アメリカ合衆国の人種法と市民権法が、ニュルンベルク法を生み出した。
アメリカがヒトラーのジェノサイド政策に与えた影響を、史料から丹念に掘り起した画期的業績。
法と歴史の狭間から、豊富な史料を駆使して、人種法における世界の「リーダー」たるアメリカ、さらにアメリカそのものに深く根付いた人種主義をあぶりだした、初めての試み。
ジェイムズ・Q・ウィットマン(James Q. Whitman)
イェール・ロー・スクール比較法および外国法フォード財団教授。専門は比較法、刑法、法制史。
シカゴ大学で精神史の Ph.D. を取得。スタンフォード大学ロー・スクールで教鞭をとったのち、
1994年からイェール・ロー・スクール教授。
邦訳『過酷な司法――比較史で読み解くアメリカの厳罰化』(レクシスネクシス・ジャパン、2007)。
米国といえば、自由と民主主義の国であり、第2次世界大戦ではナチスドイツと戦い、打ち負かした国だ。
その米国の法律がナチスによる人種迫害・抑圧政策の手本になっていたという。
本書によれば、ナチスが反ユダヤ立法を設計する際、悩みの種が二つあった。
一つは、欧州には互いの合意に基づく異人種間の結婚を犯罪とする法理が存在しなかったこと。
もう一つは「ユダヤ人」の科学的な定義が存在しなかったことである。
ナチスはこの二つの難題に対する解決を米国に発見する。
米国では多くの州に人種法が存在した。
たとえばメリーランド州では、白人と黒人との間、白人とマレー人との間、黒人とマレー人との間などの結婚を禁止し、無効とした。
違反者は破廉恥罪を犯したものとされ、禁固刑に処された。
「本書の目的は、ナチスがニュルンベルク法を考案するさいにアメリカの人種法に着想を求めたという、これまで見落とされていた歴史を
紐とくことだ。それにより、この歴史がナチス・ドイツについて、人種主義の近代史について、そしてとりわけこのアメリカという国について
私たちに何を語るのか、それを問いかけることにある」(はじめに)
そして本書は、ナチスのニュルンベルク諸法が、市民権、およびセックスと生殖を重視していたことを指摘する。
「アメリカの人種法にはナチスから見て魅力的な面がいくつかあった。
とりわけ異人種婚に重罰を科すアメリカの稀有な慣習が「ドイツ人の血と名誉を守るための法」の背景に見てとれる。
いっぽう「血の一滴の掟」(ワンドロップルール)といった他の点は、あまりに過酷すぎると驚かれた」(終章)のだった。
アメリカはユダヤ難民受け入れに難色、1939年6月の「スミス法」で外国人受け入れ取締りを強化し、 続いて1941年の11月には「ラッセル法」を制定してビザ発行を制限した。
ユダヤの迫害が行なわれてる最中もアメリカは、それらの人々にとって最も貴重な時期に、 2つの法令を以てユダヤ人の足を二重に縛ったわけである 。
しかもユダヤ人の追放、処刑、殺害といったニュースがナチス占領下のポーランドから伝わってきた時、アメリカはそれでも難民受け入れの意志は見せなかった。
ルーズベルト大統領はユダヤの収容地として、ドミニカ共和国を候補地として考えていたようである。
1942年1月、ロンドンの聖ジェームス宮で、ヨーロッパ17ヶ国の亡命政府の会議が催された時、 ルクセンブルク代表を除いて、ユダヤ人虐殺をテーマに取り挙げた者はいなかった。
また、その時の共同声明の中にも、ユダヤ人に対するナチスの犯罪を断罪する言葉は全く見られなかった。
アメリカが取り憑かれ続けてきた強迫観念―「アジア人が攻めてくる!」
中国が日本と結び、西洋世界へと牙を剥く。驚異的な人口のパワーに、欧米は飲み込まれてしまう……
こうした「黄色い禍」という強迫的観念は、日露戦争で日本がロシアに勝利したことをきっかけに生まれた。
「黒人はアフリカに、黄色人はアジアに、そして白人はヨーロッパとアメリカにいるべきだと強く思うんだ」
―トルーマン(第33代米大統領)が妻に送ったラブレター
「トルーマン回想録」は次のように記している。”Japanese are beast. So are treated as”(「日本人は獣だ。だから、そのように扱った」)
文系学部解体 (角川新書) 2015/室井 尚 (著)私の大学究極改革案!を是非とも聞いてほしい(笑)。すぐ効果が出る改革案だ!
著者は、日の丸・君が代に反対みたいだ。なぜ、日の丸・君が代に反対なのだろう。非常に不思議である。
この歴史認識の浅さが、鈍感さが、「これがホントに、国立大学のセンセーかよ」と思わせると書いた。
日本は、「東亜百年戦争」を戦ったのである。(「大東亜戦争肯定論」林房雄)
日米は、まったく別の戦争をした…
アメリカ → 人種差別戦争
大日本帝国 → 亜細亜解放戦争(聖戦)
米兵がお土産として家族や恋人に送った日本兵の頭蓋骨(1944年5月22日の「ライフ」誌掲載)。
アリゾナ州フェニックスの軍需工場労働者ナタリー・ニッカーソン(20歳)が、ボーイフレンドから贈られた日本兵頭蓋骨のお礼の手紙を書いている。 戦利品の日本兵頭蓋骨を送られた恋人 (タイム誌)
http://www.aubetec.com/~rimbaud/blog/WindowsLiveWriter/df849f3ccc27_EA1D/skull%5B4%5D.jpg
”Arizona war worker writes her Navy boyfriend a thank-you note for the Jap
skull he sent her”
http://blog-imgs-47.fc2.com/r/y/u/ryuma681/20130211040403252.jpg
大正13年5月31日 アメリカ大使館に隣接する空き地で割腹の自刃を遂げた無名の青年がいました。
アメリカ国内では「反日機運」が強くなり、その年の4月に「排日移民法」が成立したことに対して、「生きて永く貴国人に怨みを含むより、死して貴国より伝えられたる博愛の教義を研究し、聖基督の批判を仰ぎ、併せて聖基督により、貴国人民の反省を求め…」と遺書を残しアメリカに抗議しての自決でした。
大東亜戦争は人種解放戦争、と聞くと、こいつまた特殊なこと言ってるなあと思われる人も多いかもしれない(笑)。
しかし、待ってほしい。
本書を読めばすべて氷解する。
2017出版。やっとだが、やっと、アメリカの学者がこういうこと(真実)を取り上げ始めた。
BOOK ヒトラーの ユダヤ人絶滅計画の原点・マディソン・グラント『偉大な人種の消滅1916』← アメリカ人!!
アメリカを移民制限に導いた優生学の白人優越至上主義のその書は、 彼の・若きヒトラーの『聖書』となり、ナチスが政権をとると、 ユダヤ人の根絶計画の礎となった。
青年ヒトラー、ライン引きまくり!!!!
ヒトラーの秘密図書館 (文春文庫) 2012/ティモシー ライバック (著), Timothy W. Ryback (原名), 赤根 洋子 (翻訳)
世界各地のヒトラー残存書1300冊を全調査! ヒトラー自身による、ライン、書き込みを分析。
ユダヤ人絶滅計画の原点は、アメリカ人学者の本にあった! 偏見のない少年時代をおくった彼は、いかにして「導かれた」のか?
↑ぜったい面白いから読んでみ。
北方人種説の展開
アメリカの移民規制法を主導した生物学者・人種学者・優生学者マディソン・グラント
グラントによる「人種図」。今日的には全く信憑性を失っている理論ではあるが、20世紀初頭まではこうした意見が優生学と共に大きな権威を持っていた。
北方人種説はヨーロッパ全体や北米等では広くは受入れられなかったが、ナチズムやKKKの設立などに多大な影響を与えた。アドルフ・ヒトラーは
マディソン・グラント (Madison Grant) の著書「偉大な人種の消滅 “The Passing of the Great Race”」を『私の聖書』と呼んで愛読していた。@@@@@@
北方人種説は「人類がその優良な北方人種に導かれ、淘汰されるべき」とする支配人種(英語版)(ドイツ語: die Herrenrasse、
もしくは支配民族(ドイツ語: das Herrenvolk))説へと発展を遂げ、アーリアン学説と並んで国家社会主義ドイツ労働者党およびナチス・ドイツの
人種政策の根幹となった。
ルーズベルト大統領は、人種差別主義者というよりも私から言わせれば、「日本人差別主義者」である。
ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸で会談した英国のロナルド・キャンベル公使は本国に書き送っている。
キャンベルが、この会談の席上、ルーズベルトから打ち明けられたのが「劣等アジア人種」の品種改良計画であった。
「インド系、あるいはユーラシア系とアジア人種を、さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」
米軍の遺体損壊は連中の十八番おはこ
マキン奇襲とは、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)8月17日から翌日にかけて、ギルバート諸島ブタリタリ環礁(当時の呼称はマキン環礁)で、アメリカ軍が日本軍に対して行ったコマンド作戦
アメリカ軍は潜水艦で海兵隊を送りこみ、マキンに駐屯していた日本海軍陸戦隊を壊滅させて引き上げた。
日本軍は太平洋戦争開戦直後にマキンを無血占領して以来、守備隊は約70名しか置いていなかった。
大隊長のエヴァンズ・カールソン中佐は、日中戦争中に中国共産党軍の軍事顧問として活動していた、ゲリラ戦の専門家である。
次席指揮官のジェームズ・ルーズベルト少佐は、当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの長男であった。
アメリカ兵による日本軍戦死者の遺体陵辱行為。
この作戦でアメリカ兵による日本兵の遺体に対する陵辱行為が発生した。
(米軍兵による日本軍戦死者の遺体の切断)
8月22日、日本軍戦死者の遺体収容にあたった谷浦英男大尉は、下腹部を露出し仰向けに倒れた不審遺体15-6体を発見するも腐敗が激しく、この時点では陵辱行為の有無は不明だった。
後年、作戦に参加したアメリカ兵の1人が、テレビ番組(戦線Battle-Line)のプロデューサーであるシャーマン・グリンバーグ(Sherman Grinberg)に対し、戦死した日本兵から男根と睾丸を切断し口中に詰め込み、
記念撮影したことを告白し、 蛮行の実態が明るみに出た。
↑大統領の息子の部隊が猟奇レイシスト!!!!
あまり言われていないが、私がはっきりこいつは「日本人差別主義者」だと思うアメリカの政治家に、他に、クリントン大統領と、ヘンリー・キッシンジャーを挙げておきたい。
横浜国大の室井センセーに限らず、サヨクが日本の大学に多すぎるのではないか。
というか、日本の大学の教員は、サヨクだらけだ。
GHQの政策以来、日本のアカデミズムはサヨクに乗っ取られたままである。
サヨク教授が、サヨクを育て、自分のポジションに据える。そんなことがずっと行われてきた日本である。
日本の科学学術の発展を阻害するために日本学術会議はつくられた。
これホントのことだから。
日本学術会議(設置1949年昭和24年1月)と日本弁護士連合会(創立1949年昭和24年9月1日)は、GHQ占領時代に作られた。
科学技術と司法を反日運動体で固めて、敵国日本の国力を永久に削ぎ、日本人を奴隷にしておくためにGHQが作った反日組織だ。
GHQの公職追放の後 空いたポストにGHQが反日学者を配置しそのポストを同じ思想の弟子に継がせ続けてきた結果が、今の日本のアカデミズムだ
それを維持してきたのが、GHQ・きょうさんとうが作った日本学術会議
日本学術会議の日本語wikipediaには、創設者であるGHQのハリー・チャールズ・ケリーが一切載ってない ここ重要!!
有色人種(全アジア人)が「人間」であることが認められたのは、
大東亜戦争が人種解放戦争だったからだ !
先人の偉業に感謝…
靖国神社にいきましょう。
↑卑劣な朝鮮人と、バカ左翼、キチガイ共産党の嘘にだまされないで!
敵は、ナチと日本を同一視させようと世界中で工作しています!