シナ人の靖国神社放尿、江蘇省蘇州市の日本人切りつけについて思うこと…

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https://news.yahoo.co.jp/pickup/6505526
【速報】中国・日本人学校バス襲撃事件で52歳の男を逮捕…母子切りつけられケガ 中国外務省「偶発的」説明FNNプライムオンライン(フジテレビ系)

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解説
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24日、中国東部の江蘇省蘇州市で、日本人の親子が中国人とみられる男に刃物で切り付けられた事件で、25日午後、蘇州市の警察当局は、今回の襲撃事件で52才の男を現行犯逮捕していた

 

放っておくと間違いなくエスカレートする。

そもそも、みんな忘れてるけど、かの第2次上海事変だって、「邦人保護」が第一目的だった。

当時、上海にいた邦人約3万人…

彼らを救うために日本海軍陸戦隊は派遣されたのだった。

 

気息奄々たる上海の邦人工場  窮状を語る操業率   大阪朝日新聞 昭和6.11.15(1931)

上海にある各種工場は日貨排斥により、今や重大な危機に当面しつゝあるが、
二十四日上海駐在加藤商務参与官代理から外務省への入電によると、
何れも事業休止或は極度の縮小を余儀なくされ、この先排日貨が継続すれば
各工場軒並に休業するものと憂慮されている、
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?

↑土人は土人…  歴史は繰り返す…

 

暗黒大陸中国の真実 【新装版】 2020/ラルフ・タウンゼント (著), 田中 秀雄 (翻訳), 先田 賢紀智 (翻訳)芙蓉書房出版
https://dokidokitenkataihei.com/raruph/

 


第二次上海事変でのガスマスクを装着した日本海軍の上海特別陸戦隊。

防毒マスクを着用して(上海)白保羅路の崇德女學附近で攻勢に出る日本帝国海軍陸戰隊

 

昭和11年(1936年)8月 第二次上海事変勃発。(日本軍戦傷者5万人・旅順に匹敵)

上海の日本海軍陸戦隊約2,200人は軽装備で、ナチス・ドイツの支援を受けた精鋭の

中国中央軍70万人以上と、非戦闘員に変装した中国共産党軍ゲリラ4万人以上の攻撃から、

武器を持たない無防備な日本人居留民3万人以上を守っていた。

上海に停泊している第三艦隊(旗艦・出雲)が、中国側への抑止力となっていた

軍艦・出雲は、日本人居留民にとって守護神であったが、中国人にとっては悪魔であった

中国軍(国民党軍)は、国際法を無視して陣地に第三国の国旗を立てて外国権益を巻き込み、
一般人を装って市内で放火や略奪や殺人行為を行った

揚子江流域の諸都市には、中国人を友人と信じ込んだ3万人以上の日本人居留民が取り残されていた。

揚子江沿岸にいた犯罪者集団に近い旧軍閥の中国軍50万人以上は、150万人以上の
戦争難民を上海租界に追い込みながら、上海に迫った

戦時国際法を無視して、一般人に変装した数万人の中国兵を上海に送り込んだ

中国共産党は、日本を戦争に追い込む為に、中国人を暴徒に仕立てて

日本軍の後方で震え上がっている無防備な日本人居留民を襲撃した

反日派朝鮮人は、租界内のキリスト教会を拠点として抗日派中国人に協力して、

テロ活動を行っていた。反日派朝鮮人テロリストのほぼ全員が、洗礼を受けた、敬虔なキリスト教徒であった。

軍国日本は、四面楚歌の中にいて味方はなく、一人で孤軍奮闘していた

 

◆「(上海)日本人居留地を総攻撃せよ(第2次上海事変)」ドイツ軍事顧問団・ファルケンハウゼン中将

 ファルケンハウゼン中将は対日開戦を執拗に進言し、昭和11年(1936年)になると
「ヨーロッパに第二次世界大戦の火の手が上がって英米の手が塞がらないうちに、
対日戦争に踏み切るべきだ」と進言します。←←←!!!!
ttp://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2011/10/post-5889.html

もともと、蒋介石に日本を攻撃するように薦めていたのが、ドイツの軍事顧問のゼークトとファルケンハウゼン
日中戦争とは、その初期においては、いわばドイツ軍と日本軍の戦いだった

日本軍との戦闘で戦死者まで出している  

ゼークトの在任中に上海周辺に構築された防御陣地は「ゼークトライン」と称される。陣地は1937年の第二次上海事変の際には
有力な防御拠点として期待されたが、それを裏切る格好で日本軍により攻略されている。

日本軍戦死者、1万244名!!!!

 名古屋第3師団壊滅の被害!!

そして中国国民党に大量の武器を売ってボロ儲けしたのがドイツ

 

第九師団歩兵第七連隊の戦闘詳報の歩兵第七連隊の死傷表によると、

2週間の戦闘で兵士2566人中、死者450人、負傷者905人、兵士の損耗率は53%に達していた。

中国国民党軍は予想を上回る強力な武器を持っていた!!

その武器はチェコスロバキア製のブルーノZB26という軽機関銃であった。

毎分550発を連射でき、命中精度も高く世界最高水準の軽機関銃と言われていた。






さかのぼること、10年前には「ホントの南京事件」が起きてる。

1926年7月からソ連の莫大な援助をもとに、蒋介石が張作霖の打倒を目指し北伐を開始しました。

そして、3月の南京占領の際、支那兵は突然、日本領事館を襲いました。

館内には領事夫妻を始め領事館員の家族や武官、南京市内に住む日本人が避難していました。

金庫はハンマーで叩き壊され、女性は服を剥ぎ取られ裸にされ金目のものを持っていないか確認され、子供たちは泣き叫び、地獄絵図となりました。

領事夫人は27人に輪姦され、30数人いた日本人婦人は少女に至るまで陵辱されました。

その際、日本領事館員も日本軍人も、避難してきた日本人居留民も、まったく抵抗しませんでした。

海軍陸戦隊は武器も持たずに領事館にいたのです。

荒木大尉一行は武器を持っていなかったため、茫然と見ているしかなく、後に荒木大尉はそれを恥じ、「申し訳ない」として自決することになります。

これが「南京事件」です。これこそが「南京事件」です。

ちかごろはインチキウソ話の「南京大虐殺」ばかりが取り上げられるようですが、それ以前に、南京攻略まで至る様々な出来事があったのです。

 

死者だけは出なかったので幸いでしたが、英、仏、米の領事館、民間人には死者が出ました。

そのため、揚子江のイギリス軍艦は南京城内へ砲撃しています。しかし日本の軍艦 は何もしませんでした。

なぜなら当時の幣原外交は弱腰で「支那を刺激しないように」という訓令があったためです。

日本の外務省は事を荒立てないため、広報に「わが在住婦女にして陵辱を受けたるもの一名もなし」とまったくの嘘を書きました。

退去令が出され、揚子江流域からは日本人は全員着の身着のまま財産を放り捨てて内地に引き揚げざるをえませんでした。幣原外交は「日支友好」「不干渉主義」でした。こうした外交は支那の対日政策を増長させていき「ちょっと暴れれば日本は逃げていく」と思われ、暴力はエスカレートしていったのです。

「揚子江のイギリス軍艦は南京城内へ砲撃しています」

日本は反応が遅い、それで事態を悪化させる。

これも一緒にやらないかとイギリスに誘われたのに断っていい子ぶりっこ

けっきょく、日本人殺されまくって軍隊投入 泥沼… 

 幣原外交 → 鳩山、キチガイ孫崎、朝日、九条の会、バカ左翼、日本共産党、朝鮮宗教、田原総一朗、

「平和主義者が戦争を起こす」(チャーチル)
「平和主義者が戦争を起こす」(チャーチル)

ミンジョクのDNAは変わらない ↑これの10年後、日本は第2次上海事変突入 死傷者5万人!! 名古屋第3師団壊滅の被害!!!!

12月 あの南京攻略戦へ拡大

連中と距離をおいて重武装することが平和への近道

現時点で10万人の日本人がシナ大陸にいるとのこと。

恐ろしい…

昔みたいに軍隊だして邦人救出できないから、この人たちは見殺しになる。

一刻も早く、一人でも多く帰って来ることを願うばかりだ。

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