古代九州王国の謎 (1976年) 神西 秀憲 (著) 新人物往来社 本書は古代日本の歴史はすべて北九州の中だけにあったという、古代史実を述べようとするものである。

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著者曰く、

「まえがきより。本書は古代日本の歴史はすべて北九州の中だけにあったという、ひどく怪奇な古代史実を述べようとするものである。

……そして、日本の本体だと思われていた本州はまったく無関係の異国にすぎなかったということを述べるのが本書の趣旨である。」

 

九州王朝説・信奉者の私からすればまさに夢のような本ではないか(笑)。

期待に胸膨らませて読んでみた。

これが実に濃い。

 

この山口県生まれ、京都在住の著者はこの本を書くために40年かかったとのこと。

九州王朝説の古田武彦は出てこない。

出版されたのが、1976年、書くまでに温めていて40年かかったというくらいだから、古田武彦はお呼びではないということか。

まったく、別ルートから著者はこの結論にたどり着いたみたいだ。

祖母山大神(おおが)神婚神話という、日本最古の神話伝承が九州の宮崎県を中心とした中部山岳地帯に歴然と残っている。

神社や舞台となった洞窟まである。

まとめると、

① さいしょに一人の娘がいる

② 立派な男が通ってくるようになって、いつしか妊娠する

③ その男が来るのはわかっているが、いつ帰るかは知らない

④ 明け方、男が帰る時、糸を通した針を服にさして置き、

⑤ 娘が、その糸をたどっていくと、山中の池(洞窟)に入っていった

⑥ その池(洞窟)の主は竜(大蛇)であった

⑦ まもなく娘は男の子を産み、この男の子はその後、大人となる

 

あれどこかで聞いたなこれは、とわかったあなたは察しがいい。

そう、これはあの「三輪山伝承(オオタタネコ女神)」と同じなのである。

奈良と九州中部山岳地帯……

 

この距離的にかけ離れた土地に、なぜ似たような話があるのか?

だが、答えは意外に簡単だ。

まずは、時代が違う。

オオタタネコ女神は崇神天皇(270~280)のころの人だ。

対して、祖母山大神(おおが)神婚神話はもっと古い、神代の時代の話だ。

だから、どう考えても九州のほうが古い。

九州から伝えられたのであろう。

 

この調子で、著者は古代大和(耶馬台国)は、宇佐を中心とする豊前(大分北部)にあったとする。

出雲とは、現島根県ではなく豊後(大分南部)にあった。

遠賀には高倉神社、熊野宮がある。前者には三種ノ神器を格納し祭っていた神庫(所謂、伊勢内宮の前身)がある。

そしてその裏には日本最初の神官である伊賀彦が葬られた日本最古の古墳がある。

この神庫は祭政一致であった応神王朝200年移動していない。

遠賀の九州王朝が続いていたのである。

その後、神武東遷により奈良一帯出土の石上神宮の七支刀も東遷品である。

 

古事記の八雲(耶馬台の狗奴)たつ出雲八重垣妻(投馬)ご(込)みに八(耶馬台)重(遠賀入江)垣(河城)作るソ(襲)の八重垣を」の大意は、その意味は遠賀の八重垣は投馬国を含めて大出雲国となったと云う意味である。

これは、古代大和(遠賀発の大分北部を中心とする耶馬台国)が南部大分の出雲と重なったことを意味する。

遠賀、豊前と豊後を併せた第二次耶馬台国(豊ノ国)の誕生である。

卑弥呼時代は、遠賀そして大分北部の豊前のみであった。(ここ重要 私も同じ結論を持っている

九州遠賀が日本の起源で、奈良は東遷の結果という説である。

そして、奈良・出雲の地名は古く遠賀の地名が散りばめられているという論証である。



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ところでこういう本がある。

西都原古代文化を探る―東アジアの観点から (みやざき文庫 22) 2003/日高 正晴 (著) 鉱脈社

宮崎県に生まれ、宮崎県に住み、長年、宮崎県の古代史に取り組んでおられる方である。

著作も宮崎県に関することだけという徹底ぶり。

西都原古墳群についての考察など面白いが、ここで取り上げたいのは、本書の後半部、「祖母山大神(おおが)神婚神話」を取り上げている部分。

 

見逃せないのは奈良の三輪山山頂にそのものズバリ、日向神社があったとのこと。

出所、祭神に関しては古すぎて不明。

日向社があったことについて誰も解明した者はいないとのこと。

それからすでに大正時代、民俗学者の鳥居龍蔵博士が朝鮮半島の南西部、韓国全羅南道の光州地方に伝わった祖母山大神(おおが)神婚神話、三輪山伝承にそっくりの昔ばなしを紹介している。

朝鮮半島の南西部、韓国全羅南道の光州地方といえば、これ ↓

 

「異形」の古墳 朝鮮半島の前方後円墳 (角川選書) 2019/高田 貫太 (著)KADOKAWA  「九州王朝論者」からみた、南韓半島に残る前方後円墳について

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「異形」の古墳 朝鮮半島の前方後円墳 (角川選書) 2019/高田 貫太 (著)KADOKAWA  「九州王朝論者」からみた、南韓半島に残る前方後円墳について

 

2世紀から5世紀、6世紀にかけて、朝鮮半島南部に倭人はいたのだから、逆に、九州の倭人が伝えた説話ではないだろうか。
何でもかんでも朝鮮半島から伝わったとするのはよくない。

 

併せて読みたい

伝説で解く邪馬台国 (1975年) 神西 秀憲 (著) 新人物往来社

 

「古代国家と道教」(重松 明久)1985における、「大卒」発見について

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法隆寺移築説からみた「九州王朝説」 失われた九州王朝―天皇家以前の古代史 (1973年) 古田 武彦 (著) 朝日新聞

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豊日別宮 女神信仰と邪馬台国 田中了一著・2000年 自費出版 邪馬台国だけではなく、「倭国」の実態も、もしかしたら、この辺りにあったのではないか?

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