小野田寛郎は29年間、ルバング島で何をしていたのか 斎藤 充功 (著) 学研プラス (2015/5/26)

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小野田寛郎さんへの切り口は様々あるだろうが、太平洋戦争時、フィリピンに隠匿された日本軍埋蔵金の、生けるボディーガードとしての小野田さんという切り口は初めてである。

そんなの始めからあるわけないじゃないよ、都市伝説よという人はひとまず置いておいて、あったか、なかったかを言えば、限りなくあったと思う。

小野田さん、発見時、大統領だったマルコスもそれを知っていたどころか、発見した一部をすでに自分のものにしていたから、更なる発見に期待して、小野田さんを発見を喜んでいたのだろう。

公式的には、1972年5月のゴドフレドさん、殺害を最後に、ルバング島で小野田さんらによる狙撃の犠牲者は21人にものぼる。

しかし、当の小野田さんはそれを否定して100人前後、殺したと述べている。

小野田少尉との三ヵ月「幻想の英雄」 2014/8/4メディアタブレット 津田信 (著) 形式: Kindle版

津田信は、1974年5月から7月の3ヶ月間、28年ぶりに帰還した元日本兵小野田寛郎と共同生活をし、その手記「戦った、生きた」を『週刊現代』に連載しました。これは、のちに『わがルバン島の三十年戦争』と改題されて、講談社から出版されました。
しかし、この手記は、真実を歪めて書いたもので、その罪の意識から、津田信は、3年後の1977年6月に、手記代筆の真相を暴露した書下ろしノンフィクション『幻想の英雄-小野田少尉との三ヵ月』を(図書出版社から刊行しました。

自国民を100人も殺されてのマルコス大統領のあの態度はおかしい。

・小野田さんは早い時期に終戦を知りながら現地人を殺して略奪をしていた。

・なかなか出てこなかったのは現地人の復讐を恐れていたから。

・出ていくには自分が無罪になる確証が必要で、それには終戦を知らなかったという建前を崩せなかった。

日本軍埋蔵金(通称、山下財宝)とは、とにかく膨大な物らしい。

大部分は、インドネシアにおけるオランダ政府資産のことらしい。

間違いなく「あったもの」とする根拠は、以下の3点。

① 1971年、バギオ市に住む弁護士が「マルコス大統領に黄金の仏像を乗っ取られた」と訴えでた。ルソン島北部で発見されたその仏像を、「国家財産として」没収された。高さ1メートルの黄金の仏像で頭部が取れるようになっており、内部にはダイヤモンドが入っていたと。(朝日新聞1987年7月14日付け)

② 昭和27年、財宝を運搬してたドライバーの証言から、東京・越中島の運河からGHQ立ち合いのもと、大量の金塊が引き上げられたいう事件があった。

③ 金塊の一部を、鋳つぶして再度つくったという「福丸金貨」の存在。田中貴金属と並ぶ徳力が一連の作業を担当。社史にもあるし、現物も残っている。

だから全てを総合して考えれば、小野田さんは日本軍埋蔵金の、生けるボディーガードではなかったか…

 







【拉致問題】小野田寛郎さん「昔なら戦争になっている。最近の日本人は『国』という意識が低く、情けない」2008/03/13(木)

ブラジル日本会議(小森廣理事長、上野アントニオ会長)はこのたび、団体として正式登録・発足するにあたり、南マット・グロッソ州に牧場を持つ小野田寛郎、町枝夫妻を招き、記念講演を行なった。
約二百人が会場となった文協小講堂を埋めた。
小野田寛郎さんは、陸軍少尉としてフィリピン・ルパング島に着任、戦争終了後も二十九年間、
山中でゲリラとして潜伏し続け、七十五年に帰国、国内外で大きな話題を呼んだ。

その後、町枝さんと結婚、次兄のいたブラジルに移住、マット・グロッソ・ド・スール州で牧場経営のかたわら、二十年ほど前から、「健全な日本人を育成する」ことを目的に『小野田自然塾』を主宰、現在日伯間を往復する多忙な日々を送っている。

〇四年に、ブラジル空軍から、日本人初の「サントス・ドゥモン勲章」、
翌年には日本政府から藍綬褒章を受章している。

上野会長の紹介で壇上に立った小野田さんは現在八十五歳。よく日に焼けた
精悍な表情と真っ直ぐに伸びた背筋は、年齢を感じさせない。
三十三年前に移住した当時の話や、キャンプなどを通じて、青少年を育成する『小野田自然塾』の活動を披露。

北朝鮮による拉致問題などを引き合いに出し、「昔ならば、戦争になっているところ。
人権問題としてマスコミは報じているが、〃国権〃の問題。最近の日本人は、

『国』という意識が低く、情けない」と厳しく日本の外交政策なども批判した。
「権利や自由を優先し、自分の自由のために親や子を殺す状況となった今、
国とは何かを考える日本会議の主旨は大事」と同会議の発足を祝った。

ニッケイ新聞 http://www.nikkeyshimbun.com.br/080311-72colonia.html

 

■小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」「正論」一月号より
http://www4.airnet.ne.jp/kawamura/enigma/2005/2005-01-16-onoda_ianhunoshoutai.html
「従軍慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか。

首相の靖国神社参拝や従軍慰安婦の問題は、全く理由のない他国からの言いがかりで、多くの方々が論じているところだ。南京大虐殺と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが、未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。 戦後六十年、大東亜戦争に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつある現今、
私は証言として、「慰安婦」は完全な「商行為」であったことを書き残そうと考えた。

今更これを問題にして騒ぎ出す者たちの狙いは何なのか。言えることはただ一つ、
喚き散らしていれぱ、何かが得られると狙っているということだ。 (笑)

◆どこにもいなかった「性的奴隷」

彼女たちは実に明るく楽しそうだった。その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に該当する様な影はどこにも見いだせなかった。確かに、昔からの言葉に、「高利貸しと女郎屋の亭主は畳の上で往生出来ぬ」というのがあった。明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。

↑小野田さんに対して、厳しい意見を述べてきたが、私はむしろこういう、大日本帝国共栄圏思想に組する小野田さんが大好きである。




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