YouTubeには色々と不満がある(特にちょうせんじん関係のコメント削除)がこういうものを無料で見られるというのは感謝感謝だ……畿内ではありえぬ「邪馬台国」 — 考古学から見た邪馬台国大和説 関川尚功

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畿内ではありえぬ「邪馬台国」 — 考古学から見た邪馬台国大和説 関川尚功
https://youtu.be/RXWvBfY9YlE?si=WP5U7OfkTdDH_gUb
古田史学会講演チャンネル登録者数 107人

↑この動画の書き込みが面白い。失礼な書き込みも多い。いつもの、「邪馬台国畿内説信者」だ。

邪馬台国畿内説信者の馬鹿どもの最後の悲鳴だ(笑)

皆さんもご一緒に大いに嗤ってほしい…

 

著者について

関川尚功 (セキガワヒサヨシ) (著/文)
1951年、長野県生まれ。関西大学文学部史学科卒業。
1974年、奈良県立橿原考古学研究所入所。学生時代を
含め約40年、大和の遺跡や古墳の発掘と検討に携わる。
纏向遺跡、藤ノ木古墳、太安萬侶墓などの調査に従事。
2011 年橿原考古学研究所を退職。
著作に、石野博信先生と共著『纏向』、橿原考古学研究所の論文掲載多数。

果たして、邪馬台国は「大和」にあったのか!?

古代史の中でも、特に謎が多い「邪馬台国」。
邪馬台国については、江戸時代以降主な候補地として「九州説」、「大和・畿内説」があげられる。昨今では、「大和・畿内説」が有利とみられている。

「大和・畿内説」で中心として考えられるのが、纒向遺跡、箸墓古墳である。

本書の著者は、長年、纒向遺跡をはじめ、箸墓古墳など多くの大和地域の発掘・調査に携わってきた。

そんな著者が出した結論は、「邪馬台国の存在を大和地域に認めることは出来ない」

数々の史跡、遺跡を発掘してきた著者が語る本当の「邪馬台国大和説」。

【目次】
第I章 邪馬台国と大和の考古学
第II章 大和地域の弥生時代遺跡
第III章 纒向遺跡の実態
第IV章 大和地方の遺跡動向と邪馬台国

 

邪馬台国が存在した3世紀の奈良盆地の遺跡からは、大陸との交渉をうかがわせる遺物は全く出ない、

従って大和説は成り立たないと言う単純明快な内容です。奈良盆地で長年古代遺跡を発掘された関川先生に、この様に断言されたら、反論の余地は無いと思います。

箸墓古墳・卑弥呼の墓説や、狗奴国東海地方説なども明確に否定されています。

じつは私、邪馬台国九州説、九州王朝説(法隆寺移築説)、「聖徳太子いなかった」説の信奉者として、関川尚功 (セキガワヒサヨシ) という考古学者は大きな存在であったにもかかわらず、そのお姿を見たのはこの動画が初めてである。

いい男じゃん…

ユーモアもある。邪馬台国畿内説への否定感情も衰えていないようで安心した。

近場にくれば必ず講演会に行こうと思った。

 

ヤマトという地名も北部九州から移った

考古学者・森浩一、最後のインタビュー(足立倫行「倭人伝、古事記の正体」2012)

伊都国の平原古墓は、すべての銅鏡が破砕して墓に埋納されていたことで有名ですが
奈良県桜井市の前期の外山茶臼山古墳でも、2009年の再調査で、実に81面の
銅鏡が埋納され、ことごとく破片だったことがわかりました、2つの墓は
100年ほど年代が隔たっていますが、弥生時代の近畿には墓へ銅鏡を入れる風習も、
その銅鏡を割る風習もなかったことを考えると、北部九州の強い影響は明らかです

また「魏志倭人伝」では、中国人が倭地の朱や丹に関心を持っていたことが記されていますが、伊都国の平原古墓や井原鑓溝古墓では棺の中に大量の朱が使われました

近畿でも、前期の前方後円墳では遺骸の周囲に朱を撒くことが知られており、
奈良天理市の大和天神山古墳では約40キロもの朱がキビツに埋納されていた
これなども、北部九州からの風習の伝播でしょうね

そもそも、ヤマトという地域名、いずれ国名になる名称自体が北部九州からの東遷の結果です

↑関西人なのに、この認識! ただただ、立派というほかない。

 

邪馬台国  関川尚功講演


イグルスキー米山 チャンネル登録者数 507人

↑2時間もあるが、内容は前のと同じ。ただ、後半の1時間は来場者との質疑応答でそこが面白かった。

邪馬台国畿内説のキチガイが紛れ込んで、またうんざりさせること言うかといえばそんなことはなく、そこも良かった。もしかして、編集段階でカットされたのかもしれんが…

ただ一人、気になったのは、1990年辺りから始まった箸墓古墳卑弥呼埋葬説の盛り上がりを「歴史修正主義」の現れではないかと言ってるところ。

?? むむ??  どういうことと、思ってしまった。

AI による概要
詳細
歴史修正主義とは、客観的な歴史学の成果によって確定した事実を無視したり、自分のイデオロギーで過去の出来事を都合よく解釈したり、誇張や捏造された事実を歴史として主張する立場を指します。

具体的には、次のような主張が歴史修正主義に該当します。

①ナチスドイツによるホロコーストを否定する

②日中戦争における南京事件そのものを存在しなかったとする

↑①は600万という犠牲者数がおかしい

②は、そもそもすべてインチキウソ話である。中国国民党宣伝部と当時、安全地帯にいたアメリカプロテスタント宣教師団の「合作」で東京裁判で日本を嵌めようとしたものである。

誰が「南京大虐殺」を捏造したか 2015/古荘光一 (著)ワック アメリカ白人限定、対応集もあるよ…  fake Nanjing

誰が「南京大虐殺」を捏造したか 2015/古荘光一 (著)ワック アメリカ白人限定、対応集もあるよ…  fake Nanjing
誰が「南京大虐殺」を捏造したか 2015/古荘光一 (著)ワック アメリカ白人限定、対応集もあるよ…  fake Nanjing

 

「もしかして、この人、南京大虐殺なんか信じてる??」 GHQは日本人の戦争観を変えたか 「ウォー・ギルト」をめぐる攻防 (光文社新書) 2022/賀茂 道子 (著)

「もしかして、この人、南京大虐殺なんか信じてる??」 GHQは日本人の戦争観を変えたか 「ウォー・ギルト」をめぐる攻防 (光文社新書) 2022/賀茂 道子 (著)
「もしかして、この人、南京大虐殺なんか信じてる??」 GHQは日本人の戦争観を変えたか 「ウォー・ギルト」をめぐる攻防 (光文社新書)

 

南京大虐殺インチキウソ話全面批判!榛葉英治 小説「城壁1964年 2020年再出版」をめぐる諸問題。

南京大虐殺インチキウソ話全面批判!榛葉英治 小説「城壁1964年 2020年再出版」をめぐる諸問題。
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閑話休題…

塙勇人
5つ星のうち5.0     4世紀の大和王権と巨大前方後円墳の突如の出現こそ日本史上の最大の謎
2022年1月9日に日本でレビュー済み
 巨大古墳の関係については、もう一つ説明が必要な大きな課題があります。もとよりマルクスの唯物史観を採るつもりはありませんが、巨大古墳の造営には人力の動員をはじめ莫大な経済的コストが必要となります。
しかし、4世紀の巨大古墳の世紀までに生産力が格段向上した、あるいは人口が増加した、対外戦争で大きな経済的利益が得られたといった歴史的・考古的資料がない現状で、どうして突然巨大古墳を作れるようになったのか不思議で仕方ありません。
しかも大和・柳本古墳群だけでなく、佐紀盾列古墳群、百舌鳥・古市古墳群と巨大古墳を作り続けられたのか、十分な説明の無い現状では全く理解できません。もっと下部構造、経済環境を明らかにする歴史人口学、古環境学等を含む考古学、歴史学諸分野の学際的な取組みが不可欠だと思います。
 優れた良書である本書を読んでいて日本という国家の成立期には疑問が膨らむばかりです。
↑当然の疑問だな。
古墳がおかしいのはその数である。残っているのものだけでこの狭い日本列島に15万、宅地化でなくなったものを含めればおよそ20万基の古墳が作られたという。
古墳時代、おおざっぱに区切って3世紀ぐらいから始まって6世紀までとして、たった400年間に20万基!! まずこれを異常と思わなくてはならない。
とすれば、100年に5万基、1か月に(あくまで大雑把にいうよ)、約417基の古墳がこの狭い日本列島で作られていたのだというから、これが驚異でなくてなんであろうか。

考古学者、歴史学者は、祭りごとのために築かれたと言ってるが、たった400年(古墳時代)に、20万基もだよ、冗談は顔だけにしてくれと言いたくなるではないか。

今に比べれば、はるかに食料も乏しい、人口も少ない中での20万基だよ。

しかも、畿内の有名な古墳や、ごく初期の、岡山や和歌山県によくある明らかに同族のために作られた群集古墳を除けば、じつは内部に石棺、埋葬施設がない古墳がじつは大部分だという。
ここまで読んで納得された方はぜひ私のブログを熟読して欲しい。

「ピラミッドの目的は完成後の『用途』にあるのではなく、造るという『製作』過程そのものにあるのである」

『ピラミッドの謎』1975  物理学者・クルト・メンデルスゾーン

物理学者、メンデルスゾーンの知見(ピラミッド公共事業説)は我が国でおびただしく造られた古墳にもそのまま当てはまる。

消失した(宅地化、農地化)されたものを含めれば20万基以上の古墳がこの狭い日本列島に造られたものと思われる。

まずこれを異常と思わずしては先には進まない。

 

銅鐸民族の悲劇: 戦慄の古墳時代を読む 2010 臼田 篤伸 (著) 彩流社 巨大古墳群は被征服民族・銅鐸民族の奴隷労働の結果であり、そこは同時に古代日本版「収容所群島」だった。古墳時代“消耗システム論”を立証した異色の書。

銅鐸民族の悲劇: 戦慄の古墳時代を読む 2010 臼田 篤伸 (著) 彩流社 巨大古墳群は被征服民族・銅鐸民族の奴隷労働の結果であり、そこは同時に古代日本版「収容所群島」だった。古墳時代“消耗システム論”を立証した異色の書。
巨大古墳群は被征服民族・銅鐸民族の奴隷労働の結果であり、そこは同時に古代日本版「収容所群島」だった。古墳時代“消耗システム論”を立証した異色の書。

 

「あるいはかなりの地方に高地性集落があらわれる。

弥生中期。あらわれかたも1回ではないのです。

同じ集落をまた修復して使ったりしていますが、しかし古墳ができるようになるとそういうものはほとんどなくなっていく。

なくなるばかりか、ここがまたおもしろいのですが、かつての高地性集落のあったうえに、あるいはすぐ付近に、その地方でもっとも古い前方後円墳が突如として築かれる場合がある。いまのところこの謎はちょっと解けない。」

考古学者・森浩一「考古学の模索」1978 学生社

 

越後裏山遺跡と倭国動乱 新潟日報事業社2001

Version 1.0.0

高地性集落のすぐ近くに前期古墳が築かれる場合が多い !!!!

P22 高地性集落のある地域と、横穴式石室導入以前の前半期古墳が作られた地域は、ほとんど重なります。

↑例えば、滋賀県の有名な銅鐸発掘地(新幹線工事で掘り返したら20個余りの銅鐸が出土して銅鐸博物館ができた)のすぐそばに、前期前方後円墳群が出現。とくに関西の古墳にそうした例は多い。

確信した。
前方後円墳は墓ではない(墓も初期には一部あるが)、前方後円墳は、原住民系の力を削ぐためにその目的でつくられたのではないか。

 





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