黄禍論とは何か 1999/8/1ハインツ ゴルヴィツァー (著), Heinz Gollvizer , 瀬野 文教 (翻訳)草思社 この1行にこだわりたい……「たしかに日本は、中国に対して傍若無人なふるまいをしたが、その一方ですでに…30ページ」

健康 古代史 時事一般

日本人、中国人はなぜ恐れられたのか? 多彩な資料をもとに黄色人種の脅威をあおった欧米各国の言説を考察し、その歪んだ人種意識を浮き彫りにする画期的労作。

黄色人種に対する西洋人の不安感は、どのような形で政治スローガン化され、世論に影響を与えたのか。ドイツ皇帝の言動から、黄色人種の脅威をあおった欧米諸国の言説を考察する。

 

「たしかに日本は、中国に対して傍若無人なふるまいをしたが、その一方ですでに1900年以前から日中団結、東アジアブロック形成の兆候は現れており、それは汎アジア主義、極東モンロー主義とでもいうべきもののように思われた。30ページ」

↑この一文が激しく問題だ。

というか、4年前の自分、「長崎事件」を知らない自分が読んだら黙って見過ごしていただろう。

一般読者にも、これのどこが問題なのかと思うだろう。

 

「たしかに日本は、中国に対して傍若無人なふるまいをしたが…」

↑これは大問題である…

本書は、1999年、日本で翻訳刊行された時点で著者が生存しており、翻訳者とのやり取りがあって、[心温まる] 2ページにわたる「日本語版あとがき」もある。

しかし、この一文を見るにつけ、三国干渉してきた国のひとだなあと思う。

 

この本は、原著に当たってみてホントにそう書かれているか確かめたかったが、それは果たせなかった。

翻訳者を信じてこれを書いてる。

いくら何でも、「日本は、中国に対して傍若無人なふるまいをしたが、」というのはそのままであろう。

 

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日清・日露戦史の真実 ――『坂の上の雲』と日本人の歴史観 (筑摩選書) 2022/渡辺 延志 (著) なぜ、日本の近代史から長崎事件が消されているのか?

日清・日露戦史の真実 ――『坂の上の雲』と日本人の歴史観 (筑摩選書) 2022/渡辺 延志 (著) なぜ、日本の近代史から長崎事件が消されているのか?
なぜ、日本の近代史から長崎事件が消されているのか?

 

なぜ、日本の近代史から長崎事件が消されているのか?

なぜ、日本の近代史から長崎事件が消されているのか?

 

この本も勿論、長崎事件の「な」の字も出てこない。

「…日本は平和を願ったのだが、好戦的なシナのせいで、やむなく戦争になったと強調すること、失敗した軍事行動は記さないこと、
直接作戦に関することのほかは末尾に付け足しておけばいいーーといった指示である。」

↑と、中塚明も福島の図書館で発見したとする日本陸軍参謀本部の「佐藤文書」なるものを精査して云う。

全てのこの類の本に共通するのは、いきなり唐突に日清戦争開戦から始まり、朝鮮の王宮占拠に触れ、東学党の乱発生、鎮圧辺りに触れ、2万とも3万ともいわれるちょうせんじんの死者に触れ、日本軍やりすぎじゃないのかといった意見を述べる…

大体がこのパターンである。

福沢諭吉が自己資金を提供して、寄付金額たしか2位、他の日本人も挙国一致となったのに、なぜその熱い思いが忘れられているのか?

由々しき問題ではないのか、という問題提起をしたつもりで、去年はてなブログで3本くらい書いたが、驚くほど反響がなかった…(笑)。

 

【長崎事件】清国水兵の暴挙!小戦争と評され日清戦争の原因の一つとなった暴動事件
歴史の物語 チャンネル登録者数 2.51万人
17,259 回視聴 2023/12/30

 

↑素晴らしすぎる!!  是非ともすべての日本人に見て欲しい。

日本の近代はここから始まった。

何度も書いているが、先に殴ってきたのはシナだからな…
あまりにも過少に忘れ去られている。
危険である。

尖閣をめぐるシナの言いぐさ、行動にそっくりである。
何度、殴られてもわからない、バカ人種である。

日清戦争時の総兵力、

日本は24万人に対して清国は98万人。

軍艦は、日本28隻に対して、清国は82隻。

GNPは日本の約10倍!!!

日露戦争も似たようなもんだが、こんな巨大な敵を倒してるもんだから、真珠湾攻撃したくなる気持ちもわかるというもの

 

↑まったく結果をみれば奇跡のような、両国の差である。当時の清国は決して小国ではなかった。

むしろ、この事実を全面に出して子供たちに教えるべきではないだろうか。

↑圧倒的なこの戦力差のまま、8年後、日清戦争でシナを打ち負かしてしまうのだから、ただただ、ひたすら凄いというほかない。

 

日清戦争は、完全にシナから殴ってきたものだ。

シナが殴ってきた →  それすなわち、長崎事件である。

反日バカ左翼のこのテーマの本、30冊ばかり読んでいるが、一つの重大なポイントに気が付いた。

反日バカ左翼は、いつも日清戦争を取り上げる際、けっして「長崎事件」には触れないということ。

長崎事件は全く知られていないが、1886年(明治19)その当時、清帝国と呼ばれた中国の北洋艦隊が突如長崎に来襲し、水兵の大集団が大暴動を起こした侵略事件だ。

長崎事件(長崎清国水兵事件)

1886年8月1日、北洋艦隊の新鋭戦艦「定遠」「鎮遠」と巡洋艦「済遠」「威遠」の4隻が、日本政府には何ら予告なく、無許可で修理のためと称して突然、長崎に入港した。要するに、弱小国、日本を舐め切っていた。

艦名の「遠」は外国を意味し、特に日本を指していました。

「定遠」「鎮遠」は日本鎮定の意味です。

この僚艦はドイツ・フルカン社製で、排水量7,400t、主砲は30cm×4、当時世界第一の大戦艦でした。
その頃、日本海軍は英国アームストロング社製の「浪速」と「高千穂」(3000t)の小艦があるだけでした。

当時の日本海軍は、時の清国主力艦『鎮遠』、『定遠』の2装甲艦にまったく立ち向かうことができない実力であり、戦争など思いもよらないことでした。

8月13日には清国水兵が勝手に上陸を開始しました。

兵力は500人以上。長崎市内をのし回り、商店に押し入って金品を強奪しました。
酒を探して飲み、市民の女性を追いかけるなど、散々に暴れ狂いました。
結局、清国水兵は警察官と衝突。
死者10人、重軽傷者70人以上という大暴動に発展しました。

この長崎事件は当時、日本全国に一大ショックを与え、清国に対する日本人の敵愾心が、烈火のように燃え上がりました。

この事件の背景には、朝鮮問題を巡る日清両国の紛争がありました。

そこで日本を脅かすため、清国海軍が計画的に長崎に殴り込みをかけたのです。

当時の弱小国、日本は歯噛みしながら、なす術もなかったのです。

李鴻章は日本に謝罪するどころか、 日本との戦争も辞さずという強硬な態度を取る。

日本政府はその圧力に屈し、3万7千円の賠償金を払い日本側関係者の処罰まで行う。

これは出来レース、はじめから日本に因縁ふっかけるつもりで連中は日本に来ていた。

なぜこのような理不尽な処理をしたかというと、当時の清国の兵力108万人に対して日本は7万8千人であり、もしこの事件がきっかけで戦争になったら簡単に東京を制圧され、九州を取られていただろうと予測されていた為だ。

事件の後、日本人はプッツン切れた。あのクリスチャンの内村鑑三でさえ、

「文明国として不実のシナに対しては鉄血を以って正義を求めるしかない永久平和の為に戦え」と言ったほど
そして日本は軍備増強を行い、8年後、清国を打ち破るのであった。

この長崎事件を契機として、日本人の防衛思想の根底に、大陸を国防の第一線とする考え方が生まれたのです。

売国サヨクの歴史観にはこの歴史認識(長崎事件)が抜けてる 無垢なる中国に一方的に悪いことした… アホか
売国サヨクの歴史観にはこの歴史認識(長崎事件)が抜けてる 無垢なる中国に一方的に悪いことした… アホか

 

参考文献といえばなんとひとつもなく、
参考論文といっても以下のたった2つしか書かれていないという惨状!!

安岡昭男「明治十九年長崎清国水兵争闘事件」法政大学文学部紀要36、1990年

朝井佐智子「清国北洋艦隊来航とその影響」愛知淑徳大学現代社会研究科研究報告4、2009年

「1891年、明治24年、再び北洋艦隊は今度は横浜へ入港する。
作家・石原慎太郎は正宗白鳥が握り飯を持って横浜港まで北洋艦隊を見物に出かけたことを書いている。

北洋艦隊の来航は日本人にとって、清国に対する意識を大転換させるきっかけとなった未曾有の事件であった。
日清戦争開戦への世論が整う条件として、様々なものが考えられるが、少なくともその一つに北洋艦隊の来航が考えられるのではないだろうか。それ程、当時の日本人に大きな衝撃を与える事件であったのである。」

朝井佐智子「清国北洋艦隊来航とその影響」愛知淑徳大学現代社会研究科研究報告4、2009年。
朝井氏の論考はわずか16ページだが、内容豊富で福沢諭吉や右翼団体・玄洋社への影響など盛りだくさんなので読まれることをすすめる。

 

朴鉄柱(韓国 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)

「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本か
ら仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取
り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル
・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。

“事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、
開戦時の心境であった。それは日本 の武士道の発露であった。

日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。

日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、
アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」

「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民
地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。

戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というの
はクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。

日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、“聖なる戦争”であった。

ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。
二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社
に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」

↑勝ったのは日本だよ  バカ左翼はバカだから、不誠実だから、近視眼だから見えないだけで…

 

大陸打通作戦(1944)と日本乞師(にほんきっし・1645~) 「シナ人に、ちょうせんじん、夜盗(反日バカサヨク)どもに言いたいのはな、日本人を怒らせるな、それだけだ…」

大陸打通作戦(1944)と日本乞師(にほんきっし・1645~) 「シナ人に、ちょうせんじん、夜盗(反日バカサヨク)どもに言いたいのはな、日本人を怒らせるな、それだけだ…」
大陸打通作戦(1944)と日本乞師(にほんきっし・1645~) 「シナ人に、ちょうせんじん、夜盗(反日バカサヨク)どもに言いたいのはな、日本人を怒らせるな、それだけだ…」

 

歴史をさかのぼってみると、似たようなことが起きていたことに気づかされる。

それはかつてのシナの明朝の崩壊と、清朝の台頭である。

日本乞師(にほんきっし)は、明の滅亡後南下してきた清に対抗する南明及びその支持勢力(鄭氏政権など)が日本(江戸幕府)に対して軍事支援を求めた行動。

時の政権 徳川幕府は、三代家光の時代であったが、外国からの援軍要請という初めての事態に衝撃が走った。

この要請を受けるべきか、拒否するべきか、

幕府内を二分する激論が展開された。

尾張、紀伊、水戸など徳川御三家と薩摩藩は賛成し、幕閣の松平定綱や井伊直孝らは反対した。

反対派はその根拠として、かつて、太閤秀吉が明国征服の足掛かりに朝鮮半島に出兵した際、泥沼の戦いとなって、動員された大名家がひどく疲弊したことを挙げた。

その中で、血気盛んな若き将軍家光は、
“隣人の窮地を救うのは正義である”として、出兵に乗り気であった。

幕府による大陸出兵は、ついに行われなかった。

その理由は諸説あるが、南明に勝ち目はないとの情報がもたらされ、

幕府が清国との関係の方を重視したためともいわれている。

 

さいきん福島原発の処理水を、非難するシナ人、ちょうせんじん、夜盗の発言が目立っている。

神の国、日本のやることに逆らうな、私が言えるのはそのことである。

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言ってはいけない中国の真実–橘玲の中国私論 橘 玲 (著) ダイヤモンド社 2015/3/5

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言ってはいけない中国の真実--橘玲の中国私論

 



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