南京大虐殺インチキウソ話全面批判!榛葉英治 小説「城壁1964年 2020年再出版」をめぐる諸問題。

健康 古代史 時事一般

久しぶりに新刊本屋というところに行った。
私にとっては驚異的な掘り出し物をみつけて嬉しくなってしまった。

なんと! 榛葉英治の「史偽・徳川家康」が文庫になってる!

これは以前取り上げた、

 

家康の正妻 築山殿: 悲劇の生涯をたどる (平凡社新書 1014) 2022/黒田 基樹 (著) 平凡社  著者が幻の奇書『史疑・徳川家康事蹟』をどう思っているのかに興味が湧く

家康の正妻 築山殿: 悲劇の生涯をたどる (平凡社新書 1014) 2022/黒田 基樹 (著) 平凡社  著者が幻の奇書『史疑・徳川家康事蹟』をどう思っているのかに興味が湧く
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幻の奇書『史疑・徳川家康事蹟』を書いた、榛葉英治は村岡素一郎の娘の子供である。

榛葉英治の作品は読んだことがなかったが、礫川全次氏の解説で「城壁」という南京大虐殺をテーマとする小説を書いていることを知った。

これは読まねばならないと、再び書店に走った。

以下はその感想である。

 

小説としては非常につまらない。

600枚もあった分量を340枚に削ったというから、その部分に大虐殺の場面が縷々描かれていたのかもしれない。

それでも、著者が、南京大虐殺インチキウソ話を本当に起こった話だとすっかりGHQに洗脳されているのはよくわかる。

残念なことである。

 

なかでも、ドイツ人兵器商人、ジョンラーベを義人化して、くだらないセリフを言わせてるのが良くない。

ジョンラーベと言えば、南京市に安全避難区を作ったメンバーだ。多くの中国人が彼こそが南京大虐殺の目撃者であると自信を持って反論してくる。

しかしながら彼はたった一度さえも大虐殺というシーンを見てはいない。

にもかかわらず、ジョンの祖国であるドイツのヒトラーに数多くのレポートを送り、日記にもそう残している。

しかし事実、彼の日記の数字そしてドイツに送ったその数字には大きな隔たりがあるが何故だろうか?

 

反論されるのを恐れてか、ジョンは日本宛の手紙にはその被害者を49名と書き、その反面、ドイツのジャーナリストとヒトラーに宛てた手紙には数万人もが日本人に殺されたと書いてありその違いはあまりにも大きすぎる。何故このような間違った手紙をヒトラーに送ったのだろうか?

 

ドイツ人歴史家Gerhard Krebs(ベルリン自由大学)によると、その理由は彼の本国であるドイツの、政治的権力が裏にあったと説明している。

第1次世界大戦による財政困難と疲労にあえいでいたドイツにとって、中国は最高の貿易パートナーであったのだ。

蒋介石は中国共産党との戦闘で、大量の兵器をドイツから購入している。

そんな状態から一変したこの支那事変は、ドイツ本国の政策転換を迫られていたのである。

日本政府は繰り返しドイツに対して、中国に武器を輸出しないよう求めていた。
蒋介石軍が日本の戦争相手だったからだ。悩んだ末にヒトラー政権は、中国における巨大な軍需産業の利益よりも、安全保障上ソ連を牽制する必要から日本との関係強化を選び、中国の蒋介石政権への武器輸出を控えた。
(事実、1940年にはドイツと日本は同盟を結んだ。)

それにひとり強力に反対する人物が親中派の軍需産業ジーメンスの利益代表ジョンラーベだったのだ。

 

その作家は事件をどう描き、遺したのか―榛葉英治(しんばえいじ)と南京大虐殺事件『城壁』●『城壁』刊行特設サイト
その作家は事件をどう描き、遺したのか―榛葉英治(しんばえいじ)と南京大虐殺事件『城壁』●『城壁』刊行特設サイト
https://bungaku-report.com/blog/2020/06/12-9.html

 

↑このサイトが詳しい。

 

というか、南京大虐殺インチキウソ話肯定派というか、はっきり言ってしまえば、「反日バカサヨク」のサイトである。

 

和田敦彦(早稲田大学教授) ← この人ら、気の毒なほど分かってない。割とマジで、脳障害でもあるのかと思ってしまった。

田中祐介 明治学院大学教養教育センター専任講師。

しかし、南京事件を小説として描き出すことの困難さは、それを描こうと挑み、試みることをあきらめ、避けることの言い訳にするべきではないし、私たちがその試みに向き合って評価することを避ける理由とするべきではない。終戦後、南京事件が日本の社会で歴史認識、戦争認識として定着せず、七〇年代以降、いわゆる南京事件を否定するような言論が登場する土壌が生まれていった要因を笠原十九司は論じ、次のように述べている。

 

国民は南京事件はあったようだという漠然とした、あいまいな認識にとどまり、具体的な歴史イメージや南京事件像に裏打ちされた明確な記憶をもたなかったということである▶注[24]。

 

小説を通して具体的なイメージとして南京事件を描き出す、という試みは、それを読者が追体験し、疑似体験することでより具体的な像として記憶に定着していく力をもっている。だからこそ同時代評でも小説で描くことの重要性に関心が向けられていたのである。この点で、『城壁』は、南京事件を歴史知識にもとづきながら想像可能な物語にして広く発信していった小説としてその重要性を認める必要がある。そしてまた、その重要性にもかかわらず、今日まで顧みられなかった理由を、忘却されていった過程を、とらえ直してみる必要がある。

南京事件の歴史、記憶を忌避し、否定する言論状況はむろんこの小説の忘却の大きな要因となっていよう。南京事件についての歴史研究の成果が広く共有されることなく、七〇年代以降に事件を否定する言説が登場し、いわゆる南京事件論争がはじまっていく。八〇年代には多くの証言や資料集の刊行もなされ、事件自体を裏付けるその成果も次第に共有されてゆくことになるが、『城壁』が出版、受容されていく六〇年代半ばから七〇年代は南京事件を描いた『城壁』にとってはまさに冬の時代であったといえよう。

唯一の参考文献としてこの人が挙げてるのがティンパーリの「戦争とはなにか」である。

 

■One of the foundations of the massacre myth is based on the book which is called “What War Means”,
edited by Harold Timperley. But he was an advisor to the Chinese Nationalist government’
s Ministry of Information. The section was propaganda section which was established by KMT (Kuomintang, Chiang Kai-shek) in China during the War. Timperley was paid by the propaganda section for writing the book.

南京大虐殺なるインチキウソ話に関する筆頭資料として「戦争とは何か」という与太本が挙げられる。
これはハロルドティンパーリというオーストラリア人のスパイが「虐殺の事実」なるものを書いたものだが、じつは彼は中国政府情報局のアドバイザーであった。このプロパガンダ局は、当の戦争中に蒋介石率いる中国国民党によって設立されたものでティンパーリはそこからお金をもらってこの本を書いたのだ。

曹虚白というプロパガンダ局のチーフの自叙伝第一版、201ページにしっかりそう書かれている。

この本、「戦争とは何か」だけではなく、同じく南京安全避難区のメンバーであるルイス・スマイスもお金をもらって「War Damages」というプロパガンダ本を出している。

この2冊の本は中国国民党の出したプロパガンダ本である。

 

1937年11月、南京戦の真最中、中国国民党はプロパガンダ局を立ち上げた。

「プロパガンダ作戦の概要」という秘密文書によると、プロパガンダ局は1937年12月1日から、1938年10月24日までの間、300回を超える報道記者会見を漢江で行っている。

約35人の外国人記者や諸外国の外交官も出席した記者会見であったにもかかわらず、中国側は一切南京大虐殺について報道してはいないし触れてもいない。何故か???

 

そんな「事件」は、元々なかったからである
そんな「事件」は、元々なかったからである
そんな「事件」は、元々なかったからである

ともかく「南京大虐殺」は「国民党」の「戦時プロパガンダ」だったってことで結論は出ている。

「国民党」の「中央宣伝処」(工作機関)が仕組み、マイナー・ベイツ、ジョージ・フィッチ、ジョン・マギーなどの宣教師が協力し、
ハロルド・ティンパーリーやティルマン・ダーディンなどジャーナリストが世界に流した。

それが「東京裁判」という勝者が敗者を一方的に裁く裁判の名にも値しない裁判で追認された。

しばらくはそれで収まっていたが、1971年に「朝日新聞」の本多勝一記者が「中国の旅」シリーズでセンセーショナルに取り上げて、再び脚光を浴びるようになった。

すると「南京大虐殺」など「国民党」のプロパガンダとして無視していた「共産党」が、「これは使える」として本格的に宣伝開始。

1985年には「日本社会党」ちょうせん痔痴郎の尽力で「南京虐殺記念館」がオープンし、日中の左翼勢力が手を携えて宣伝に拍車がかかった。

1994年からは江沢民主席の「愛国教育」が始まり、「南京大虐殺キャンペーン」はついに海を越え、アメリカでも華僑の反日組織「世界抗日戦争歴史維護連合会(GA)」が中心になり行なわれるようになった。
まさに国際化したのである。
2007年には「南京大虐殺」をテーマにした映画が10本も制作され、まさに「嘘も百回言えば本当になる」という諺を絵に描いたような展開になった。

実際、ここまでの過程では、日本の反論が少な過ぎた。

というより「朝日新聞」など日本の左翼勢力は江沢民主席と手を携えて、宣伝する側に回っており、国内が割れていたのである。

しかし、ここ数年、日本はようやく反論を開始した。

今後は史実を厳密に検証する作業を通じて、今まで積み上げられてきた嘘の集積を突き崩していかなければならない。

それも、極めて慎重に、冷静、丁寧にしていくことが求められる。

些か遅すぎた感はあるが、必ず真実が白日の下に晒される日がくることは間違いなかろう。

この問題、櫻井よしこさんが昔からいい仕事をされてる。 ↓

● 南京虐殺は国民党の対外宣伝工作のでっち上げ ~ 週刊ダイヤモンド (2001年12月1日号) 桜井よしこ

そんな私の目を大きく開かせた書籍が、『 南京事件の探究 』( 文春新書 ) だった。

立命館大学で中国近・現代史の教授である著者・北村稔氏は、イデオロギーを排除して客観的事実を掘り起こそうとした。

南京虐殺が存在したと確定されたのが東京と南京で行なわれた戦争裁判の判決書によってであることから、

北村氏は2つの判決書がどのような資料と証言によって作成されたかを逐一調査した。

その結果、驚くべきことが分かったのだ。

南京虐殺を最初に世界に知らしめたティンパーリーは英国一流紙のマンチェスター・ガーディアンの中国特派員だった。 @@@@@@@@@@@@@

彼の “ What War Means : the Japanese Terror in China ” は1938年に出版、戦争裁判での証拠となり、南京虐殺の日本断罪が始まった。

 

北村氏が発掘した事実は、このティンパーリーの隠された素顔に関するものだ。

じつは彼は公平なジャーナリストなどではなく、蒋介石の国民党の対外宣伝工作に従事していたのである。@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

ティンパーリーは、抗日国際宣伝が上海で展開された時の 『 抗戦委員会 』 の重要人物のうちの1人であった。

抗戦委員会はティンパーリーに資金提供をし、虐殺の目撃記録として2冊の本を書かせたことが判明した。

公平な第三者の著作のはずが、じつは国民党宣伝部のプロパガンダ工作によるものであり、それが元になって南京大虐殺説が生まれてきたのだ。

 

南京虐殺は存在しなかったのだ!

櫻井よしこさんが中国国民党が欧米人(ティンパーリ)にお金を払って 1938年
「南京大虐殺」についての本を書かせて、世界に宣伝させたという話をしたところ……

王智新
「ティンパーリにどこから金が支払われたというのか。根拠のないことを言わないで下さい」

櫻井よしこ
「国民党の国際宣伝部の担当者である曽虚白(そ・きょはく)が自伝の中でそう書いているんです。
『ティンパーリは理想的な中国の広報のための人物だった。
ティンパーリを通してスマイスにお金を使って書いてもらった』と書いてあります。
もっと勉強なさって下さい」

王智新
「……調べてみます」

10、ティンパリ―は国民党の工作員であったことは、『国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概要』
(台北、国民党史資料館)によって明らかになっているが、かれは単に『戦争とは何か』を編集して、イギリスのゴランツ社から出版しただけではなく、国民党がアメリカに作った覆面ニュースリリース会社「トランス・パシフィック・ニュースサービス社」の責任者も務めていた。(『南京事件の探求』(北村稔、文芸春秋)p。44)

 

そのようなスパイのティンパーリが始めて書いたのが前記の「すくなくとも30万人の中国軍と市民の死傷者が損害を受けた」という数字だった。しかしこの場合も、中支戦線という広い範囲での数字であって南京でのことではなかった。しかも、その根拠は全く示されていないし、調査さえ行われてはいなかったから、

これは単にティンパーリが頭の中ではじき出した数字に過ぎなかったことは余りにも明らかだ

「3」は中国では単に「沢山」とか不特定多数という意味を持った数字なのだ

恐らくティンパーリは、漢口でこの意味を教えられて、この場に用いたのではないか
3万ではすくないし、3百万では多過ぎる…

東京裁判での検事は、その論告に『戦争とは何か』の内容を多く引用しており、
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
日本軍による民衆30万人の殺害なるウソ話の原点はここにある。しかしただ作られた数字だったから、

東京裁判判決以後この数字は消えていた。それが復活したのは1970年以降に、中国が急に主張し出してからのことだった。このいきさつを知れば、この数字の持つ無意味さを容易に理解するだろう

南京の「虐殺記念館」には30万という数字が屋上に大きく掲げられている。

 

8、福田篤泰外務省事務官の事。後に吉田茂首相秘書官、衆議院議員、防衛庁長官、郵政大臣などを歴任。田中正明氏のインタビューに次のように答えている。

「当時僕は役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の事務所に出かけた。出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。

『今どこどこで日本の兵隊が15,6の女の子を輪姦している』。あるいは『太平路何号で日本軍が集団で押し入りものをかっぱらっている』等々。その訴えをマギー神父(筆者注:福田氏の勘違いで実際には委員会の事務局長を務めていたスマイス)とかフィッチなど3,4人が僕の目の前で、どんどんタイプしているのだ。

『ちょっと待ってくれ。君たち検証もせずにそれをタイプして抗議されても困る』と幾度も注意した。時に私は彼らを連れて強姦や略奪の現場に駆けつけてみると何もない。住んでいるものもいない。そんな形跡もない。そういうことも幾度かあった。」(『南京事件の総括』(田中正明、謙光社)p、171)

 

やけに被害者ぶってるけどさ

安全区に逃げ込んだ便衣兵が武器所持してなかったってどんな妄想だよw

【金沢歩兵第七連隊の南京城内安全区掃蕩成果】 自十二月十三日 至十二月二十四日『戦闘詳報』

敗残兵の刺射殺数 6,670人
敗残兵から鹵獲した戦利品
15センチ砲2門 同弾薬約600発
20センチ砲8門 同弾薬約1000発
小銃960挺 同実包39万発
水冷式重機関銃12挺
軽機関銃33挺
拳銃103挺 同弾薬261,350発
高射砲1門
高射機関銃1挺
山砲6門 同弾薬82発
迫撃砲10門 同弾薬57,218発
戦車4台 戦車砲弾39,000発
銃剣320挺
青竜刀2,020振
手榴弾55,122発
対戦車砲2門
機関砲1門
自動貨車16台
便衣服2,300着
夏衣袴25,300着

2015/03/29【社会】「南京大虐殺30万人説」 チョンコとバカ左翼、歴史〝ねじ曲げ〟悪化させた重い責任 元兵士証言から浮かぶ歴史の真実c2ch.net

2015/04/17 【中国】「南京事件」世界に広めた豪人記者、国民党宣伝機関で活動 台北の史料で判明(c)2ch.net

2015/04/27 東亜 【産経】虐殺・レイプのオンパレード 中国映画『南京!南京!』のこれみよがし反日プロパガンダ演出[4/26] [転載禁止](c)2ch.net

 

日本軍が入城してからも市民に紛れた中国兵が日本人を騙って事件を起こしてたしな

アメリカ管轄の難民区に元中国軍大佐 彼は南京で自らの行為を日本軍の悪行と宣伝する。

EX-CHINESE OFFICERS AMONG U.S. REFUGEES Colonel and His Aides Admit Blaming the Japanese for
Crimes in Nanking New York Times January 4, 1938 Wireless to the New York Times. SHANGHAI, Jan. 3.

NYT 1月4日 1938年ニューヨークタイムズ 上海発電文(1月3日)によると、中国に残っているアメリカ人教授らが、南京市Ginling大学にある『外国人による難民保護区』で、逃走中の中国人大佐とその6人の部下を見つけるという事件が起きた。実際この大佐はかなりの権力者でもあり、これら幹部軍人らは南京戦から逃走中に、制服を脱ぎ捨てているなど、そのような状態で大学の建物内で発見された。

彼らは日本軍が探していた人物と一致し、しかも6丁のライフルとリボルバー式の拳銃、及び分解された(もしくは台座から取り外された)マシンガンと弾薬をも建物内に隠し持っていた。
彼らは南京市内で、強奪をしかつ少女達を暗闇に連れ込むなどし、それを翌日に日本軍がやったと吹きまくったことを白状した。彼らは逮捕され、後に法に基づき罰を受け、多分処刑されるだろう。

 

↑朝日関係者、バカマスゴミ、バカ左翼、糞舐めチョンコこそが現代の日本での便衣兵なんだよ  掃討作戦が必要だ!

こんな卑劣な連中に悠長に「裁判」なんかやってられるかアホ やられちまうだろ

その場で射殺でOK  おれが赦す

 

一枚の写真が社会党の田辺のアホのチクリとバカちょうせん自治労、バカ連合らの献金で出来上がった南京大虐殺インチキ記念館にある

写真の説明書きはこうだ

『日本軍が数千人もの女性を捕らえ、彼らの多くは慰安婦にされた』

しかしこの写真は南京大虐殺があったとされる1ヶ月も前の、1937年11月10日週間アサヒグラフ
(日本発行)に載せられた写真なのである

この写真の説明には、『日本軍に守られ畑仕事から帰宅する女性達』と書かれている

↑しかもこの写真、だれからまもってるかといえば、共産匪賊から  !!!!!!(爆笑)

アサヒグラフ1937年11月10日号より 『烟なほ烟る揚子江附近の片隅に、
我が軍の庇護によつて平和に歸つた 二つの部落がある』

宝山県盛家橋 『我が兵に護られて野良仕事より部落へかえる
日の丸部落の女子供たち』 同紙から当時つけられていたキャプション

 

南京事件関係の写真の真偽を検証する本を見ていたら、面白い話が出てた。

反日謝罪活動をしている、元日本兵中国帰還者連絡会(中帰連)の本に
掲載されていた、南京の建物の前に並んで写る、足を切断し、松葉杖を
ついた中国兵10名ほどの写真。いっしょに腕章をした日本兵も並んで写っている。

中帰連の解説では「日本軍に足を切断され、逃げられなくされた中国兵」。

ところが、この写真の原板が新聞社で見つかり、写真にしたところ驚くべきことが・・・・

写真の中国兵の背後の建物には大きく「衛生隊」の文字があったのに、
中帰連の本ではこの「衛生隊」の文字が意図的に消されていたのだ。
実際は、「日本軍衛生隊」に治療を受ける中国兵だったわけだ。これが中帰連の正体というわけだ。

↑南京虐殺インチキばなし ↑すべてがこのレベル 言いふらしてるキチガイの名前をメモっとけ

反日を飯のタネにしてる卑しいヤカラを許すな !!!

 

47 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止:2015/11/19(木) 15:58:16.58 id:YccjqiLt>>37
昭和42年毎日新聞社刊の「日本の戦歴」に出てますね。写真の右上のほうに「衛生隊」と大きく書いてある。

 

197 :名無しさん@13周年:2014/02/06(木) 18:30:38.29 ID:/ozC1M4V0
昨年12月に出版されたヘンリー・S・ストークス著「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」 (祥伝社新書)が南京事件の真相を詳細につづっている。結論からいえば、南京虐殺は情報戦争における謀略宣伝ということだ。当時の中国情報機関国際宣伝処がイギリス人記者とアメリカ人 教授に金を払ってありもしない南京虐殺の本や記事を書いてもらい、世界に発信した。おかげで、 世界中で日本人が野蛮な民族であると宣伝することに成功した。逆に中国人は天使と認識された。
プロパガンダは大成功だった。戦後、アメリカは日本を戦争犯罪国家に仕立て上げるためにこの 中国の謀略を東京裁判で持ち出し、日本を断罪することで自らの原爆投下という戦争犯罪を糊塗した。

■(Part1)Before the battle of Nanking, the commander General Iwane Matsui ordered the Japanese army to be very careful not to kill any civilians. During the battle, every civilian took refuge in the Nanking Safety Zone. Japanese army did not attack it, and there were no civilian victims, except for several who were accidentally killed or injured by stray shells. John Rabe, later handed a letter of thanks for this to the commander of the Japanese army.

南京戦が始まる前、日本軍司令官である松井石根は南京市民を殺さないように徹底していた。あの戦闘中、全南京市民は避難区に集結し、日本軍はそこを攻撃しなかったので、間違って死傷者を出す以外の被害者はいなかった。ジョンラーベは後に松井にこのような手紙を送っている。

December 14, 1937 Dear commander of the Japanese army in Nanking, We appreciate that the artillerymen of your army did not attack the Safety Zone. We hope to contact you to make a plan to protect the general
Chinese citizens who are staying in the Safety Zone….We will be pleased to cooperate
with you in any way to protect the general citizens in this city.
–Chairman of the Nanking International Committee, John H. D. Rabe–”
ジョン・H・D・ラーベ
(法廷証323号検察番号1744号抜粋、弁護人朗読、極東国際軍事(東京)裁判速記録210号))

1937年12月14日 親愛なる日本軍司令官へ 避難区を攻撃しないでくれたことを深く感謝する。
今後のこの避難区にいる中国人達をどのように守っていこうか、是非貴殿とお会いしお話をしたいと思っている。
私たちはこの人々を守るために、あなたと協力できる事を本当に嬉しく思う。南京安全避難区ジョンラーベ
ーーーーーーーーーーーーーーーーー

↑東京裁判で日本無罪の証拠として提出されたが、アメに都合が悪いから却下

 

もし日本軍が南京市民を大量虐殺したくてたまらないのなら、この南京避難区に爆撃をすればすむことであった。

しかし日本軍はそんなことはせず、市民を守ったのである。国際法学者まで帯同させていたんだよ

日本軍司令官・松井はこう考えていた。

戦争の目的はその土地を占領することではなく、中国人兵士自らによる殺戮行為から、

中国人民達を守ることであったと。

日本は中国大陸にに西洋列強や共産勢力に、食い物にされ支配されない独自の強い中国政府を、
中国人民と共にこのアジアに作りたいと思っていたのである。

 

2014/02/11 【国際】「慰安婦は高級娼婦」 中韓のプロパガンダには事実発信で対処を…元NYT東京支局長・ストークス氏

2015/01/11 池上彰「ネット検索はプロが書いた新聞記事とネトウヨのブログが並列に出てくる、ネットの世界ではそれらが一緒にされる危険がある」 [転載禁止]c2ch.ne

有色人種(全アジア人)が「人間」であることが認められたのは、

大東亜戦争が人種解放戦争だったからだ !

先人の偉業に感謝…

靖国神社にいきましょう。

↑卑劣な朝鮮人と、バカ左翼(とくに日本学術会議系の奴らにキチガイが多い 要注意だ)、キチガイ共産党の嘘にだまされないで!

敵は、ナチと日本を同一視させようと世界中で工作しています!

 

併せて読みたい

『日本の「リベラル」―自由を謳い自由を脅かす勢力』掛谷 英紀 新風舎、2002年8月1日。

『人類の敵 -共産主義勢力から自由を守る方法-』掛谷 英紀 (著)集広舎、2021年1月25日。

 

日中戦争が始まった年である1937年10月、当時のローマ法王で平和主義者として知られる
ピオ11世(在位1922-39)がこの日本の行動に理解を示し、全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかけています。

法王は、「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国を守ろうとしているのである。
日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、 信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」といった内容の声明を出しました。

この声明は当時の日本でも報道されました(「東京朝日新聞」夕刊、昭和12年10月16日および17日)@@@@@@@@@@@@@

 

「アメリカが日本を国際連盟から追い出した」【柏原竜一のインテリジェンス】


柏原竜一のINTELLIGENCE チャンネル登録者数 1.47万人

 

↑すべての日本国民に見てもらいたい。ちょうせんじんは見なくていい。

これを見ると、日本の反日バカサヨクどもがいかに愚かか、南京大虐殺インチキウソ話がいかに罪深いかがよくわかる。

ここでごちゃごちゃ言っても始まらない。とくに最初にやらなければならないのは、反日サヨク教授が多い大学の文科省の予算削減である。

 

誰が「南京大虐殺」を捏造したか 2015/古荘光一 (著)ワック アメリカ白人限定、対応集もあるよ…  fake Nanjing

誰が「南京大虐殺」を捏造したか 2015/古荘光一 (著)ワック アメリカ白人限定、対応集もあるよ…  fake Nanjing
誰が「南京大虐殺」を捏造したか 2015/古荘光一 (著)ワック アメリカ白人限定、対応集もあるよ…  fake Nanjing

 

「もしかして、この人、南京大虐殺なんか信じてる??」 GHQは日本人の戦争観を変えたか 「ウォー・ギルト」をめぐる攻防 (光文社新書) 2022/賀茂 道子 (著)

「もしかして、この人、南京大虐殺なんか信じてる??」 GHQは日本人の戦争観を変えたか 「ウォー・ギルト」をめぐる攻防 (光文社新書) 2022/賀茂 道子 (著)
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シナ人の靖国神社放尿、江蘇省蘇州市の日本人切りつけについて思うこと…

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放っておくと間違いなくエスカレートする。

そもそも、みんな忘れてるけど、かの第2次上海事変だって、「邦人保護」が第一目的だった。

当時、上海にいた邦人約3万人…

彼らを救うために日本海軍陸戦隊は派遣されたのだった。

 

林芙美子が見た大東亜戦争 ―『放浪記』の作家は、なぜ「南京大虐殺」を書かなかったのか 2019/宮田 俊行 (著)ハート出版

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樺太・朝鮮・満州・中国・台湾・仏印・蘭印… 広漠たる大東亜共栄圏を旅した稀代の女流作家は激戦の地で、いったい何を“見た"のか─ 「朝日新聞」「毎日新聞」の“従軍作家"となった林芙美子は、 母国の兵士たちと寝食を共にしながら、過酷な戦地を駆け...

 

外国特派員協会重鎮が反日中韓の詐偽を暴いた 新書 – 2015/ヘンリー・S・ストークス (著), 藤田裕行 (翻訳) 悟空出版

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