『日清戦史』草稿の不都合な事実はなぜ隠蔽されたか。『日露戦史』でもなされた戦史改竄が遺した禍根と、『坂の上の雲』で形成された日本人の歴史観を問い直す。
1955年生まれ。ジャーナリスト。2018年まで朝日新聞社に記者として勤務し、青森市の三内丸山遺跡の出現、中国・西安における遣唐使の墓誌の発見、千葉市の加曽利貝塚の再評価などの報道を手がけた。著書に『歴史認識 日韓の溝』(ちくま新書、第27回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞)、『関東大震災「虐殺否定」の真相』(ちくま新書)、『虚妄の三国同盟』(岩波書店)、『軍事機密費――GHQ特命捜査ファイル』(岩波書店)、『神奈川の記憶』(有隣新書)など。
「中国とその政治権力である中国共産党がもっとも恐ろしいのは、歴史もなく、文化も持ってない野蛮な集団だということだ。
中国は文化大革命や紅衛兵騒ぎによって、自分たちの文化も文化もすべて壊してしまい、共産主義という宗教も文化もない政治体制を作り上げてしまった。」
ジャーナリスト・日高義樹 米中時代の終焉 (PHP新書) 2020より
気息奄々たる上海の邦人工場 窮状を語る操業率 大阪朝日新聞 昭和6.11.15(1931)
上海にある各種工場は日貨排斥により、今や重大な危機に当面しつゝあるが、
二十四日上海駐在加藤商務参与官代理から外務省への入電によると、
何れも事業休止或は極度の縮小を余儀なくされ、この先排日貨が継続すれば
各工場軒並に休業するものと憂慮されている、
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?
↑土人は土人… 歴史は繰り返す…
なぜ、日本の近代史から長崎事件が消されているのか?
なぜ、日本の近代史から長崎事件が消されているのか?
この本も勿論、長崎事件の「な」の字も出てこない。
「…日本は平和を願ったのだが、好戦的なシナのせいで、やむなく戦争になったと強調すること、失敗した軍事行動は記さないこと、
直接作戦に関することのほかは末尾に付け足しておけばいいーーといった指示である。」
↑と、中塚明も福島の図書館で発見したとする日本陸軍参謀本部の「佐藤文書」なるものを精査して云う。
全てのこの類の本に共通するのは、いきなり唐突に日清戦争開戦から始まり、朝鮮の王宮占拠に触れ、東学党の乱発生、鎮圧辺りに触れ、2万とも3万ともいわれるちょうせんじんの死者に触れ、日本軍やりすぎじゃないのかといった意見を述べる…
大体がこのパターンである。
福沢諭吉が自己資金を提供して、寄付金額たしか2位、他の日本人も挙国一致となったのに、なぜその熱い思いが忘れられているのか?
由々しき問題ではないのか、という問題提起をしたつもりで、去年はてなブログで3本くらい書いたが、驚くほど反響がなかった…(笑)。
本書で高く評価されている中塚明という先ごろ亡くなった、典型的なサヨク歴史家のダメダメぶりについては3本のブログに書いたからぜひ暇なら読んで欲しい・
2024-01-01
【長崎事件】清国水兵の暴挙!小戦争と評され日清戦争の原因の一つとなった暴動事件 歴史の物語
【長崎事件】清国水兵の暴挙!小戦争と評され日清戦争の原因の一つとなった暴動事件
歴史の物語 チャンネル登録者数 2.51万人
17,259 回視聴 2023/12/30
↑素晴らしすぎる!! 是非ともすべての日本人に見て欲しい。
日本の近代はここから始まった。
何度も書いているが、先に殴ってきたのはシナだからな…
あまりにも過少に忘れ去られている。
危険である。
尖閣をめぐるシナの言いぐさ、行動にそっくりである。
何度、殴られてもわからない、バカ人種である。
日清戦争時の総兵力、
日本は24万人に対して清国は98万人。
軍艦は、日本28隻に対して、清国は82隻。
GNPは日本の約10倍!!!
日露戦争も似たようなもんだが、こんな巨大な敵を倒してるもんだから、真珠湾攻撃したくなる気持ちもわかるというもの、
↑まったく結果をみれば奇跡のような、両国の差である。当時の清国は決して小国ではなかった。
むしろ、この事実を全面に出して子供たちに教えるべきではないだろうか。
↑圧倒的なこの戦力差のまま、8年後、日清戦争でシナを打ち負かしてしまうのだから、ただただ、ひたすら凄いというほかない。
2023-05-26
司馬遼太郎の歴史観―その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う 2009/中塚 明 (著)高文研 3つの司馬史観批判について。「国民作家」が今まさに、危機にいる!
論点3 反日バカサヨクどもの本には、きまって、清国水兵長崎事件が抜けてること。これは重大だ。見過ごせない。
2023-06-12
長崎清国水兵争闘事件「再考」 明治19年。 それは、明治の「元寇」だった!
明治から昭和の戦前の狂気は始まっていた
2015年10月17日に日本でレビュー済み
中塚明『司馬遼太郎の歴史観―その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う』(高文研、2009年)は『坂の上の雲』に見られる司馬遼太郎の歴史観、韓国観を批判した書籍である。本書の前半は司馬遼太郎の歴史観を丁寧に説明している。本書の読者は、元々、司馬史観に批判的な立場が多いと予想されるが、そのような人々にとっては分かりきっている記述も多く、じれったく感じるかもしれない。
著者の主張は明快である。明治は輝いていたが、昭和の戦前は狂っていたという歴史観を批判する。明治から昭和の戦前の狂気は始まっていたと指摘する。
日清日露戦争は太平洋戦争と比べて綺麗な戦争ではなく、東学党弾圧や旅順虐殺など日本が韓国や中国の人民にしたことを忘れてはならない。
歴史学者が大衆文学作家の歴史観を必死に否定することに滑稽さもあるが、問題は司馬遼太郎の歴史観が普及していることである。特に問題は左翼進歩派の側にも司馬遼太郎の歴史観に沿っている人が少なくないことである。それは左翼進歩派の底の浅さを示している。左翼進歩派と言っても権威主義という点では体制派と変わらない体制内批判派との反発を抱かせる。司馬遼太郎の歴史観への反発が司馬遼太郎が否定した戦前の肯定という形で出てくる。戦前の肯定的な再評価がカウンターカルチャーになっている現実がある。故に本書のような批判は価値がある。
↑これが、アマゾンレビューに載ってた洗脳されたバカ左翼の典型的な例。
そもそもこの人たちの歴史観が始めっからおかしい。
なぜなら、日清戦争は、完全にシナから殴ってきたものだからだ。
シナが殴ってきた → それすなわち、長崎事件である。
反日バカ左翼のこのテーマの本、30冊ばかり読んでいるが、一つの重大なポイントに気が付いた。
反日バカ左翼は、いつも日清戦争を取り上げる際、けっして「長崎事件」には触れないということ。
長崎事件は全く知られていないが、1886年(明治19)その当時、清帝国と呼ばれた中国の北洋艦隊が突如長崎に来襲し、水兵の大集団が大暴動を起こした侵略事件だ。
長崎事件(長崎清国水兵事件)
1886年8月1日、北洋艦隊の新鋭戦艦「定遠」「鎮遠」と巡洋艦「済遠」「威遠」の4隻が、日本政府には何ら予告なく、無許可で修理のためと称して突然、長崎に入港した。要するに、弱小国、日本を舐め切っていた。
艦名の「遠」は外国を意味し、特に日本を指していました。
「定遠」「鎮遠」は日本鎮定の意味です。
この僚艦はドイツ・フルカン社製で、排水量7,400t、主砲は30cm×4、当時世界第一の大戦艦でした。
その頃、日本海軍は英国アームストロング社製の「浪速」と「高千穂」(3000t)の小艦があるだけでした。
当時の日本海軍は、時の清国主力艦『鎮遠』、『定遠』の2装甲艦にまったく立ち向かうことができない実力であり、戦争など思いもよらないことでした。
8月13日には清国水兵が勝手に上陸を開始しました。
兵力は500人以上。長崎市内をのし回り、商店に押し入って金品を強奪しました。
酒を探して飲み、市民の女性を追いかけるなど、散々に暴れ狂いました。
結局、清国水兵は警察官と衝突。
死者10人、重軽傷者70人以上という大暴動に発展しました。
この長崎事件は当時、日本全国に一大ショックを与え、清国に対する日本人の敵愾心が、烈火のように燃え上がりました。
この事件の背景には、朝鮮問題を巡る日清両国の紛争がありました。
そこで日本を脅かすため、清国海軍が計画的に長崎に殴り込みをかけたのです。
当時の弱小国、日本は歯噛みしながら、なす術もなかったのです。
李鴻章は日本に謝罪するどころか、 日本との戦争も辞さずという強硬な態度を取る。
日本政府はその圧力に屈し、3万7千円の賠償金を払い日本側関係者の処罰まで行う。
これは出来レース、はじめから日本に因縁ふっかけるつもりで連中は日本に来ていた。
なぜこのような理不尽な処理をしたかというと、当時の清国の兵力108万人に対して日本は7万8千人であり、もしこの事件がきっかけで戦争になったら簡単に東京を制圧され、九州を取られていただろうと予測されていた為だ。
事件の後、日本人はプッツン切れた。あのクリスチャンの内村鑑三でさえ、
「文明国として不実のシナに対しては鉄血を以って正義を求めるしかない永久平和の為に戦え」と言ったほど
そして日本は軍備増強を行い、8年後、清国を打ち破るのであった。
この長崎事件を契機として、日本人の防衛思想の根底に、大陸を国防の第一線とする考え方が生まれたのです。
売国サヨクの歴史観にはこの歴史認識(長崎事件)が抜けてる 無垢なる中国に一方的に悪いことした… アホか
売国サヨクの歴史観にはこの歴史認識(長崎事件)が抜けてる 無垢なる中国に一方的に悪いことした… アホか
原因があるから結果がある。
日清戦争に関しては、原因は長崎清国水兵争闘事件だ。はっきりしてる。
その根本のそもそもの原因がおざなりにされてる現状を深く憂いてこれを書く。
参考文献といえばなんとひとつもなく、
参考論文といっても以下のたった2つしか書かれていないという惨状!!
安岡昭男「明治十九年長崎清国水兵争闘事件」法政大学文学部紀要36、1990年
朝井佐智子「清国北洋艦隊来航とその影響」愛知淑徳大学現代社会研究科研究報告4、2009年
「1891年、明治24年、再び北洋艦隊は今度は横浜へ入港する。
作家・石原慎太郎は正宗白鳥が握り飯を持って横浜港まで北洋艦隊を見物に出かけたことを書いている。
北洋艦隊の来航は日本人にとって、清国に対する意識を大転換させるきっかけとなった未曾有の事件であった。
日清戦争開戦への世論が整う条件として、様々なものが考えられるが、少なくともその一つに北洋艦隊の来航が考えられるのではないだろうか。それ程、当時の日本人に大きな衝撃を与える事件であったのである。」
朝井佐智子「清国北洋艦隊来航とその影響」愛知淑徳大学現代社会研究科研究報告4、2009年。
朝井氏の論考はわずか16ページだが、内容豊富で福沢諭吉や右翼団体・玄洋社への影響など盛りだくさんなので読まれることをすすめる。
朴鉄柱(韓国 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)
「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本か
ら仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取
り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル
・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。
“事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、
開戦時の心境であった。それは日本 の武士道の発露であった。
日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。
日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、
アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」
「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民
地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というの
はクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、“聖なる戦争”であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。
二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社
に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」
↑勝ったのは日本だよ バカ左翼(中塚明、渡辺延志ら)はバカだから、不誠実だから、近視眼だから見えないだけで…