史話・日本の古代〈別巻〉古代人のコスモロジー 2003/谷川 健一 (著)作品社 物部の東遷・東遷は2度あった

健康 古代史 時事一般

いまの畿内が古代にどんな有様だったのか、大和朝廷の始まりについて、興味がある。

昔からいろいろ読んできて、これは頭抜けてる、これに共感するといった説を紹介したい。

民俗学者の故・谷川健一氏の「物部の東遷・東遷は2度あった・九州遠賀川より」が最も説得力がある。

隠された物部王国「日本」 2008/谷川 健一 (著)情報センター出版局

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かつて列島に併存していた「倭国」と「日本ヒノモト」。 「日本ヒノモト」はいつ、だれによって併合されたのか

 

※『旧唐書』(列伝第149上)「東夷」倭国・日本国

【原文】日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰、倭國自惡其名不雅、改為日本。或云、日本舊小國、併倭國之地。

【書き下し文】日本国は、倭国の別種なり。其の国の日辺に在るを以て、故に日本(ひのもと)を以て名と為す。

或は曰く、倭国、自ら其の名の雅(みやび)やかならざるを悪(にく)みて、改め、日本と為す。

或は云ふ。日本は旧(かつて)小国にして、倭国の地を併せると。

 

【現代語訳】日本国と倭国は別々の国である。

日本国は、倭国の東方(日が昇る方角)にあるので、「日本(ひのもと)」を国号とした。

あるいは、「倭」という文字がいい意味ではないので嫌い、改めて、「日本」と称したと言う。

あるいは、「日本」は小国であったが、倭国と併合したという。

 

↑これをどう解釈するか。

学者は、この『旧唐書』の記述を「小国だった日本国=天武天皇が、『壬申の乱』で大国の倭国=弘文天皇を倒して、「日本(天武政権)」が成立した」ということだと解釈しています。

言い換えれば、天武天皇が『壬申の乱』で勝って、国名を「倭」から「日本」に変え、君主の称号を「大王」から「天皇」に変え、「法(大宝律令)や国史(『日本書紀』)を整備して、一人前の国にします。

もう東夷(東の野蛮人の国)とは言わせません」と宣言したということであるとしています。

 

学者がなぜこんな苦しい説明をするかと言うと、「日本」という国号は天武天皇が考えたもので、それ以前に「日本」は存在しなかったというのが学説だからです。

消された物部王国「日本」(ニギハヤヒ王朝)を無視しているのです。

 

「私は邪馬台国の東遷に先行して物部氏がきずいた最初の根拠地の河内の日下(草香)こそが『旧唐書』にいう日本であると考える。

河内の日下は物部氏の最初の根拠地であった。

そこは難波の海の東端であるという地理的位置も加わって、ヒノモトと称せられたのである。

河内の日下を根拠地とした物部氏が、その勢力範囲をひろげ、やがては在地豪族のナガスネヒコと協力しながら、河内・大和に一つの王朝をきずいたのではないかと。

倭国が日本国を併合したという「新唐書」の記述は、倭奴国の流れをくむ邪馬台国が、日本(ヒノモト)の主催者であった物部氏を打倒したという歴史的事実にも適うのである。

日本(ヒノモト)を河内の日下を起点として発展した弥生終末期の物部王国のことである、と考えるとき、もっともつじつまが合うのである。」

 

ただ、先にいたニギハヤヒも「九州人」の物部族だったから、そのあたり古事記でも歯切れが悪い。

やがて、侵入してきた神武天皇の勢力と協調して生きていこうと決めた勢力(内物部)と、そうでない勢力(外物部)に分かれた。

たとえば、伊福部氏の祖先は、はじめ銅鐸を作っていたが、鏡づくりに方針転換して生きることになった。

それでたくさん作られて配られたのが三角縁神獣鏡だと思う。

とにもかくにも、畿内説はすでに破綻しているのではないか。

三角縁神獣鏡が現在まで600枚以上も出土している。

小林行雄が分配説で畿内説を補強して一世を風靡したが、卑弥呼が100枚しかもらってないのに(笑)、すでに600枚、700枚を超える説もある。

正式な手続きを踏まず古物商などに流れたものを含めれば優に1000枚は超えていよう、とはおかしいではないか。

三角縁神獣鏡はまちがいなく国産だよ。

あと、鏡の埋葬状況が、弥生時代後期の九州の墓と、畿内の古墳時代の鏡の埋葬状況では明らかに「ぞんざい」に扱われているという現実が実際にある。

これは、明らかにシナの「威信」を借りて、鏡が日本で作られ、九州を真似て、畿内の古墳にたくさん配られたからではないだろうか。

 

世の大学の歴史学者たちはそれでも頑なに畿内説支持というのだから恐ろしい。

税金の無駄遣いではないのか。

 

「先代公事本記」にいう。

天物部ら二十五部の人々が、同じく兵杖を帯びて天降り、仕えた。

筑紫弦田物部(つくしのつるたもののべ)等の祖、 天津赤星(あまつあかぼし)。

二田物部(ふただ)。当麻物部(たぎま)。芹田物部(せりた)。鳥見物部(とみ)。横田物部(よこた)。 嶋戸物部(しまと)。浮田物部(うきた)。巷宜物部(そが)。足田物部(あしだ)。須尺物部(すじゃく)。田尻物部(たじり)。

赤間物部(あかま)。久米物部(くの)。 狭竹物部(さたけ)。大豆物部(おおまめ)。肩野物部(かたの)。羽束物部(はつか)。 尋津物部(ひろきつ)。布都留物部(ふつるのもののべ)。 住跡物部(すみと)。讃岐三野物部(さぬき)。相槻物部(あいつき)。

筑紫聞物部(つくしのきく)。播麻物部(はりま)。
筑紫贄田物部(つくしのにえた)。

↑驚くべきことに、遠賀川流域に、九州北部を中心にこれらの氏族の痕跡(神社、地元伝承など)が残っていることを、谷川健一と、民俗学者の鳥越憲三郎が実証している。

 

吉野ヶ里遺跡から、小銅鐸の現物、その鋳型まで発見されて考古学会を驚かせたが、それを近畿に持ち込んで、巨大化させたのも九州から畿内へ入った物部氏であろう。






「ゼロ代天皇」の墓/ニギハヤヒを探せ01


ニギハヤヒの息子が新潟を開拓した!/弥彦神社


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↑新潟まで行って、弥彦神社のあたりを、開拓したのも神武勢力と、たもとを分かった「外物部」であろう。そういえば、田中角栄の生まれた所にも物部神社があったっけ。
流れ流れて、彼らは秋田まで行きつく。

 

秋田「物部文書」伝承 (1984年) 進藤 孝一 (著) 無明舎出版

秋田県仙北郡協和町の唐松神社(天日宮)に古代史に関する文献があるという噂はすで に戦前からあり、同社に伝わる神代文字の祝詞が公表されたこともあった(小保内樺之介 『天津祝詞の太祝詞の解説』)。

しかし、その歴史関係の文書はなかなか公開されること がなく、ついに一九八四年、物部長照名誉宮司の英断で、その内容の一部が示されること になったのである(新藤孝一『秋田「物部文書」伝承』)。

 

「日本の国号」岩橋 小弥太 (著) という、昭和45年に出版された本がある。

赤い帯に、辞書編集で著名な久松潜一氏と、正統な日本史の坂本太郎氏の推薦の言葉がある、すごい本だ。

「日本」という国名の歴史については、百科事典や歴史事典にも説明がない。日本・やまと・大八洲・倭など主要な呼称十余種を中心に、国号の起源・意味・由来を歴史・文学の両面から分り易く解き明かした唯一の書。

 

しかし、私が読むところ、谷川健一説に比べて驚くほど的外れな本だ(笑)。

ホント、恐ろしいほど分かってない。

「正統な日本史」というものが、これほどひどいものなのかということを、知らしめてくれるには、いい本である。

 

併せて読みたい

四天王寺の鷹 謎の秦氏と物部氏を追って (河出文庫) 谷川健一 (著)

四天王寺は聖徳太子を祀って建立されたが、なぜか政敵の物部守屋も祀っている。守屋が化身した鷹を追って、秦氏、金属民、良弁と大仏、放浪芸能民と猿楽の謎を解く、谷川民俗学の到達点。

青銅の神の足跡 (1979年) 谷川健一 (著) 集英社

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古代日本に登場する独眼の金属神とは? 埋もれた銅鐸は何を物語るのか? 柳田国男の「一目小僧」論を批判しつつ、地名や土地の神々の伝承を通じて、闇につつまれた記紀成立以前の古代社会をさぐる。

白鳥伝説〈上下〉 (小学館ライブラリー) 1997/3/1谷川 健一 (著)

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安倍・安東・藤原氏など、古代から中世にかけて登場する東北の豪族と白鳥伝承とのかかわりの陰に、邪馬台国の東遷によって敗走した物部氏とエゾとの秘められた歴史を探り、古代東北の歴史を再検証。

 

太古日本の迦具土かぐつち

太古日本の国土に秘められた謎の地霊伝承を発掘、その全貌を解明した幻の書を完全複刻!

川口興道

大和盆地に広がる太古の湖水・よみがえる縄文の魔神カグツチ…太古日本の国土に秘められた謎の地霊伝承を発掘、その全貌を解明した幻の書を完全複刻。

本書は記紀、旧事紀の言霊的解読と畿内各地の民俗口承の分析から、かつて大和、河内、山城方面から伊賀上野盆地に広がる巨大な湖が存在したことを論証し、さらにその古代大湖と琵琶湖の間の民族移動が国生み・神生み神話のモデルとなったことを考証したものである。

「迦具土」とは本書によると本来は太古伊賀湖水に宿る地神の名であり、さらに太古の畿内を襲った大災害の記憶を封印した神名である。

神話の高天原が近江伊賀方面を中心として甲斐、飛騨、信州にかけて実在した聖域であり、その伝承が現代まで連綿と伝えられているとする点において、本書の内容は大石凝真素美の根源人種論や、富士古文書などの神代史と関連し、壮大な太古風景のビジョンを眼前に彷彿とさせるに充分である。

この種の神代史ものとしてはいちばん面白くかつリアリティがある。

↑畿内の古代といえばこの本が欠かせない。作者不詳のこの本は凄い。

地名をたどってみれば、まんざら噓八百でもないようだし、何より優れた幻想小説としても読める。






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