なぜ、ドイツと日本は戦争に“負けなければならなかった”のか?そして、天皇とはいったい何者なのか?ベラスコが生前、語った驚くべき情報をもとに、現代日本と世界を覆うタブーを抉り出す。前作『天皇の金塊』、『天皇の金塊とヒロシマ原爆』の原点とも
とにかく、目からうろこの知見が満載である。
日本もスパイ活動をやっていた。
日本側の責任者は、須磨弥吉郎特命全権スペイン大使。
スペイン・マドリードを拠点にその活動はTOと名付けられた。
世界中でスパイ活動をしており、アメリカの動きを逐一日本に伝えていたとベラスコは断言してる。
マンハッタン計画も、1943年の時点で部下を二人殺されながらもネバダの町で監視し把握して日本に報告してたという。
「ベラスコは、日本海軍が米英艦隊を徹底壊滅して戦勝国になり得た機会が少なくとも四回はあったと断じている。
たとえ情報が敵側から完璧にキャッチされていたにせよ、戦術、物量、装備、士気などが米英艦隊以上に優れていた初期の日本海軍機動部隊は、普通の参謀が指揮しても開戦初期から一挙に敵をつぶせたという。
なぜなら、ベラスコはTO情報を連合国と同じ発想、つまり戦争を支配するユダヤ系民族特有の思考と手口で収集分析したからこそ、武闘で争う日本勝利は確実だった。
しかし、日本は自国民固有の発想と価値観でTO情報を分析解析したからこそ誤ったのだとベラスコは口惜しがる。
日本海軍四回勝利説の戦場はどこか。
いわくミッドウェー海戦、ガダルカナルが完全勝利の場だった。
敵国の詳細な動きを伝えるTO情報の電文は悉く無視され破棄された。
そもそも初めから勝つ気などなく、日本側に有利となる情報は破棄されていった。」
一例をソロモン沖海戦に見てみよう。
TOは敵がガダルカナル島に大攻勢をかけようとしている情報を事前に入手して日本に送信した。
だが日本海軍はTO電文に無反応だった。
昭和17年8月20日、(暗)、馬徳里午後発、本省22日夜着、東郷外務大臣宛、須磨公使、 第909号(館長符号扱) 東情報(16日紐育(ニューヨーク)発)
1、海軍省に於て得たる情報に依れは最近豪州に16万3千噸の貨物(主として沿岸砲及 敵前上陸用快速艇)を積載せる大「コンボイ」無事到着、潜水艦及航母(複数)之を 警護し途中一度も敵より発見乃至攻撃せられさりし趣なし
2、十日「ニューオルレアンス」より4隻(夫々9700噸、6790噸、4595噸、)「パナマ」向け出発せるか長距離飛行の性能ある海軍飛行艇を積載居れり
独、伊に配電せり
大反撃開始の予告電文だった。
この日本入電の3ヶ月前、日本軍はガダルカナル島に上陸占領した。
TOからのこの電文を、米国軍がガ島の反撃奪回を意図している動きだと見抜いた東京の参謀本部の人間は皆無だった(当時、陸軍と海軍の中が異常に悪かった。東条大将はどうしたら海軍と一体になって戦争が出来るのか悩んでいた。
このTO電文はそのまま外務省符号扱来電綴りの中へ直行した。
こんな調子で公表されないまま、永遠に綴りの中に仕舞われた電文は枚挙のいとまもなかろう。
「ベラスコの『原爆ノート』によれば、ベルギーで保管中の原爆の管理責任者はロンメル将軍とシュバイデルだった。
彼がアイゼンハワー連合軍最高司令官に原爆を手渡した。
その裏切り行為が発覚してロンメルは処罰されたという。
これまでの歴史家が伝えるロンメル自殺の原因は、ヒトラー暗殺未遂事件の容疑とされているが、ナチス原爆横流しの罪だったとはされていない。
ナチス原爆の管理者とされたシュバイデルの天下り先NATOを創設支援したのはドイツ・マーシャル財団である。」
ハンス・シュパイデル(Hans Speidel, 1897年10月28日 – 1984年11月28日)は、ドイツの軍人。第一次世界大戦、第二次世界大戦に従軍。戦後は北大西洋条約機構(NATO)で中央ヨーロッパ陸軍総司令官を務めた。兄に航空兵大将のヴィルヘルム・シュパイデル(ドイツ語版)がいる。
↑バリバリのドイツ軍人だったのに、戦後、NATO軍のリーダーになれたのは、アメリカ側からの原爆提供に対する「お礼」だと。
長崎原爆はアメリカ製だが、広島原爆はナチス製であると、ベラスコは断じる。
起爆方式が全く違う二つの原爆。
長崎はアメリカがトリニティ実験で実際に爆発させた原爆である。
ただ、広島の方は実験していない。
これは確かな事実だ。
つまりナチス製の広島原爆はベルギーでロンメル将軍によって連合国に引き渡され(看護婦数人との捕虜交換を表向きの口実として)、広島で投下されたというのだ。
高橋 五郎氏が調べたところでは、実際にベルギーの森で看護婦との捕虜交換が行われたという。
ただ、そのタイミング、交換の実際に間尺に合わないものが多く「奇妙な捕虜交換」と軍事史家の間で言われているものだという。
この事実はNHKで「日本を愛したスパイ」と題してドキュメンタリーとなった。
かつての「同僚」元・大使館員の三浦公使(老衰でベッドで受けてるインタビューが痛々しくも悲しい)の姿が何年か前まではようつべで見られた。
併せて読みたい
スパイ“ベラスコ”が見た広島原爆の正体 2006 高橋 五郎 (著) 学研プラス
広島に落とされた原爆はアメリカが製造したものではなく、本当はナチス・ドイツが密かに製造していたものだった。第2次世界大戦の裏で活躍した大物スパイ、ベラスコが語る驚異の裏面史。はたして、それは真実なのか。幾多の証拠をもとに検証する。