に当面しつゝあるが、
二十四日上海駐在加藤商務参与官代理から外務省への入電によると、
何れも事業休止或は極度の縮小を余儀なくされ、この先排日貨が継続すれば
各工場軒並に休業するものと憂慮されている、
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?
↑土人は土人… 歴史は繰り返す…
言ってはいけない中国の真実–橘玲の中国私論 橘 玲 (著) ダイヤモンド社 2015/3/5

大いに気になったのは、194ページ。「反日教育」批判は正しいか? のこの部分。
そもそも盧溝橋に日本軍がいたこと自体、間違えてるのだから…
↑この著者は、北京議定書を知らない??
軍の駐留が条約で認められている場合は侵略ではない。ここ、重要!!
北京議定書
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E8%AD%B0%E5%AE%9A%E6%9B%B8
北京議定書(ぺきんぎていしょ)とは、1901年9月7日に北京で調印された義和団の乱
における列国と清国・義和団との戦闘の事後処理に関する最終議定書。
日本の外交文書における正式名称は、北清事変に関する最終議定書である。
この状況は第二次世界大戦の終了まで事実上維持された。
日中戦争の端緒となった盧溝橋事件において「なぜ日本が中国の領域深くまで
当然のように兵を置いていたのか」という疑問を聞くことがある。
日本からすれば北京議定書に基づく権利の行使に基づいた駐留であり、日本を含む8ヶ国の列強が各地に駐兵していた。
領事館襲われ、居留民殺され、中村大尉殺され、逐次反撃して泥沼になったのが日中戦争
反日低能バカチョンコ左翼はまず基本的なことを知らなければならない。
侵略、侵略と言うことは、敵の余計な怒りを誘発する。