私がさいしょに不受不施派のことを知ったのは、呉智英さんのエッセイではないかと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E6%99%BA%E8%8B%B1
その出典は今は忘れてしまって出せないが、何でも日本の歴史の中で徹底して他宗教からの不受を貫き、徹底的に弾圧されたという。
弾圧されたのは隠れキリシタンだけではないという話、ほんの3,4行だったと記憶している。
不受不施とは、僧にあっては法華経を信じない者からの布施・供養を受けず、法も施さない。また信者にあっては法華経を信じない僧には布施・供養を施さず、その教えも受けないというもの。
江戸時代の法難では、なんと25人もの無実の人らが処刑されているとのこと。
それから20年くらいたって、千葉県多古町に住む学生時代からの友人N君に乞われて、引っ越しの手伝いで初めて多古町というところに行った。
多古町は成田空港のちょうど右となりにある人口13000人ほどの、暮らしやすそうな、いい町である。
引っ越しも終わり、ビールを飲みながらの世間話になった。
個人的な感想として、成田空港のすぐ右隣にこんな落ち着いた町があるとは思わなかったと褒めると、多古町生まれのN君は素直に喜んでくれた。
それに不思議だったのは、成田空港のすぐ横にあるのに飛行機がぜんぜん頭上を飛ばないこと。N君に聞いたら、近すぎて空域が全く重ならないので飛行機は飛ばないとのこと。
話のはずみで、ここから歩いて10分くらいのところに、江戸時代、徹底的に他宗教からの不受を貫き弾圧された教団の土地が今でも残っていると話し始めるではないか。
それ、もしかして、不受不施派のことかい、と私。
そうだと言うので、これはこれはと酔っぱらったまま、見に出かけることになった。
それは島地区という。
畑の中に台地があって、真ん中にお寺がある。
ホントに畑の中にぽっかりその集落がある。
一見して不安になった。
N君についていくと、さして広くもない敷地いっぱいに家が密集して建てられ、その上、くねくねと曲がっている。
我々が行ったのは午後の4時くらいだったが、家の作りは立派で道路もきれいなのに、人っ子ひとり歩いていなかった。
やはり、明治の9年に解禁されるまで徹底的に弾圧されたらしいので、特に外敵、侵入者に対してこういう作りになるのはやむを得ないのではないかと思った。
かつて行ったことのある甲賀の町を思い出した。
千葉県と岡山県に不受不施派の痕跡は残っているらしい。
15分も歩けば全部見られる広さである。
ビールの酔いも手伝ってか、なんとなく気持ち悪くもなってきた。
「そろそろ帰ろうか」と私。
すると一軒の崩壊しかけたぼろ屋のまえで立ち止まる。
「……ここ、おれの先祖の家。今はだれも住んでない……」とN君。
これこれ。
多古町の島地区をじっさいに歩いてみた人のブログ。貴重である。
https://fwiz9018.blog.fc2.com/blog-entry-982.html
迷路のような集落を歩く 多古町島地区
2022/03/03
新・ベトナムの青い空と熱い風
写真を「古民家農泊Re」というサイトからお借りしました。