真珠湾を描くハリウッド大作で黒澤はなぜ解任されたのか。米側の資料からその軌跡を再現した迫真のドラマ。大宅賞ほか3賞を受賞
黒澤明フリークには堪らない1冊。
堂々550ページの大部の本だが,読み飛ばしていいところは一か所もない。
結論から言うと、「そのとき黒澤明監督は、キチガイだった」ということになる。
自分がプロデューサーの立場だったら、間違いなく解任したであろう。
トラブル、多すぎ!
日米の映画についての考え方のちがいとか言ってる意見もよく見るけど、そういうのはこの問題に関しては一切関係ない。
それに、黒澤明監督は、日本の京都の東映のセットで、室内場面ばかり撮っていたわけだし…
九州にじっさいに作られた戦艦長門の原寸大巨大セット。手前は空母赤城
このトラトラトラの2年前にも、アメリカで黒澤明監督でじっさいに撮る寸前で中止に至った「暴走機関車(ランナウェイ・トレイン)」というのも、新聞記事から膨らませて、じつに見事な企画だと思ってたが、やっぱり、やらないで正解だと思ってしまった。
このトラトラトラの場合もそうだが、編集権すらなかったというではないか!
続けていたら、更なる大トラブルが発生したことは明らかだ。
言うまでもなく黒澤明監督は編集の天才だ。
撮影というのは編集のためのネタを集めるものと豪語するくらいだから。
アメリカでは、組合の力が凄くて、監督はカメラすら覗けないと聞く。
当然、それはカメラマンの職域の侵害になるからという。
この本を読んでいちばん感銘を受けたのは、アメリカ側のプロデューサー、エルモ・ウィリアムズの黒澤明監督に対する儀礼と敬愛に満ちた態度である。
撮影開始早々から、トラブル続出…
それを時系列でみられるのは至福。
我慢に我慢を重ねて、これでもう終わりと決断するところはこの本のまず第一のハイライトである。
第2のハイライト(エピローグ)は、2002年、晩年のエルモ・ウィリアムズにインタビューするところだ。
大傑作「真昼の決闘」1952の編集者であり、
傑作「フレンチコネクション」1971のプロデューサーでもある。
アメリカ映画界の巨人である。
よもやま話が、ひと段落したころ、そもそもの何故、「トラトラトラ」にクロサワを起用したのか改めて聞いた。
彼の映画が好きだったからだ。絶妙な編集のリズムがある。
中でも、「生きる」が一番好きだという。
クロサワはもともと心の優しい、とても性格のいい人なのだと私は思ってる。
しかし、彼は最後まで私に対して、心を開かなかった。
やることなすこと八方ふさがりで、スタッフにそっぽを向かれていた。
このままでは大変なことになる。
それをクロサワは誰よりも感じ取っていたのだと思う。
あのような形で彼を解任せざるを得なかったのは残念でならない。
後年、「影武者」が制作されたとき、コッポラとルーカスがわざわざ北海道で撮影中の現場に来て、
「アメリカ配給は私がやる。今回は前回(トラトラトラ降板事件)のお詫びの意味で協力したい」とコッポラ監督が言っていた。
どんだけ、崇拝されてるのかと思ったものだ。
映画「トラ・トラ・トラ」 – オープニング
12万 回視聴 13 年前
真珠湾攻撃を描いた日米合作の名画「TORA! TORA! TORA!」よりオープニング。Jerry Goldsmithの勇壮な音楽と大日本帝国海軍が描かれた名オープニング。
↑何より凄いのが、「黒田節」をもとに巨匠ジェリーゴールドスミスがつけた音楽だ。
この圧倒的な様式美!!
北九州沖に作られた戦艦長門の原寸大のセット。
「我々は、日本帝国海軍よりも、この作品に予算を使った」 監督・リチャードフライシャー