「狼に育てられた子」再考…

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「狼に育てられた子」という本がある。

野生児の記録 (1) (野生児の記録 1) 1977/1/1J.A.L.シング (著), 中野 善達 (翻訳), 清水 知子 (翻訳)

カマラとアマラの養育日記

1920年代のインドで狼に育てられた2人の少女を孤児院を運営するインド人の牧師夫婦が育てた日記である。

本書を読む前にWikiで調べると、現在では本書は捏造であるという説が主流であるような書かれ方をしている。

狼の穴で見つかった2人は、1人が推定1歳半で、もう1人が推定8歳で四つ足で歩き死んだ動物の生肉を食べ、人間の子供たちと決して交流しようとせず、昼間はボーっとしているが夜になると活動し始め眼が輝き暗闇でも問題なく見えて鼻と耳が非常に敏感だったと書かれている。

何よりも決定的におかしいのは、本書では「8年間ジャングルで」と書かれていますが、もう1人の子供は1歳半なのです。

まさか別々に捨てられた子供を狼が育てたとは考えにくいので、2人一緒に捨てられたとしか考えられないのですが、そうすれば、狼に育てられたのは、まあ、長くても1年くらいになります。だとすれば上の子は捨てられた時点では7歳なので十分人間の子供としての素養は出来ているはずです。

この点について本書は全く触れられておらず、あたかも生まれた時からずっとジャングルで狼に育てられたように書かれていることが、とにかく変だと思います。

発達障害(発語が不自由)のこどもたちが孤児院にやってきたのを、オオカミが育てた子供に仕立て上げ、四つんばいで歩くように強制し、したがわないと牧師が暴行した、というのが真実だとのこと。あきれた捏造事案です。

「狼に育てられた子」とあるが、狼の母乳を、人間が咀嚼することはできないとのこと。
オオカミの乳汁成分は人間と比べて,脂肪は2.4倍,タンパク質は7倍,炭水化物(乳糖)は半分である。
これでは人間の乳児は消化できず,吐きもどしてしまう。

二人の少女については,シング牧師による詳細な記録と共に,何枚かの写真が残されており,心理学や教育学の世界でも社会から隔絶されたままで成長した貴重な例として,「遺伝と環境」を論じる場合などに頻繁に引用されている。

なぜ“オオカミに育てられた子供”の話が生まれたのか。ひとつは,オオカミが人間にとって身近な存在であったということが挙げられる。
オオカミは32の亜種があり,かつては世界中に広く分布していた。
かといって,けっして人間に飼い馴らされたりはせず,常に一定の距離を保ち,神秘的な存在であり続けてきた。
それだけに神話や伝説などにも頻繁に登場する。

とりわけ,人間と獣類が混ざり合っている伝説を,インドほどたくさんもっている国はほかにない。

著名なローマ建国神話、ロムルス・レムスもそうである。


オオカミ少女は何者だったのか。
これについては,その後オグバーンというアメリカの社会学者がインドの人類学者バースと共に現地調査を行い,『オオカミ少女の足跡を追って』という報告を書いている。

調査が行われたのは,1951年から52年にかけてのことである。
オオカミ少女の救出から30年余り経ってからのことで,カマラの死亡(1922年)からでも20年以上経過していた。

調査はシング牧師が二人を救い出したというゴダムリの村を探し出して,古老から救出実話を聞く,ミドナプールでアマラとカマラを知っている人々を訪ね,日誌の裏付けをとるといったことが主になった。

この過程でさまざまな興味深い事実が明らかになった。
例えば,シング牧師が二人を救出したというゴダムという名前の村は,地図や人口調査などの資料を調べ実地踏査をしても、どこにも発見できなかった。

カラムの孤児院時代の仲間は,おとなしく口のきけない風変わりな少女が一人いたことは思い出したが,特にオオカミ的振舞いを示したことは覚えていないと言っている。
シング牧師の記述が事実だったという証言は,その娘と息子という二人の身内以外からは得られなかった。
心当たりの地域の人々で,オオカミ少女が救出されたという話を確実に見たり聞いたりした人もいなかったという。

結局,オグバーンらは,シング牧師が二人の少女を連れてきた誰かからオオカミの洞穴から救出されたという話を聞き,それを自分の体験談らしく潤色したのだろうということを示唆して報告を終わっている。

増補 オオカミ少女はいなかった: スキャンダラスな心理学 (ちくま文庫) 2015/5/8 鈴木 光太郎 (著)筑摩書房

オオカミ少女の話は作られたものだ。この話が広まった後の調査で、インドの地方紙による記事が見つかった。
これには、虎の穴の中にいる二人の少女を村人が見つけたとある。オオカミ少女、アマラとカマラはオオカミと
一緒ではなかったし、彼女らの記録を取ったシングが発見したわけでもない。さらに、この記録にある写真には、
不審な点が多く、本書では、それらが指摘されている。

四つ足で歩き、生肉を食べたりするなどしている2人の写真は、彼女たちが死んだ後の1937年に撮影されたものである。
この写真は、ミドナプールから来た別の女の子たちがシングのリクエストに応じ、ポーズをとっているのを撮影している。
その写真の中の女の子の身体と顔は、実際の写真のカマラのものとは、完全に異なるものであった。


ところで、これを書く際、はじめは全く違うテーマを書こうとしていた。

日本人の脳: 脳の働きと東西の文化 1978/1/1角田 忠信 (著) 大修館書店

↑一世を風靡した(これだけで、30万部以上うれたらしい)。これを、肯定的に取り上げる予定でいろいろ調べてたら、狼少女に行きついたという次第。

論争

1978年に『日本人の脳』が出版されると30万部を超えるベストセラーになり、「日本人には虫の声が聞こえ、外国人には雑音として聞こえる」という説が広く知れ渡った。角田は、「自然音への特異な感受性を持つ日本人は、情緒的で繊細なため、非論理性や感性が必要とされる創造的な活動で世界の文化に貢献できる」とする。しかし脳の専門家たちからは批判され、欧米諸国からも日本人優越論を主張する愛国主義者だとして猛反発があった。

虫の声を聞き取る日本人の脳は特別か? – 火薬と鋼

火薬と鋼
https://machida77.hatenadiary.jp › entry
2017/01/11 — 角田忠信は当時、独自の実験手法で日本人の脳と西洋人の脳の違いを明らかにしたと主張した。角田説の根拠となった研究で使われた実験手法は、その頃国際的 …

↑このブログが簡潔にしてポイントを明確にしていて分かりやすい。

『「左脳・右脳神話」の誤解を解く』八田武志、DOJIN選書、2013年、ISBN 978-4759813517。


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