邪馬台国と狗奴国と鉄 2010/2/1菊池 秀夫 (著)彩流社 邪馬台国畿内説の皆さんよ、これこそまさしく東遷の証拠じゃないの??

どきどき古代史
Version 1.0.0

本書は出版されたときに、書店で買い求めて、以来、目繰り返している。

6度目の再読で、考えもまとまってきたので本書について書きたいと思う。

 

魏志倭人伝についてあれこれ論ずるところはあるけれど、最大の謎は、卑弥呼の邪馬台国と激しく対立したという狗奴国がその後どうなったかについて記されていないことだろう。

 

魏志倭人伝によれば、女王国の南には狗奴国があり、女王と敵対していたという
つまり女王国の所在地は邪馬臺国連合の南端付近であると分かる

卑弥呼は魏から親魏倭王と認められたのだから、その敵対国である狗奴国は
魏との交流を持っていないと考えられる

ゆえに、邪馬臺国がどこであったかは出土品の分布を見れば一目瞭然

九州で出土した副葬品の分布地図

金銀細工や硬玉やガラス製の勾玉など、大陸産のものが
佐賀、福岡、熊本にかけて大量に出土していることが分かる

そしてそれは熊本県八代市あたりでぷっつりと途切れている
ここが邪馬臺国と狗奴国の勢力境界線である@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 

考古学者・森浩一氏が、九州からいくら鉄が出てきても畿内説の考古学者は
無視するが、近畿地方から鉄のかけらでも出てくれば大騒ぎする、
と言っていたが、これは畿内説の考古学のあらゆる面で妥当する。

九州の数百と言われる高度な鉄鍛冶遺跡には触れず、淡路島の原始的な
鉄鍛冶遺跡を「日本最大級」と発表したりする。

畿内説の考古学は少し疑ってかかる方がいい。

淡路島 五斗長垣内遺跡
遺物の鉄器は、矢尻、鉄片、鏨(たがね)、切断された鉄細片など75点が出土した。

熊本 西弥護免遺跡
西弥護免遺跡では弥生終末期 581点の鉄器が出土している。さらに鉄滓などもあり。

↑75対 581 !! まるっきり比較にならない…

 

しかも、狗奴国と思われる熊本県には、弥生時代の鉄鍛冶遺跡がほかにもゴロゴロある。

 

二子塚遺跡(熊本県上益城郡嘉島町) およそ、1000点を超える鉄片が出土。

狩尾遺跡群(熊本県阿蘇郡阿蘇町 狩尾)

狩尾・方無田遺跡

狩尾・前田遺跡

池田・古薗遺跡

方保田東原遺跡

↑まだまだあるが、このあたりでやめておく。ただ、感慨深いのは、熊本県の弥生時代の鉄鍛冶遺跡をまとめて抽出したのが広島大学の川越哲志という人で、それは非売品で外部に伝わっていなく、邪馬台国九州説の何人かが分かりやすくまとめたものらしい。2010年の時点で。

 

高添台地の遺跡(倉園遺跡、高添遺跡、土木園遺跡)の特徴をまとめると次のようになる。

中略

古墳時代前期前葉以降になると、突如として台地上から人的活動の痕跡が消えてしまう。

その減少ぶりはあまりにも劇的で、このことから、政治的な大規模かつ強制的な移動が行われたのではないかと考えられている。

146ページ

邪馬台国畿内説の人がよく言うことに、「あの田舎の九州」に7万戸はおかしいというもの…

しかし、我が国でもっとも早い時期の延喜式を見た方がいい。

【稲作の分布】古代は九州のほうが圧倒的に大きい。ほぼ、3倍!!!

旧国 『延喜式』出挙稲数(束)

◆畿内 2,087,126
山城 424,070大和 554,600河内 400,954和泉 227,500摂津 480,000

◆西海道 5,990,581
筑前 790,063筑後 623,581豊前 609,828豊後 743,842肥前 692,589肥後 1,579,117

延喜式は10世紀だから、古代3世紀ごろはもっと差が大きいんじゃない

弥生時代の農業生産はおそらく畿内全域と九州で10倍くらいは差があったでしょう。

延喜式 出挙稲数

畿内 2,087,126
山城 424,070
大和 554,600
河内 400,954
和泉 227,500
摂津 480,000

西海道 5,990,581
筑前 790,063
筑後 623,581
豊前 609,828
豊後 743,842
肥前 692,589
肥後 1,579,117
日向 373,101
大隅 242,040
薩摩 242,500
壱岐 90,000
対馬 3920

 

1000キロの海を渡った「大王の棺」: 九州から大阪、実験考古学の航海が解く古墳の謎 2008/澤宮 優 (著)現代書館 近畿の古墳の石棺のピンクの石って熊本産なんだろ?おまえら、嫌いな国の、地方の産物に囲まれて死にたいと思う?これこそ東遷の証拠じゃねえか

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近畿の古墳の石棺のピンクの石って熊本産なんだろ?

これこそ東遷の証拠じゃねえか

おまえら、嫌いな国の、地方の産物に囲まれて死にたいと思う?

九州以外で確認された阿蘇ピンク石(馬門石)の石棺  5世紀後半~7世紀前半(築造年代は推定)

〈1〉岡山市・造山古墳 〈2〉大阪府藤井寺市・長持山古墳 (伝・允恭天皇陵陪塚2号棺)

〈3〉大阪府羽曳野市・峯ヶ塚古墳 〈4〉奈良県天理市・鑵子塚古墳 〈5〉奈良県桜井市・兜塚古墳 〈6〉桜井市・慶雲寺

〈7〉桜井市・金屋ミロク谷 〈8〉岡山県瀬戸内市・築山古墳 〈9〉奈良市・野神古墳 〈10〉滋賀県野洲市・円山古墳

〈11〉野洲市・甲山古墳

〈12〉大阪府高槻市・今城塚古墳

〈13〉奈良県天理市・東乗鞍古墳

〈14〉奈良県橿原市・植山古墳

阿蘇ピンク石 – Wikipedia

 

日本古代の国家形成: 征服王朝と天皇家 (講談社現代新書 128) 1967/10/1水野 祐 (著)

わざわざ熊本からピンク石を運んだのは一体誰だったのか…
私はこの事実を知って、水野裕先生の「狗奴国、九州の覇王になった」説を思いだした。

狗奴国は女王卑弥呼の邪馬台国と長らく対立してて、以降の文献に記載はないが、けっきょく狗奴国が勝利して東遷を開始したのではないかとの説である。

 

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