縄文ミステリ - 謎の五遺体を考える
Studio Archeju チャンネル登録者数 824人
2.2万 回視聴 1 年前
参考文献 東京湾巨大貝塚の時代と社会 阿部 芳郎 編 *お詫び: 市川市を市原と言い間違いしています。訂正します。次の動画も是非参考に(次をクリック) • 民俗学編 キジムナ-夜話 Vol. 4 「木の精が家の神になる」そして縄文
↑これは驚きであった。千葉県の姥山貝塚から出土した縄文の謎の五遺体について、ふぐ毒に当たって死んだ家族を埋めたものと私も認識してたが、最新の研究により、それは間違いであったと !!
全員が家族ではなく、しかも、8年間ものブランクを経て埋められた死体もあるとのこと。
謎は深まるばかりだ…

【新潟医療福祉大学】「縄文時代の姥山貝塚の5体の人骨の謎に迫る」シンポジウム 3月10日(日)に千葉県・市川考古博物館と共同開催|NSGグループ

@chandee7939 1 年前
出産時に赤児から遅れて排出される”胞衣”は土器に収納され、その土器は竪穴式住居の出入り口の床下(土中)に埋められていたと記述された著作を読んだことがあります。五人の人骨と出入り口の関係はどうだったのでしょうか。
“胞衣”を収納した土器は?見つかりましたでしょうか。
それにしてもここに放置したのであれば、腐敗臭はそうとうなモノだったと思います。風下だと100メートルでも腐敗臭は鼻に届くと思います。
この殯的屋内放置(?)はこの竪穴住居が死者の遺体の安置場所だった…、
そもそもここは集落の規模は有ったのでしょうか、集落の他の死亡者のご遺体は何処に?
骨が土に還らなかった科学的理由は? (他の骨は土に還った?)
12:16
ミイラ化とお話されておられますが、乾燥遺体だったのですか?…。
@miraclepao_dog 1 年前
災害、大地震の可能性はありますか?
中国の青海省喇家(らつか)にある4000年前の遺跡から、大地震で家の中で死亡した古代人の骨が出て来たのですが、まさにこの縄文人の遺体の置かれ方に酷似しているんです(子供を庇った姿で死亡した親と思われる人骨や膝を折り曲げている人骨等)。興味がある方は、比較考察してみるのも面白いと思います。
@詩人吟遊-w9o 1 年前
現代人は、家屋一家族単位の意識を持っているようだが、そのような発想や考え自体が誤り。縄文ごろは堅穴住居(家屋)は家族単位ではなく「より集まり」であり「土器の容量の煮炊きで生活(生きていられる)できる人数」だったはずだ。
子供は母が居ても部族集落全体の子供であった。母親が出産で死んだり他の病で亡くなっても、村落や部族集団で育てたのだ。現代人の母(女)のイメージや思考では、縄文実態を理解できないし見誤る。
@StudioArcheju-fg7yu 1 年前
廃屋墓と言うものは学術的に認識されており、発掘される住居址には、消失してしまっているが実は遺体が多く埋葬されていた可能性が指摘されています。もし彼らの死因が未知の感染症ならある種のタブ-として特別な埋葬がされたのかも知れません。おっしゃる通りです。因みに関東では縄文後期初頭に急激な人口減と社会構造の変化がみられて、寒冷化が原因と説明されますが、当時大陸との接触を思わせる遺物があり、いわゆるパンデミックがあったのかも。日本人がコロナに強いのも、過去の感染があったのか?と妄想させます。
全4部動画の2番めです。
注:動画中でB地点と言っているのは正式にはA-B地点接続溝9号住居の事です。
参考文献:縄文の社会構造をのぞく 姥山貝塚 堀越 正幸
新泉社

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土偶ではない? 黒駒土偶をめぐる考察
Studio Archeju チャンネル登録者数 824人
986 回視聴 6 か月前
異様な姿を誇るこの土偶、色々考えさせる事があります。
文献;峡東の土偶 釈迦堂遺跡博物館 平成29年3月10日 発行
ネコの渡来… 三ツ口の考察といい、この人の動画はじつに面白い。
極めつけはこれ…
縄文土器のかけらを前にいろいろ説明してくれてるこの動画。
縄文土器には今だに解明できない謎が多いらしい。
この人は絵もうまい。動画中のイラストがわかりやすく、素晴らしい!
445 回視聴 2 週間前 #考古学 #民俗学 #オーパーツ
縄文土器は作成方法をはじめとして謎だらけです。長期シリーズとしてこの問題にせまってみようと思います。
#技術復元 #陶芸 #考古学 ♯遺跡 #民俗学 #古代の謎 #オーパーツ #土器作り

土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎 2021竹倉 史人 (著) 晶文社

183ページから始まる白鳥兄弟による「土偶とは何かの研究史」が良かった。
土偶研究の実際を通年でわかりやすく列記してる。
これを読んでやはり驚かざるを得ないのが、130年は長いということだ。
130年ものあいだ、ただの一人も気が付かなかったのかという驚きである。
土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎 – 2021 竹倉 史人 (著) 晶文社
130年間解かれなかったという縄文土偶の謎を全面的に解き明かすことに著者は成功している。
「土偶は食用植物と貝類をかたどっている」
言われてみればそうだ。
縄文人たちがそんなに難しいことを考えていたわけはない。
多分おそらくだが、食うことか、生殖に関することしか縄文人の頭に浮かばなかったのではないか。
とすると、これまでの130年は何だったのかということに、外部者からみればそうなる。
↑かつて私はこう書いたが、どうしてどうして縄文人たち、意外に深遠なというか、もしかしたら我々現代人では考えもつかないことを考えて生きていたのかもしれない。
顔の考古学: 異形の精神史 (514) (歴史文化ライブラリー) 2020/設楽 博己 (著) 吉川弘文館

そこそこ面白いが、ここで取り上げるまでもないと読み進めていって、136ページの写真をみて、あっとなった。
「わたしが拾った耳飾り」とタイトルがつく。
私はこの縄文時代の耳飾りが好きで、榛名山のふもとの「耳飾り博物館」にまで行ったことがあるからだ。
このデザインはまったく卓越している。
こういう賛辞は平凡だが、これが3000年前の日本人が作ったとは思えなかった。

