ユダヤ(秦氏)渡来説は相変わらずか盛んだが、ここで誰も取り上げなくなった説を紹介したい……それすなわち、「秦氏 原住民説」(菊池山哉きくち さんさい、1890年-1966年)は、東京府出身の郷土史家、土木技師、政治家(東京市会議員))である

どきどき古代史

ユダヤ(秦氏)渡来説は相変わらず盛んだが、ここで誰も取り上げなくなった説を紹介したい……
それすなわち、「秦氏 原住民説」(菊池山哉きくち さんさい、1890年-1966年)は、東京府出身の郷土史家、土木技師、政治家(東京市会議員))である

古代ユダヤで読み解く天皇家と嘘部の民の謎 (ソフトカバー) 2017/8/11なべ おさみ (著), 久保 有政 (著)

タレント活動のかたわら、ユダヤ研究に取り組んできたなべおさみ氏が、自らの出自や独自の調査で解明した「嘘部の民」の謎などを古代イスラエル人渡来説の研究家・久保有政氏に語る!

◎イスラエルの調査団体が「神道は失われた10支族がもたらした」と明言した!
◎天皇家は北イスラエル王国の王家・エフライム族の末裔か

◎諏訪の神「ミサクチ」は「イサクに由来する」の意味だった!

◎「石」の技術を持つユダヤ人が中国で「石」姓の皇帝となった
◎天皇家を裏から守るための部族
◎秦氏の番頭が服部、秦氏の隠れ軍団が嘘部の民
◎比叡山の石積みをした穴太衆はイスラエルの末裔か

◎秦氏の故郷・弓月に「ヤマトゥ」という地名がある

久保 有政(くぼ ありまさ)
1955年、兵庫県伊丹に生まれる。1986年、レムナント出版設立。2001~07年、(単立)池袋キリスト教会牧師。
現在、レムナント出版代表。聖書解説者、古代史家、現代史家、サイエンス・ライター、ユダヤ文化研究家。
月刊『レムナント』誌を刊行するほか、日本イスラエル親善協会理事、神戸平和研究所理事、聖書と日本フォーラム講師等も務める。『みのもんたの日本ミステリー』(テレビ東京系列)にも出演。インターネットTV「夢源樹」での講演も好評を博している。
著書に、『日本の中のユダヤ文化』『神道の中のユダヤ文化』『仏教の中のユダヤ文化』『日本とユダヤ運命の遺伝子』『日本とユダヤ 聖徳太子の謎』(以上学研)、
編著書に『もう隠しようがない日本人が知って検証していくべきこの国「深奥」の重大な歴史』(ヒカルランド)、
訳書に『日本・ユダヤ封印の古代史」『日本書紀と日本語のユダヤ起源』『[超図説] 日本固有文明の謎はユダヤで解ける』(徳間書店)ほか。

 

弓月城て初めてみました 感動です  近くにヤマトという地名も残っていると すごいです

だけど、私は菊池山哉の言ってた「秦氏原住民説」を信奉するものです

渡来したっていうけど、無理じゃないですか?

空海の時代で国家的なバックアップがあってシナまで到達したの2割

渡来云々が嘘臭い 久保さん、ごめんなさい

秦氏は数が多すぎる 日本最古の戸籍 7世紀の時点で九州にうじゃうじゃいる

「秦氏原住民説」が正しい??

↑6年前、久保 有政氏の秦氏ユダヤ人渡来説についての動画に関する私の書き込み。保存していなかったが、久保氏のこれへの反論もあった。

 

いわゆる良識派考古学者、歴史学者からみた秦氏  秦氏は「渡来人」か?門田誠一・森浩一 2

森 浩一

吉川弘文館の『日本古代人名辞典』七巻本を基礎演習で調べたことがありますが、渡来系、日本系の分類はともかく、日本の氏族で最も数が多いのは秦氏です。

雄族といわれるゆえんですが、ヤマト政権の大臣など要職に就いた人はほとんどいない。

といって勢力が小さかったわけではなく、平安遷都は秦氏のテリトリーに都を移したとの見方もできる。

秦氏についてはかなりの量の文献があり、古代史では秦氏の見方ができあがっている。考古学は、これをチェックしなくてはいけない。たとえば秦氏の根拠地は嵯峨野とされ、大古墳群はあるが、日本列島で大流行した前方後円墳が造られている。文献で渡来系とされているのに矛盾するわけです。

門田誠一

学生のころから、研究書を読むと判で押したように「渡来系である秦氏は」と書いてありました。

しかし渡来系であることを直接示す考古学的資料は、ほとんどない。オンドルの遺構やミニチュアの竈(かまど)が見つかった大津市の穴太(あのう)など近隣の遺跡とくらべると、嵯峨野で朝鮮半島の影響を受けた資料は見あたらない。

南天塚古墳で新羅系の印花文(いんかもん)も土器が一点だけ見つかったが、七世紀のもので、これだけで秦氏の族長と結び付けるのは難しい。

嵯峨野の蛇塚古墳に日本を代表する巨石を使った横穴式石室がありますが、高句麗も新羅も百済も巨石の横穴式石室は不得意なんです。

日本列島に住みついたから本国のしきたりや墓の作り方を意識しないという移住のパターンなのかも知れないが、文献の記載が本当かどうか検討も必要です。

新しい例ですが、戦国時代に山口の大内氏は先祖が百済系だと名乗りました。戦国時代、出自を中国や朝鮮半島と唱える人は意外に多い。本当の場合もあるが、いろんな理由でそう唱える人もいる。

門田

※大内氏の場合、貿易や政治に有利なように言ったのだと思います。中世だけの問題でなく、秦氏の成り立ちを考える際の参考になる。考古学的に証明できない「渡来系氏族」には政治的な姿勢がかなり入っているのではないか。「秦氏=渡来人」という図式も、とらえ直す必要があると思います。

『日本書紀』神功(皇后)紀に出てくる渡来集団の本拠地は奈良の葛城山東麓で、韓式土器や朝鮮特有の鉄器などがかなりの密度と量で出ており、文献と相互検討できる。秦氏は、そうはいかない。

構成も複雑で、下の方の秦人部には渡来系でない人も入っており、単線的な理解を吟味し直す必要があります。陶質土器の破片が出たから秦氏を渡来系とするのは、歴史学の検証として単純すぎます。

資料 森浩一『京都学ことはじめ 森浩一12のお勉強』より

↑要するに、まとめると、秦氏を単純に「渡来系」とするのは無理があると言ってる。

秦氏がユダヤ人なら、徐福のほうがまだ可能性はある。なにせ、全国各地に神社が出来てるくらいだ。

 

菊池山哉の「天の朝と大和朝」昭和26年 多摩史談会、700ページから714ページまで使って、奈良朝紀までのいわゆる秦氏の全国分布を挙げている。

煩瑣になるからその図を載せるのは省くが、まさに壮観、西日本中心だが、全国的に秦氏が分布しているのがわかる。

秦氏は数が多すぎるのだ。日本最古の戸籍、7世紀の時点で九州にうじゃうじゃいる。

 

こうした秦氏帰化人説に対して、古今疑うものもなく、却ってあらゆる史家が、我が国の文化は帰化人に負うところ大きく、その随一に秦氏をあげている。

一見辻褄があっているようでもあるが、疑うべき点も決して少なくないのである。

…こうした偉大な秦氏の分布というものは、ハタ氏なるものは原住民であり、所在いたるところに居た倭種であると見る方が、加羅(朝鮮半島)より渡来して、臣や連の奴隷となって居った、移動とみるより、遥かに確実性がある。  714ページ

次ぎは、秦の造の本願地、葛野郡ウズマサ地方、並びに秦の伴の造の本願地深草郷は、山城でも有数の石器時代土器の分布地であり、原住民の大集落のあったことは、ほとんど絶対であることである。決して空閑地ではない。

風来人は原住民の居住しない地方へ配置すべきで、先住者を追い払ってまで、その地へ居住せしめなければならない理由はない。

菊池山哉の「天の朝と大和朝」多摩史談会 昭和26年より

 

437名無しさん@恐縮です2020/01/26(日) 14:40:50.27ID:nG9Xq01D0
>>428 更に渡来人系は戦争捕虜系や百済難民系など色々あるんじゃね?

歴史学者、考古学者は軽々しく渡来人っていうけどそもそも、渡来人ってそんなにきてない 海があるから渡れないよ
弥生時代後期、古墳時代ふくめてもせいぜい2、3千人てとこだと思う。

40年くらい前、角川春樹が音頭とって野生号という小船で釜山から日本を目指したが、途中漂流(笑)。

しかも、果敢に海を渡れたのは半島の最下層ばかり。

そんなのが縄文人の中に入って何をする?

 

終戦直後の話だけどエンジン付きの船ですらこう↓

*1996年6月19日生野区中川小学校教職員研修会における金徳煥(キム・トックァン)さんの講演

さっきの話ですが、済州島にいる人たちを、親戚関係・ムラ社会を通じて、どんどん招ぶわけです。 「日本に来て働かんか。金儲けになるで。」というわけで、たくさんの人たちが日本にやって来ます。ただし、パスポートはありません。いわゆるドンドコ船と言いましたが、1週間、2週間、飲まず食わずで、 漁船の底に潜んで日本に来るのです。日本に来て、親類の人の所へ着けば、

 

7世紀の遣唐使でさえ約半分が渡れなかった。

国家公認の当時精一杯デカい船ですらそう。何万人も何十万人も、何百万人も(笑)渡来したなんてファンタジーにすぎない。

 

朝鮮半島から船で渡ってくるのも容易なことではない。

ところが、6月のある1週だけ、対馬海峡で海流の動きが止まる時期があるという。
それを利用して朝鮮半島に15万の兵馬を送ったのが、かの豊臣秀吉の朝鮮征伐軍である。

 

菊池山哉は言っていないが、もし、そんなにたくさんの秦氏(じつはユダヤ人?)が日本列島に来ていたならば、移動の問題もさることながら、言葉の問題はいったいどうしたのだろうという疑問が浮かぶ…

周辺諸民族の言語とまったく似たところのない特異な日本語。

語順のまったく逆のシナ語は問題外として、朝鮮語ハングル語も、高句麗語のひとつ、二つに似たところはあるかもしれないが、羽田に行くモノレールで聞く3か国語の案内を聞けば、なんでこれほど異なる言語がすぐ海の向こうにあるとは信じられないほどだ。

 





日本とユダヤの古代史&世界史 – 縄文・神話から続く日本建国の真実 2023/6/9茂木 誠 (著), 田中 英道 (著)ワニブックス

あなたの歴史観が変わる!謎解き!歴史物語!

教科書にも載らない、縄文・神話の時代から続く、日本とユダヤの壮大なストーリー!

ヤハウェ→ヤハタ→八幡神? ユダヤ人埴輪? エデンの園は日本だった!?

 

ただ私も渡来説をまったく否定しようとは思っていない。

江戸時代の長崎県平戸藩、藩主の松浦静山の名著、「甲子夜話」のなかの有名な逸話。

 

現代語訳  先年上野の国、多胡羊大夫の碑のそばから、石室を掘り出したが、その中から、銅板が出た。

その表題の字が、「JNRI」となっている。

ある人が、のとにオランダ書コルネーキで調べた。すると、イエス処刑の図の上部に、この4字が書かれているのがわかった。

しかし、その意味について蛮学に通じた人に尋ねてみたのだがよくわからなかった。 230ページ

 

渡来というのか、逆に日本側から出て行った可能性はまったくないのか?

というのも不思議すぎる事案がこの日本列島にはむかしから多い。

2003年以前か以後か、それほど重要な著作、 「竹内文書」の謎を解く―封印された超古代史 2003/11/1布施 泰和 (著)成甲書房

2003年以前か以後か、それほど重要な著作、 「竹内文書」の謎を解く―封印された超古代史 2003/11/1布施 泰和 (著)成甲書房
「竹内文書」の謎を解く―封印された超古代史

■ 四国徳島の剣山で発掘されたミイラの記事が消されている??

>徳島日報に載った記事と、ミイラが消えた

1950年8月26日、山本英輔という海軍大将が徳島・剣山でミイラ100体を発見したという記事が徳島日報で配信されたのだが、徳島日報で当記事が配信された新聞ごと消されているという。これは非常に興味深い。
いろんな本に新聞の切り抜き写真載ってるのに ずっと前に国会図書館で調べたけど影も形もない。
GHQが絡んでるらしい

 

古代ユダヤというものの、実質、本流はシュメールでは?
たとえば、箱舟伝説がある。

アララト山に、ノアの箱舟が行き着いたのが、7月18日とのこと。
四国剣山におみこし(じつは、アーク?)担ぎ上げる祭りがなぜか7月17日。

関係ある?

江戸川乱歩 シュメール語 ← http://www.teikoku-denmo.jp/history/honbun/kojiki.html

 

シュメールから始まった文明の波、東西に向かって興隆地700年ごとに移動。
これから日本の時代がはじまるという。

阪神淡路大震災の起きた年がはじまりらしい。
「ガイアの法則」で検索。

ロスチャイルドの直系の孫のオペラ歌手がなんと淡路島に住んで活動してる。
ユダヤ側も、日本が「約束の土地」であるということをわかってる(笑)??

 

 



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