法隆寺を支えた木 [改版] NHKブックス Kindle版 西岡常一 (著), 小原二郎 (著) 2019
やっぱりヒノキ 1000年超えても大丈夫!
1978年の初版から40年にわたり90回を超える増刷を重ねたロングセラーを読みやすく改版!
貧窮にめげず一子相伝の「宮大工」を生きた西岡氏と、軍隊帰りの厳しい姿勢で農学を究めた小原氏がタッグを組み、世界遺産・法隆寺の奇蹟を解き明かした力作。
近年英訳され、欧米の研究機関でも読まれるようになった。ヒノキが生んだ「世界最古の建築物」の謎を易しく解説する、不朽の名著!
第一章 飛鳥と木
第二章 木の魅力
第三章 木用貧乏
第四章 木は生きている
第五章 ヒノキと日本人
第六章 古代における木材の輸送
第七章 ヒノキ考
西岡 常一(にしおか・つねかず)
1908年奈良県に生まれる。1995年没。西岡家は、鎌倉時代にはじまる法隆寺四大工の一人、多聞棟梁家につながる宮大工の家柄。明治のはじめ祖父常吉氏の代に法隆寺大工棟梁を預かる。常一氏は幼少より祖父常吉氏から宮大工の伝統技術を教え込まれ、1934年に法隆寺棟梁となる。
20年間にわたった法隆寺昭和大修理で、古代の工人の技量の深さ、工法の巧みさに驚嘆したという。法隆寺金堂、法輪寺三重塔、薬師寺金堂、薬師寺西塔などの復興の棟梁として手腕をふるった。
文化財保存技術者、文化功労者、斑鳩町名誉町民。著書に『木のいのち木のこころ(天)』(草思社)『蘇る薬師寺西塔』(共著、草思社)『木に学べ』(小学館)『法隆寺を支えた木』(共著、日本放送出版協会)『斑鳩の匠・宮大工三代』(共著、徳間書店)ほか。
素晴らしい本だが、私の関心は一点、法隆寺は移築されたのではないかということ。
1934年に法隆寺棟梁となる。20年間にわたった法隆寺昭和大修理で、古代の工人の技量の深さ、工法の巧みさに驚嘆したという。
法隆寺が移築されたなら、この人が気づかないはずはない。
現実に実際に、米田良三氏の問いかけに対して、和紙に毛筆で「法隆寺移築を認める」手紙を送ってきたと。
『続・法隆寺は移築された YONEDA’S 建築史学入門』 10ページ部分。
両人ともすでに故人だが、その素晴らしい手紙が公開されていないことが残念でならない。
細かく読んでも、西岡氏が法隆寺移築を認めた記載は本書(「法隆寺を支えた木」)にはない。
法隆寺は移築された―太宰府から斑鳩へ 1991米田 良三 (著) 新泉社 世界最古の木造建築、法隆寺の五重塔や金堂は九州大宰府から移築された。
法隆寺の資材帳や昭和の解体修理工事報告書などを詳細に検討、三十三間堂・観世音寺の謎も解明。倭国の文化と聖徳太子の原像を描き出す。
建築家である著者の結論は、法隆寺は九州大宰府から移築されたというもの。
名高い法隆寺の再建・非再建論争のことは知っている人も多いと思うが、それを圧倒する結論、それが法隆寺移築説である。
著者略歴・米田良三 建築家、古代史研究家。1943年三重県松阪市に生まれる。
1968年東京工業大学建築学科卒業。
建築から日本古代史を見直す研究をつづける一方、古代建築の基礎構造をヒントに耐震技術の開発を行っている。
『続・法隆寺は移築された YONEDA’S 建築史学入門』
縦書き 20行×42字 280ページ
A5版ハードカバー改定カラー版(2019.4.2発行) 3900円
米田良三 原著 渡辺しょうぞう 編著
AB&JC PRESS 発行
初版『続・法隆寺は移築された「源氏物語」は筑紫が舞台だ』より断然パワーアップ、しかも読みやすく、痛快です。
米田建築史学シリーズ 全4冊最新データ
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制作部数が少なく、オールカラー版の為、割高感は避けられないことを御理解下さい。
西岡常一氏は云う。
飛鳥時代人の「ひらめき」と「やり抜いた」行動力がなかったら、こんな古い建物を、いまのわたしたちは見られなかったのではないでしょうか。
それは、建物の掘立柱式を、礎石式にしたことです。
何百年と続いてきた古代人の掘立柱方式を法隆寺創建にあたって急に礎石式にきりかえたのは、どういういきさつと、だれの力によるものなのでしょうか。
46ページ 飛鳥人のきらめき 法隆寺を支えた木
じつは法隆寺以前に近畿地方に大寺院は多い。
飛鳥寺西方遺跡、川原寺、山田寺、若草伽藍(法隆寺の前にその場所に建てられていた。発掘で明らかになった)、四天王寺。
684年に起きた白鳳大地震ですべて倒壊してしまったと地震建築の専門家でもある米田良三氏はいう。
実際に、山田寺の発掘で明らかになったことだが、液状化現象で倒壊してそのまま放置されたことがわかっている。
だから、畿内勢力(仮にこう名付けておく)は、九州王朝の現・法隆寺を移築した際に、九州王朝の礎石式が優れていることを理解して、法隆寺を移築した際も礎石式にしたということが真相だと米田良三氏はいう。
法隆寺移築説からみた「九州王朝説」 失われた九州王朝―天皇家以前の古代史 (1973年) 古田 武彦 (著) 朝日新聞
古建築秘話 / 伊藤平左エ門∥著 / 鳳山社 , 1962
1962年に宮大工の棟梁の家系に生まれた11世伊藤平左衛門は、建築に使われる尺度の歴史的違いに着目することで、法隆寺は後世の再建で、別の場所から移築されたと結論付けた。
この本、10年前になるが、5万円で古本屋から買って持っている。
文化勲章受賞者で、輝くばかりの経歴を持っている人だが、この本は、家族が重版を拒否して、知る人ぞ知る本になってしまっていることが惜しい。
古田武彦の提唱した「九州王朝説」も最近では誰も言及しなくなったが、私はこれが日本の歴史の真実だと思ってる。
依然として私の中で巨大なのは、法隆寺移築説からみた「九州王朝説」のことである。
これらの素晴らしい法隆寺移築説は無視されているが、法隆寺がどこかよそから移築されたのは間違いないと思う。
だから、間違いなく九州王朝はあったのだといえる。
五重塔はなぜ倒れないか (新潮選書) 1996/2/22上田 篤 (著)
自然の災害の多い日本にあって、五重塔はなぜ倒れないのか。それはただ美しいだけではない、宮大工の知恵、構造力学の宝庫であった。建築、歴史、構造など、さまざまな分野から五重塔の神秘に迫る。