いわゆる、「渡来人史観」批判…【今回は重要です】渡来人は倭人だった 渡来人が何万人も朝鮮半島から渡ってきたというの無理ではないか?? その狭間を埋めるもの、それがまさに九州王朝説である

どきどき古代史

 

【今回は重要です】渡来人は倭人だった, 理系が暴く歴史の真実 #古代史 #縄文時代 #日本人のルーツ


理系が暴く歴史の真実 チャンネル登録者数 2540人

109 回視聴 30 分前
#古代史 #日本史 #縄文時代 #理系 #歴史解説 #日本人のルーツ
多くの史料に基づいて渡来人は倭人だったことを推察します

 

対馬ルートはアフリカ発人類が朝鮮半島から日本列島に来たというのですが、対馬海峡に陸路は存在せず、旧石器時代の人類は丸木舟を作れないので、対馬海峡を横断することはできませんでした。

調べてみると、1万年前に日本列島が大陸と繋がっていたという説は現在では否定されているようだ。

この図は、東京大学の大橋順・人類学教授が膨大な過去データを2024年にまとめたものだが、これをみると、実に不思議なことに気づく。

 

もし、従来の「渡来人大量渡来説」が正しいならば、この図の北九州の渡来人濃度の薄さがまことにおかしいということになる。

これをこの動画主も言っていて、主に関西に渡来人濃度が濃いのは、驚くべきことに、「海を渡って朝鮮半島に渡って、弥生人化した倭人たちを当時の天皇が敦賀の港から帆船で大量に受け入れたからだ」と、途方もない問題提起を行っている。

縄文人たちが大量に海を渡って朝鮮半島に行きコロニーを形成していたことは、出土物からみても明らかだ。

 

 

「韓国人は何処から来たか」長浜浩明 2014.1.20 展転社

 

半島は、BC10000年~BC5000年の間、旧石器遺跡が(わずかしか)出土せず、ほぼ無人だった。
BC5000年頃から、縄文人が列島から半島に渡り 定住を開始。
BC2000年頃から、大陸北方から人々が(先住の縄文人を駆逐するように)侵入し、縄文人と交雑し、縄文人と入替わって、半島人が生じた。

せっかくの、Y染色体・遺伝子マーカー分析、ハブログループ解明により、近隣の民族と明らかに異質のDタイプが日本人に発見され、固有種としての日本人を論じてもいいのに、なにか見えざる手に操作されるように、相も変わらず渡来人がたくさんやってきた(笑)ということにしたい、遺伝化学系の学者たちはもっとひどいという。

自分たちに都合のいいように、図表までその都度入れ替え!、肝心の部分を省き、朝鮮半島渡来説を「実証」(笑)しているというおぞましい状況。

稲作の伝来と、渡来人の渡来の論じられ方は似てる。

どうしても、朝鮮半島から来たと言いたい連中が忖度して操作して報じる論じる。気を付けたいもの。

 

渡来人大量渡来説には私も昔から、疑問を持っていて、一部の良心的な考古学者がそれに触れているだけだ。

古事記・日本書紀、あるいは新撰姓氏録あたりの、畿内ヤマト政権の「偽造文書」を手掛かりにするのは間違いだとの説を持っている。

例えば、著名な秦氏があげられる…

 

いわゆる良識派考古学者、歴史学者からみた秦氏 秦氏は「渡来人」か?門田誠一・森浩一 2

森 浩一

吉川弘文館の『日本古代人名辞典』七巻本を基礎演習で調べたことがありますが、渡来系、日本系の分類はともかく、日本の氏族で最も数が多いのは秦氏です。

雄族といわれるゆえんですが、ヤマト政権の大臣など要職に就いた人はほとんどいない。

といって勢力が小さかったわけではなく、平安遷都は秦氏のテリトリーに都を移したとの見方もできる。

秦氏についてはかなりの量の文献があり、古代史では秦氏の見方ができあがっている。考古学は、これをチェックしなくてはいけない。たとえば秦氏の根拠地は嵯峨野とされ、大古墳群はあるが、日本列島で大流行した前方後円墳が造られている。文献で渡来系とされているのに矛盾するわけです。

門田誠一

学生のころから、研究書を読むと判で押したように「渡来系である秦氏は」と書いてありました。

しかし渡来系であることを直接示す考古学的資料は、ほとんどない。オンドルの遺構やミニチュアの竈(かまど)が見つかった大津市の穴太(あのう)など近隣の遺跡とくらべると、嵯峨野で朝鮮半島の影響を受けた資料は見あたらない。

南天塚古墳で新羅系の印花文(いんかもん)も土器が一点だけ見つかったが、七世紀のもので、これだけで秦氏の族長と結び付けるのは難しい。

嵯峨野の蛇塚古墳に日本を代表する巨石を使った横穴式石室がありますが、高句麗も新羅も百済も巨石の横穴式石室は不得意なんです。

日本列島に住みついたから本国のしきたりや墓の作り方を意識しないという移住のパターンなのかも知れないが、文献の記載が本当かどうか検討も必要です。

新しい例ですが、戦国時代に山口の大内氏は先祖が百済系だと名乗りました。戦国時代、出自を中国や朝鮮半島と唱える人は意外に多い。本当の場合もあるが、いろんな理由でそう唱える人もいる。

門田

※大内氏の場合、貿易や政治に有利なように言ったのだと思います。中世だけの問題でなく、秦氏の成り立ちを考える際の参考になる。考古学的に証明できない「渡来系氏族」には政治的な姿勢がかなり入っているのではないか。「秦氏=渡来人」という図式も、とらえ直す必要があると思います。

『日本書紀』神功(皇后)紀に出てくる渡来集団の本拠地は奈良の葛城山東麓で、韓式土器や朝鮮特有の鉄器などがかなりの密度と量で出ており、文献と相互検討できる。秦氏は、そうはいかない。

構成も複雑で、下の方の秦人部には渡来系でない人も入っており、単線的な理解を吟味し直す必要があります。陶質土器の破片が出たから秦氏を渡来系とするのは、歴史学の検証として単純すぎます。

資料 森浩一『京都学ことはじめ 森浩一12のお勉強』より

↑要するに、まとめると、秦氏を単純に「渡来系」とするのは無理があると言ってる。

秦氏がユダヤ人なら、徐福のほうがまだ可能性はある。なにせ、全国各地に神社が出来てるくらいだ。

 

菊池山哉の「天の朝と大和朝」昭和26年 多摩史談会、700ページから714ページまで使って、奈良朝紀までのいわゆる秦氏の全国分布を挙げている。

煩瑣になるからその図を載せるのは省くが、まさに壮観、西日本中心だが、全国的に秦氏が分布しているのがわかる。

秦氏は数が多すぎるのだ。日本最古の戸籍、7世紀の時点で九州にうじゃうじゃいる。

 

こうした秦氏帰化人説に対して、古今疑うものもなく、却ってあらゆる史家が、我が国の文化は帰化人に負うところ大きく、その随一に秦氏をあげている。

一見辻褄があっているようでもあるが、疑うべき点も決して少なくないのである。

…こうした偉大な秦氏の分布というものは、ハタ氏なるものは原住民であり、所在いたるところに居た倭種であると見る方が、加羅(朝鮮半島)より渡来して、臣や連の奴隷となって居った、移動とみるより、遥かに確実性がある。  714ページ

次ぎは、秦の造の本願地、葛野郡ウズマサ地方、並びに秦の伴の造の本願地深草郷は、山城でも有数の石器時代土器の分布地であり、原住民の大集落のあったことは、ほとんど絶対であることである。決して空閑地ではない。

風来人は原住民の居住しない地方へ配置すべきで、先住者を追い払ってまで、その地へ居住せしめなければならない理由はない。

菊池山哉の「天の朝と大和朝」多摩史談会 昭和26年より

 

あと、森浩一先生がどこかでおっしゃっていたが、

信州信濃に多い石積塚のことも、高句麗に多い作り方なので、渡来人大量渡来説と結びつけて考古学者、歴史学者は論じたがるが、時代が300年ほど合わないと言っていた。

あと、これは森浩一先生ではないが、埼玉県日高郡にある、高句麗からの帰化人伝承のことは皆さんもよくご存じかと思う。

668年に唐・新羅に滅ぼされ亡命して日本に居住していた高句麗からの帰化人を朝廷はこの地に移住させた。

703年には高麗若光が朝廷から王姓が下賜されたという話が伝わっている。

高麗若光が「玄武若光」と同一人物ならば、高句麗王族の一人として、外国の王族の出身者に与えられていた王(こきし)の姓(かばね)を認められたということになる。この高麗若光も朝廷の命により高麗郡の設置にあたって他の高句麗人とともに高麗郡の地に移ってきたものと推定されている(新編『埼玉県史』)。

3. 歴史の空白(謎)

高麗郡として多くの渡来人が移住したにもかかわらず、なぜ具体的な集落の全容や彼らが日常生活で使っていた道具が広範囲に発掘されないのか、という疑問がある…

↑これはじつは謎中の謎である。もしかしたら、ヤマト畿内政権の「文献操作」のなかだけで存在する人たちではないだろうかと私は疑っている…

 
品質で選ぶなら”宅配クリーニングのモクリン”



高地性集落と倭国大乱―小野忠熈博士退官記念論集 1984/雄山閣「高地性集落」を追いかけて…

高地性集落と倭国大乱―小野忠熈博士退官記念論集 1984/雄山閣「高地性集落」を追いかけて…
高地性集落と倭国大乱―小野忠熈博士退官記念論集 1984/雄山閣 「高地性集落」を追いかけて…

 

九州王朝信奉者からみた、「法隆寺を支えた木」(西岡常一)2019

九州王朝信奉者からみた、「法隆寺を支えた木」(西岡常一)2019
法隆寺を支えた木 [改版] NHKブックス Kindle版 西岡常一 (著), 小原二郎 (著)

素晴らしい本だが、私の関心は一点、法隆寺は移築されたのではないかということ。

1934年に法隆寺棟梁となる。20年間にわたった法隆寺昭和大修理で、古代の工人の技量の深さ、工法の巧みさに驚嘆したという。

法隆寺が移築されたなら、この人が気づかないはずはない。

現実に実際に、米田良三氏の問いかけに対して、和紙に毛筆で「法隆寺移築を認める」手紙を送ってきたと。

続・法隆寺は移築された YONEDA’S 建築史学入門』 10ページ部分。

 

日本人の祖先は縄文人だった! ―いま明かされる日本人ルーツの真実 2021/長浜 浩明 (著) 展転社 これは、驚くべき本である。また、とても怖い本でもある。

日本人の祖先は縄文人だった! ―いま明かされる日本人ルーツの真実 2021/長浜 浩明 (著) 展転社 これは、驚くべき本である。また、とても怖い本でもある。
日本人の祖先は縄文人だった! ―いま明かされる日本人ルーツの真実 2021/長浜 浩明 (著) 展転社 これは、驚くべき本である。また、とても怖い本でもある。

本書「日本人の祖先は縄文人だった!」は、ここ10年ばかりの間に長浜浩明氏が問い続けている日本人の起源にまつわる集大成的な本である。

「問い続けている」というのがポイントである。

なぜなら、著者は気になった人類学者、遺伝学者、歴史学者、考古学者に文字通り、自説を提示して問い合わせているからである。

何が怖いかといえば、すべての学者たちが、日本人の先祖を朝鮮半島から来たことにしたいという情報操作が行われているという、その一点である。

これはマスゴミにはもちろん取り上げられないが事実である。

 

東京大学総長の佐々木毅氏が代表者作者であった「新しい社会6年 上」(平成14年発行 東京書籍)

「米づくりは、おもに朝鮮半島から移り住んだ人々が伝えました。」

ところが稲の専門家である佐藤 洋一郎氏の「稲の日本史 (角川ソフィア文庫) 2018」によれば、

古典的埴原和郎の日本人二重構造説では、渡来人は水田稲作の技術を持って100万人以上が日本列島に到来したとされていますが、著者は懐疑的です。

素人考えだが、朝鮮半島から稲作というのは寒すぎて無理ではないか。

 

これがわかりやすくよくできてる

稲作の伝来ウソだらけ!最新研究で分かった日本の稲作【ゆっくり解説】

ゆっくり日本の闇 チャンネル登録者数 1.44万人

 

日本で最も良く栽培されているb型の系統が、唯一朝鮮半島に存在しないというのがポイント。

ただ、もっと何も考えていなく、ちょうせん大好きという人もたくさんいる。

 

2023-06-21 隠された日本古代史;存在の故郷を求めて 2022/林 順治 (著)彩流社 「これぞ、昭和脳の悲劇?」

 

昭和脳ジャンプ(笑)と私が名付けている独特の思考だ。

左派の人特有のものである。司馬遼太郎なんかが有名どころでは典型だ。

半島から日本より優れたものがきたはずだ(じつは何の根拠もないのが驚きである)。

天皇陛下まで半島由来として、恬として恥じるところがない。まことに呆れた「日本人」だ。

統一教会の日本人妻合同結婚式、6500人も(大半がその後行方不明だと)、こういう無茶苦茶な「史観」が影響してるだろう。

 

最新の考古学の知見はこう。

水ノ江和同・考古学者「縄文人は海を越えたか?」より 朝日新聞出版 2022

「まず何と言っても意外であったのは、朝鮮半島における九州由来の考古資料の少なさ、九州における朝鮮半島由来の考古資料の少なさである。」

「しかし、この遺跡の状況を見る限り、縄文人と「交流」を行った痕跡は存在しない。
むしろ縄文文化の中にあって隔絶していた存在であったとも想定され、この遺跡には
縄文人がまさに「行き来」していた程度の痕跡しかうかがうことはできない。」

 

437名無しさん@恐縮です2020/01/26(日) 14:40:50.27ID:nG9Xq01D0
>>428 更に渡来人系は戦争捕虜系や百済難民系など色々あるんじゃね?

歴史学者、考古学者は軽々しく渡来人っていうけどそもそも、渡来人ってそんなにきてない 海があるから渡れないよ
弥生時代後期、古墳時代ふくめてもせいぜい2、3千人てとこだと思う。

40年くらい前、角川春樹が音頭とって野生号という小船で釜山から日本を目指したが、途中漂流(笑)。

しかも、果敢に海を渡れたのは半島の最下層ばかり。

そんなのが縄文人の中に入って何をする?

 

終戦直後の話だけどエンジン付きの船ですらこう↓

*1996年6月19日生野区中川小学校教職員研修会における金徳煥(キム・トックァン)さんの講演

さっきの話ですが、済州島にいる人たちを、親戚関係・ムラ社会を通じて、どんどん招ぶわけです。 「日本に来て働かんか。金儲けになるで。」というわけで、たくさんの人たちが日本にやって来ます。ただし、パスポートはありません。いわゆるドンドコ船と言いましたが、1週間、2週間、飲まず食わずで、 漁船の底に潜んで日本に来るのです。日本に来て、親類の人の所へ着けば、

 

7世紀の遣唐使でさえ約半分が渡れなかった。

国家公認の当時精一杯デカい船ですらそう。何万人も何十万人も、何百万人も(笑)渡来したなんてファンタジーにすぎない。

 

「古代朝鮮語」で云々 すでにその段階でダメ 古代朝鮮語なるものは存在しない。

新羅のリトのことを言いたいんだろうが、金石文でいくつか残ってるだけで日本語のルーツを解明できるほどの量がない。

古代朝鮮語は断片的には残っているのだが、日本書紀!などにあらわれる古代朝鮮語の単語は、同時代の日本語の語彙と一致していない。

司馬遼太郎はじめ、「古代朝鮮語」で云々言ってるのは胡散臭い。

朝鮮最古の三国史記は11世紀の書物  万葉、古事記、日本書紀より300年以上遅い。

 

朝鮮半島から船で渡ってくるのも容易なことではない。

ところが、6月のある1週だけ、対馬海峡で海流の動きが止まる時期があるという。
それを利用して朝鮮半島に15万の兵馬を送ったのが、かの豊臣秀吉の朝鮮征伐軍である。

 

【日本は宝石のような国です】日本列島に最初に来た人類/人類アフリカ起源説は間違い、人類同時多発説が正しい

【日本は宝石のような国です】日本列島に最初に来た人類/人類アフリカ起源説は間違い、人類同時多発説が正しい
【日本は宝石のような国です】日本列島に最初に来た人類/人類アフリカ起源説は間違い、人類同時多発説が正しい

なかで言ってる、「4,5万年前に」というのがポイントである。

なんと、岩手県遠野市の金取遺跡 9万年前 !!

島根県出雲市の砂原遺跡 12万年前 !!

長崎県 平戸市 入口遺跡 10万年前 !!

これらはすべて、4万年前にアフリカを出て世界に人類が拡散したという、いわゆるアフリカ単一起源説を完全に否定するものである。

現に、日本旧石器学会のホームページにはこれらの遺跡は記載されていない。

まだ、学界から認められていないということだ。

長崎県 五島列島 野崎島の王位石(おえいし)

このてっぺんの巨大石は、重さ100トンあると。こんなものをラピタ人たちはどうやって持ち上げたのか??

 

この動画主は、ラピタ人たちは、重力制御の技術を持っていたという。

岩手県の金取遺跡周辺には、いわゆるドルメンが数多く残されている。

これらもすべてラピタ人がこの地域で生活していた痕跡だと。

続石(岩手県遠野市)

 

 

↑これらを見て、動画主に伝えたくなった現代に残る重力制御の痕跡をここで紹介しよう。

 

ホーム ブログ エドワード・リーズカルニン 珊瑚の城

エドワード・リーズカルニン 珊瑚の城
今日は何を書こうかと思いましたが、彼のことをちょっと紹介したいと思います。 世の…

エドワード・リーズカルニン 珊瑚の城

投稿日: 2016年9月 8日 独り言

「HAARPは時間すら操る」とブラジルの物理学者フラン・デ・アキーノ博士。以前から存在していた「重力をコントロールする技術」、「コラル(珊瑚)城」の謎
英国の仲間が送ってくれた 「ビフォア・イッツ・ニュース(「ニュースになる前」).com」 の5月23日付けの記事。 多くは査読もされた30もの科学論文を引用しつつ、 これまで高周波エネルギー技術を調べてきた人たちが思っていたより以上のものす…

身長150cm、体重は45kgに満たないほどの彼が一人で何トンもの(最高30トン!)石を動かして作った「コラル城」と呼ばれる庭園。彼は夜、ランタンの灯りだけで作業し、人に見られると第六感でそれを察知して作業を止めたという。

9トンもの石で出来たドアは完璧なバランスで作られていて、子供が一本の指で押すだけで回転させることができたそう。1986年にはそれの修理が必要になったが、6人もの作業員が20トンのクレーンを使わないといけなかったうえに、その修復作業のあとは以前ほどのバランスを保ってはいなかったと。

リードスカルナンが使っていたのは、3本の電柱を立てて作った10トンのチェーン起重機だけ。

元々フロリダ・シティーにあった庭園を、1936年に10マイルほど離れたホームステッドに移転させるとき、石を運ばせるためにトラックを雇った。で、運転手が一旦トラックを置いてから30分ほどして戻ると、すでにいくつかの石が荷台に積まれていたという。

23トンもするオベリスクを運ぶトラックの運転手に、「明朝にはもう立てておくから」とリードスカルナンは言い、運転手が翌朝行ってみると、確かにすでに立てられていたそうです。

彼が使っていた起重機のてっぺんには木箱が置いてあり、柱にははしごとなる横木があったことから、リードスカルナンは作業中にてっぺんの箱に何かをしに行っていたのだろうと。解説者はこの箱が多分チューナーで、彼の作業小屋にはいくつもラジオのチューナーが置いてあったので、石によって反応する周波が違うことからそれらを備えていたのではないかと言っています。

実際リードスカルナンは「どうやって石を動かしたのか?」と聞かれると、「私はピラミッドの秘密を知ったのさ。エジプトやペルー、ユカタン半島やアジアの人々が簡素な道具だけで何トンもする石を動かした技術を発見したのだ」と言っていたそうです。つまり、以前から言われていたように、そうした遺跡は「重力をコントロールする技術」を使って作られたのではないか。

貧困から小学校も4年までしか行っていないリードスカルナンは、病気がちで読書ばかりしていたので、きっと本から学び取っていたのではないかと推察される。

 

↑この信じられない驚異的な石づくりの城については、1960年代に、アメリカのIBM,ボーイング、NASA等、名だたる会社、研究員が大挙して押しかけ、たった一人でこの巨石を運べるものかというところを調査したそうだが、結局のところ、分からなかったとのこと。

 

 

3つ目の動画のおしまいのところ、「世界史の闇」についてが素晴らしい!!

大東亜戦争 太平洋戦線の真の意味。

人類史の最終局面が、大東亜戦争であるという。

私も無論、その意見に大賛成だ。

 

「異形」の古墳 朝鮮半島の前方後円墳 (角川選書) 2019/高田 貫太 (著)KADOKAWA  「九州王朝論者」からみた、南韓半島に残る前方後円墳について

「異形」の古墳 朝鮮半島の前方後円墳 (角川選書) 2019/高田 貫太 (著)KADOKAWA  「九州王朝論者」からみた、南韓半島に残る前方後円墳について
「異形」の古墳 朝鮮半島の前方後円墳 (角川選書) 2019/高田 貫太 (著)KADOKAWA  「九州王朝論者」からみた、南韓半島に残る前方後円墳について

 

はじめに言っておくと、なんら不思議はない。

朝鮮半島西南部の栄山江流域に5世紀から6世紀にかけて作られたおびただしい前方後円墳は九州王朝がつくったもので、決して畿内ヤマト王権が作ったものではない。

著者もそのあたりわかっていないので(九州王朝なんか全然脳裏にない?)、隔靴搔痒の感ありありの書物になってしまっている。



百貨店取扱実績No1の使い終えたランドセルのリメイク【Askalカバン工房】

飲まない会わない触られない安全安心チャットレディ【ニューステージグループ】

タイトルとURLをコピーしました