元サンカの二十家族を取材し交流。いかにしてサンカ像は捏造され、定着したか。
生業、性から死生観まで。従来の虚説を一新する労作
筒井 功氏の一連の本はすべて読んでる。全部凄いが特に凄いのが本書である。
その取材力に圧倒される。サンカの人を特定して、インタビューを行い、仲良くなって、もちろん仮名だが、埼玉県の特別養護老人ホームで誰それは亡くなったなどと、終焉まで見届ける。
一人のサンカに食いついて履歴まで聞き出したのは著者だけではないだろうか。
私など外野から見ている人間にとって、サンカといえば、三角寛そして八切止夫である。
この二人から始めて、周辺部に至る。
今回、この書で暴かれるのは、三角寛のいい加減さ、適当さである。
自分の都合のいいように、衣服、テント、風呂のビニールシートまで準備して、自分好みのサンカ像を作っていったというところが眼目になっている。
実に真摯にサンカと向き合ってきた著者の怒りを感じる。また、それは当然といえよう。
三角寛の生まれ故郷にまで行っての取材、朝日新聞社時代の同期入社の荒垣秀雄(朝日新聞の名物コラムニスト)の三角寛評まで、じつに多岐にわたる。
大分県で私生児として生まれたことも取材している。
どうやら三角寛には話を膨らませる才能・虚言癖があったようだ。
荒垣秀雄の「彼は取材の天才だ」との評価。
ただ、荒垣秀雄は本社で三角寛の電話を受け記事を書いていたので、よくよく事件そのものを確認すれば、些少なものだったということが多かったという。
だから、8年働いた朝日新聞をやめサンカ小説家に転じたのは、彼にとって打って付けだったであろう。
私の考えは、江戸時代あたりに、飢饉から逃れてそのまま流浪してた人たちではないかとなんとなく予想していたのだが、古代から流浪してたって、それは無理というものでしょう(笑)と、思い込んでいたのだが、そうではなさそうである。
少なくとも彼らの存在は、鎌倉時代にはさかのぼるとのこと。
(ちい)という言葉がサンカの中に残っていると。
サンカが天幕(テント)を張る際、地面とのつなぎ目に雨水が入ってこないように棒を差し渡す。その棒をつなぎとめる布を(ちい)というらしい。
それがなんと、日本書紀にさかのぼる言葉だと。
関東において、サンカの居住地は、新田義貞伝説と白山信仰がセットになっているらしい。
サンカと白山信仰はなんとなくわかるが、新田義貞伝説は初耳である。
新田義貞といえば,群馬県太田市金山城である。
金山城の周辺は被差別部落だらけである。1か所を除いて。
なぜこんなに被差別部落だらけなのかといえば、すぐ対岸の足利市が、足利氏発祥の土地だからである。
簡単にいえば、勝者の足利氏から被差別に落とされたということだろう。
金山城から少し離れた由良というまっ平で広大な土地に、巨大な古墳がある。
そこを見に行った際、通りすがりのおじさんに道を聞いたら、「あそこも、部落だよ」と言ってたのを忘れられない。
後半は筒井氏のボルテージが上がって(そのように感じる)、今後のサンカ研究はどうすべきかという話題になる。
にわかには信じがたいが関東周辺だけで元サンカだといえる人は5000人を下らないとのこと。
箕作集落とでもいえるようなサンカが集まってできた村も多いという。
だから、やろう思えば今からでも間に合うと筒井氏は言う。
ただ、現実として筒井氏のように事件記者出身の人物でなければサンカに対応するのは無理ではないか。
寝た子を起こすなというか、触れて欲しくない元サンカが多そうである。
私は、筒井氏が最後のサンカ探求に間に合った人物だとみている。
そういう意味で、筒井氏の一連の著作は重要である。
併せて読みたい
サンカ研究 1987/2/1田中 勝也 (著) 新泉社
上記(うえつふみ)という、大分県に伝わる古史古伝の中の豊国文字がサンカの伝える文字と一致するという不可思議がある。
三角寛は、上記(うえつふみ)を知ってたうえで、見た上で一連のサンカものの著作を書いてたということ?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E8%A8%98
『上記』(うえつふみ)は、いわゆる古史古伝と呼ばれる文書の一つであり、一般に偽書とされる。ウガヤフキアエズ王朝を含む古代日本の「歴史」などが豊国文字で書かれている。
三角寛とサンカ伝承との関係
『上記』はサンカの伝承との関係がしばしば指摘され、時にはサンカ伝承の盗作であると言われることもある。
その理由は『上記』で使われている豊国文字がサンカ文字とよく似ていることと、下総国のサンカの伝承に「大友能直がサンカを1600人も殺し、昔から伝わっていた書物を奪った」というものがあることによる。
ただし、この伝承もサンカ文字もともに三角寛以外に紹介した者がおらず、学術的な検証はできていない。
また、三角寛は『上記』の発見場所と同じ大分県出身であり、『上記』には三角寛だけが紹介したサンカ文字とよく似ている文字が使用されている。
加えて、三角は薬草について造詣が深かったといわれているが、三角が紹介している薬草は『上記』に登場する薬草とかなりの部分で一致するなど、三角一人を介して『上記』とサンカが結合する構造になっている。
と、ここまで書いてきたが、いつもよく行く古本屋で凄い本を見つけてしまった。
歴史民俗学 No.20 Kindle版 関東歴史民俗学研究会 (編集)
サブタイトルに「三角寛ワールドを学問する」と銘打つ別冊総特集。
再評価の気運が高まる三角寛の仕事を検証しつつ、タブーの領域とも言えるサンカの謎に迫る。
最新の取材記事に加え、初公開の関係図版・写真も多数掲載。
サンカフォークロアの新たな視点をめぐって 三角寛ワールドを学問する<インタビュー・「尾張サンカの研究」著者 飯尾恭之> 聞き手 礫川全次
/尾張サンカの研究(10)廻遊竹細工師「オタカラシュウ」の面談・聞き書き・検証調査<飯尾恭之>
/長良川上流域のノアイについて<池田勇次>/コラム・ある在地型竹細工師の行商時持ち歩き小道具<飯尾恭之>
/八切止夫のサンカ五部作を読む<礫川全次>/「最後のサンカ」加藤今朝松一代記<利田敏>
/異見 三角寛サンカ説とサンカの別称<立田浩之>/セブリサンカ”辰っあん”の作った箕とその周辺<堀場博>/
コラム・サンカ文字の考察<飯尾恭之>/三角寛と人世坐<青木茂雄>/サンカに関する文献110(リスト&解題)
/「三角寛」に関する新資料報告<飯尾恭之>/【覆刻】犯罪捜査参考資料より「山窩の研究」/インターネット・”サンカ”案内 ホームページに見るサンカ論<礫川全次>
↑薄い本だが最新サンカ学のキャッチフレーズに恥じない出来である。
全編これ、サンカ、サンカ…
私などの素人からみれば、サンカそれ自体、存在を疑ってる部分があるので、こういう論考集は大いにタメになる。
とくに、コラム・ある在地型竹細工師の行商時持ち歩き小道具<飯尾恭之>は良かった。
サンカはウメガイという特殊な形状の刃物を持ち歩いていることは、三角寛や八切止夫の本で知ってはいたが、こうやって現代日本に生きてる人が、大量のウメガイを持ち歩いていることを、写真付きで見せられると、ただただ壮観というほかない。