52年まえ、1973年に初出版された名著「「南京大虐殺」のまぼろし 鈴木 明 (著)」を読み返してみた。
何と言っても、南京大虐殺インチキ話あった派からは「まぼろし」派と一括して総称されるほどの問題作だ。
朝日新聞、本多勝一記者の「中国の旅」への反論として書かれたことは間違いない。
いま読むと、この本が、南京をじっさいに見た、そこに居た人たちの最後の本になっていることだ。
東京裁判で、論告求刑に使われたオーストラリア人スパイのティンパーリのことは、今となってみればお笑い草だが、何人もの日本人がこの彼の見てきたようなウソ証言で死刑になっているので日本人としては重い気持ちになる。
当時、世田谷区で健在だったというじっさいにティンパーリのことを知っているという日高さん(元・南京総領事!!)にインタヴューしているのは凄い。
エドガー・スノーというアメリカ人ルポライターがいた。
「中国の赤い星」(筑摩書房)という毛沢東礼賛の愚かな本を書いた人物である。
その中国人大好きなバカサヨクのエドガー・スノーがティンパーリの南京大虐殺インチキウソ話本を取り上げて、日本と日本軍を批判している。
ティンパーリの見てきたような南京大虐殺インチキウソ話が、エドガー・スノーという権威を得て、燎原の火のように広まるのがわかる。
もはや、日本人としては処置なしというところだろう。
日本人差別主義者、エドガースノー 許せん!!
バーバラ・ストライサンドという女優兼歌手のことは知っているだろう。
むかし近所に住んでた元外務省の官僚でアメリカ領事館にも勤務していた、お爺さんの話が面白かった。
日本領事館は催し物をするので、バーバラ・ストライサンドに声をかけたそうだ。
ところが彼女、中国大使館の申し出には快く応じて何度も中国大使館に行っているのに、日本大使館の申し出には断ってきたとのこと。
どうやら、彼女、日本が嫌いで、中国が好きだったみたいだ。
アメリカ東海岸のユダヤ人、知識人にはそういう人が多いと外務省のお爺さんは述壊されていた。
キッシンジャーなんかは典型的なアメリカユダヤ東海岸知識人、日本人差別主義者だ。
大天才トランプ大統領の指桑罵槐(しそうばかい) 味方に対して行う計略だとされている。これは信じられないかもしれないが、目的はユダヤ人教官の一掃だな

サヨク性向の強いアメリカの大学に対して、苦々しく思ってきたのはトランプ大統領だけではない。私も同じことを感じてきた(笑)
アメリカの大学の教官の7割はユダヤ人だ。
極めてサヨク性向の強い連中だ。
反日ユダヤキチガイアメリカ民主党政権のダイナモでもある。
従軍慰安婦とか南京大虐殺インチキウソホラ話とかの大うそを根拠に日本に反省を迫ってくるのも毎度毎度この連中である。
トランプ大統領が狙ってるのは、ズバリ、そういうユダヤ人教官の一掃であると思う。
●以下の証言者・記者・作家の発言及び記述は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。
・ 東史郎…一番有名な捏造者。原本が存在しない創作をバラまいた。中国じゃ未だに真実扱い
・ 中山重夫…段列兵の立場で虐殺目撃談を語ったがそもそも現場に居合わせるのは不可能だったことが判明
・ 富永博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明
・ 舟橋照吉…東の懺悔屋成功に載せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するというカッコつけかました仮想戦記な内容であっさり×
・ 曾根一夫…野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵で下士官だと経歴と日記を捏造。やっぱり経歴を
調べられて嘘と判明。懺悔屋の代表格で、あの秦教授も騙された
・ 田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。
後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状
・ 太田壽男…死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記(捏造物の数々と違って原本確認できる)
により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった
・ 富沢孝夫…海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」
と証言(だから逆説的に虐殺があったという主張)。だが陸軍の暗号を海軍の知識しかない彼が解読
するのは不可能で、おまけに証言日時には松井司令官は蘇州で入院していた
・ 上羽武一郎…「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言。しかし彼は「(後方で担架運びの)衛生兵」でしかもそんな命令が出たという史料は一切無し
↑南京虐殺インチキうそばなし ↑すべてがこのレベル 恥ずかしいよね 英霊に申し訳ないよ
アイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』にも引用されている田所耕三という人物は、南京陥落後約10日間にわたって、殺人と強姦を行ったと述べています(『アサヒ芸能』昭和四十六年一月二十八日号)。
ところが、竹本忠雄教授(筑波大学)、大原康男教授(国学院大学)によれば、彼の所属する部隊は陥落2日後の12月15日には南京から転進していて、この人物が10日間も南京に残留したはずがありません。実際彼自身、のちに取材に応じて
「記者が何かおもしろいことはないかと聞いてきたので、あることないことを喋ったんだ」と、この発言自体の信憑性を否定しています。
また曽根一夫という人物は「手記」を出版し、そのなかで南京戦と南京陥落後の虐殺事件の実行と、目撃談を書いている
(『続・私記南京虐殺』など)。しかし、この人物は手記のなかで自らを歩兵の分隊長と称しているが、実際は砲兵の初年兵でした。また、入城式には彼の属する部隊の一部が参加しただけで、部隊そのものは南京城内に入ってもいません。
従って、彼が書いているような虐殺を南京やその近郊で見ることも実行することも不可能であったのです。
南京戦中、行動をともにした戦友もそうした虐殺行為を目撃・実行することはあり得ないと証言しています。
つまり、曽根の「手記」そのものがまったくの創作だったのです。
↑孤独な老人のもとへ、何か聞かせてくれとバカマスゴミが殺到すれば、ありもしないことをホイホイ喋ってしまうんだろうな…
朝日新聞との闘い・われらの場合
都城23連隊の戦史を汚すことは断じて許さぬ
吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)
「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号より転載
↑これもひどい話… 誰が書いたか分からないウソ日記をもとに「南京大虐殺」を捏造したひどい新聞社の話
南京大虐殺と南京事件を区別すべき
以上みてきたように、南京での「30万人大虐殺」はなかったのです。20万、あるいは千単位の虐殺もありません。
けれども、一方では、じつは民間人の服を着て南京安全区に逃げ込んでいた中国兵たちが犯した事件も非常に多かったのです。
彼らは事件の加害者が日本兵だったと見せかけたり、被害者を脅迫して、加害者は日本兵だったと言わせたりしました。それで加害者が日本兵だったと思い込んだ人々(国際委員会の欧米人など)は、日本軍の残虐を声高に叫んだのです。これが、のちに大きく膨らんで、「南京大虐殺」というウソへと発展していきました。
もし、こうした中国兵や日本兵らが南京で犯した強姦や略奪等を「南京事件」と呼ぶとすれば、たしかに「南京事件」はありました。
中国兵らによる悪事の数々
南京戦に参加した日本兵らの証言によれば、南京をはじめその周囲で悪事を積み重ねていたのは、日本兵ではなく、むしろ中国兵のほうでした。中国軍がどんな性質のものだったかについて、南京に向かっていたある日本兵はこう記しています。
「(通りかかった)この町には、かつて蒋介石の大軍がたむろしていたのですが、空陸一体の皇軍の進撃に、敵はもろくも敗退したのです。城内の住民は食糧は申すまでもなく、家財道具もことごとく支那軍のために強奪され、男はみな壕掘りに、連日連夜酷使されたということでした。このような国の民こそ全く可哀相でなりません」(歩兵第47連隊:大分 第1大隊第2中隊 歩兵伍長 H・G)(『1937南京攻略戦の真実』p.200)
また梶村 止(かじむら・いたる)少尉は、南京戦に参加したのち、南京から上海方面に移動しました。
1938(昭和13)年1月15日の彼の日記によると、上海付近に駐屯していたとき、近くの村人が中国兵に襲われ、梶村少尉の隊に救いを求めてきました。
しかし村人に案内され、梶村少尉一行30余名が現場に急行したときは、敵の40~50名が逃走したあとでした。
梶村少尉はこう記しています。「自国の兵隊の悪事を、自国民の敵軍に報告。討伐を願うという矛盾が、とりもなおさず支那軍隊がいかなるものであるか、この一時にて判断できる」。また梶村少尉らが村を立ち去るとき、村人らは「非常に名残を惜しんでくれた」と書いています。(同p.188)
アメリカのティルマン・ダーディン記者は、南京で日本軍を迎え撃つ中国軍の様子を、こう書いています。
「中国軍による焼き払いの狂宴(12月7日以降)…南京へ向けて15マイルにわたる農村地区では、ほとんどすべての建物に火がつけられた。村ぐるみ焼き払われたのである。中山陵園内の兵舎・邸宅や、近代化学戦学校、農業研究実験室、警察学校、その他多数の施設が灰塵に帰した。…この中国軍による焼き払いによる物質的損害を計算すれば、優に2000万ドルから3000万ドルにのぼった。これは、南京攻略に先立って何ヶ月間も行われた日本軍の空襲による損害よりも大きい」(ニューヨークタイムズ)。
福岡日日新聞の三苫(みとま)幹之介記者は、南京に入ったのち、安全区にいる中国人夫妻にインタビューを行ない、記事にしました。以下はその抜粋です。
「記者 日本軍がやって来たとき、君たちはどこに何をしていたか。
黄 私たち夫婦は、国際委員会で設定された南京城内西北の山西路からズッと入った難民区にいました。
……中央軍の支那兵が銃創を持って夜となく昼となく代わる代わるやって来て難民を検察し、食糧や物品を強奪し、お金と見れば一銭でも二銭でも巻き上げていきました。最も恐がられたのは拉夫、拉婦(拉致されること)で、
独身の男は労役に使うため盛んに拉致されていき、夜は姑娘が拉致されていきました。中央軍の支那兵の横暴は全く眼に余るものがありました」
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南京「大虐殺」被害証言の検証: 技術屋が解明した虚構の構造 2012/9/1川野 元雄 (著)展転社
Version 1.0.0
寺岡伸章
5つ星のうち5.0 本多勝一朝日新聞記者、敗北す 2012年11月24日
中国が南京大虐殺を問題視するようになったきっかけは、朝日新聞記者の本多勝一氏が1970年代初頭、中国での取材を朝日新聞に連載し、『南京への道』を書いてからである。
中国での取材は当然だが、すべて中国共産党の手配によってなされている。
本多氏は南京大虐殺の被害者と目される方々の証言を基に、取材を取りまとめているが、本書はその証言を冷静に検証したものである。
なお、先に述べておくが、著者の川野元雄氏は日本の大企業で基礎研究に従事し定年退職した後に、南京虐殺問題に取り組んでいるため、本件について利害関係がない。過去のしがらみがなく、中立な立場での検証が可能なのである。
結論は、本多勝一氏が中国の現地で集めた南京大虐殺の代表的な証言集において、「中国当局お墨付き」の29証言の中で、日本軍による住民虐殺を矛盾なく裏付けるものは一つもなかったのである。
さらに、日本軍を中国軍(国民党軍)に替え、時間軸を日本軍上陸時から清掃(焦土)作戦開始時に移すと、証言内容と客観的状況との矛盾はなくなる。
国民党軍が清掃作戦を行ったのは、日本軍の進撃を遅らせるためであったと推察される。
実際に、大量の収穫期の稲やモミが焼かれているのは、日本軍に食糧を得させないためであった。
中国共産党は国民党軍が行ったことを日本軍の行為に見立て、その被害者を30万人まで誇張したのである。
「真実を自分の都合に合わせてどうにでも変える」のは中国の一貫した態度であるが、ここでも遺憾なく発揮されている。
南京大虐殺があったと日本で広く信じられているのは、中国共産党の宣伝が功を奏したと言えるが、日本国内にもそれを受け入れ、信じ込ませる「反日」の勢力が存在したからである。彼らは呼応しながら、日本の主権を犯し、日本人の誇りを貶めて来たのである。
我々はそろそろ目を覚ますべきである。そのための貴重な一冊である。
↑この本の最大の読みどころは、「阻害気球」の存在を暴いたところ…
日本軍機の爆撃を妨害するために、中国国民党軍が上げた「阻害気球」
制空権を有する日本軍が、日本軍機にとって邪魔で危険な気球を爆撃の目印に上げることはあり得ない。
中国共産党は国民党軍が行ったことを日本軍の行為に見立て、その被害者を30万人まで誇張したのである。
「真実を自分の都合に合わせてどうにでも変える」のは中国の一貫した態度であるが、ここでも遺憾なく発揮されている。
↑この著者は、第2次上海事変終了から、南京占領までの日本軍の動きを克明に時系列で観察したという。その結果、あり得ない時期に、あり得ない場所に、日本軍がいたことになっていて、それを元に本多勝一記者に「虐殺」が取り上げられたことを完膚なきまでに暴いている。
★ 三光作戦とは、国民党軍や中共軍の得意技
自分がやったことを日本軍のせいにしてるシナ人および反日バカ左翼、
堅壁清野 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%85%E5%A3%81%E6%B8%85%E9%87%8E
堅壁清野(けんぺきせいや)は、焦土作戦の一種。中国では古来からの戦法とされ、
古くは『後漢紀』巻四にも現れるが、特に日中戦争(支那事変)期に中国国民党軍
によって行われたものを指すことが多い。
城壁に囲まれた市街地内に人員を集中させ(堅壁)、
城外は徹底して焦土化する(清野)ことで、進攻してきた敵軍は何も接収できないようにして疲弊させ、持久戦を有利に運ぶ狙いで行われる。
日中戦争時には、国民党軍は日本軍・中国共産党軍の双方に対しこの作戦を取った。
焦土化の対象は、軍事施設や食糧倉庫のみならず田畑や民家にまで及んだ。
南京攻略戦の際、国民党軍により南京城外の周囲15マイル(およそ24km)が焦土化された。
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三光作戦は堅壁清野作戦を日本軍の仕業として中国側が報道したものだ。
現地に居たアメリカ人宣教師ミニー・ヴォートリンの日記にも焦土作戦・漢奸狩りの様子が書かれている。
>12月4日、AP特派員によると市の東方の多数の樹木が中国軍に伐採され、東門から湯山にかけては殆ど無人村となっている。
>12月6日、中国軍は焦土作戦をやって村人を南京城内や北方に追い遣り、村を焼き払っている為、
包容は総て無人村状態となり、明孝陵への道路沿いの樹木は伐採された。
>12月7日、蒋介石達は午前4時に南京脱出。7時に下関方角から謎の砲声がした。難民が中国警察から立退きを命じられ、南門から安全区に入る。逆らえば家を焼払われ、スパイとみなされる。軍の作戦で孝陵衛が放火され、国営公園で樹木が多数伐採された。
>12月8日夜、初めての避難民受入。多くは南門付近や市の南東部の人達。中国軍からの即時立退き命令に従わなければ、反逆者として銃殺され、計画を妨害すれば家が焼き払われる事もあるらしいと、女史は心を痛める。
>12月9日、中国軍の清野作戦で、午後は北西以外の方角から煙が立ち昇り、南西隅の空全体を炎が照らしている。
AP特派員が中国兵がガソリンを掛けて家に放火していたのを目撃。
↑チャンコロがじぶんでやったことを日本軍のせいにしてるんだよw
↑チャンコロがじぶんでやったことを日本軍のせいにしてるんだよw
「もしかして、この人、南京大虐殺なんか信じてる??」 GHQは日本人の戦争観を変えたか 「ウォー・ギルト」をめぐる攻防 (光文社新書) 2022/賀茂 道子 (著)

再検証 南京で本当は何が起こったのか 阿羅 健一 (著) 327ページ: 徳間書店 (2007/10)
Version 1.0.0
↑本多勝一が南京虐殺インチキウソばなしの連載はじめたとき、OBがかなり猛抗議したみたい
じっさいに日本軍に張り付いて南京でいっしょに生で現場を見てるOBが でも無視 当時の広岡社長? だから、ここから、日中友好で、ウソでも創作でもいいから中国様の機嫌を取ろうという方針になったんだよ
●「虐殺?全然見たことも聞いたこともありません。夜は皆集まりますが、そんな話は一度も聞いたことはない。誰もそういうことを言ったこともないし、朝日新聞では話題になったこともありません。
難民区は兵隊や憲兵がいて入れませんでした。 ですから市民は安全でした。一般市民の屍体というのは一つも見ていません。紅卍字会の人が戦死体をかたづけたりしていました。」 (山本治氏 大阪朝日新聞記者)
●「南京事件ねえ、全然聞いてない。もしあったとすれば、記者の中で話が出るはずだ。記者というのは、少しでも話題になりそうなことは、互いに話をするし、それが仕事ですからねえ。
噂としても、聞いたことがない。朝日では、現地記者を集め、座談会もやったが、あったなら話がでるはずだ。報道規制?何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いていた。」
(橋本登美三郎氏 朝日新聞南京派遣記者団キャップ)
●「私が編集局長の時、南京に特派した記者たちを集めて、一人一人 聞いてみたが、そのようなことは見たことも聞いたこともない、という返事ばかりだ。何万、何十万なんていう虐殺など、絶対にない。」
(細川隆元氏 朝日新聞編集局長)
林芙美子が見た大東亜戦争 ―『放浪記』の作家は、なぜ「南京大虐殺」を書かなかったのか 2019/宮田 俊行 (著)ハート出版

その1年後の漢口攻略戦で従軍した際には、捕まえた中国兵を処刑するシーンや城内に死体が散乱する描写もあった。
陸軍派遣という制約の中で、日本軍に不利なことまで書いている。
それに対し、南京戦は民間の新聞社派遣で、より自由であり、しかも、当時の新聞の中で最も戦意を煽っていた東京日日・大阪毎日新聞の派遣だった。
芙美子は虐殺があったのに書かなかったのではない。
南京で大虐殺などなかったのだと、宮田氏は断言する。
南京大虐殺インチキウソ話全面批判!榛葉英治 小説「城壁1964年 2020年再出版」をめぐる諸問題。

一枚の写真が社会党の田辺のアホのチクリとバカちょうせん自治労、バカ連合らの献金で出来上がった南京大虐殺インチキ記念館にある
写真の説明書きはこうだ
『日本軍が数千人もの女性を捕らえ、彼らの多くは慰安婦にされた』
しかしこの写真は南京大虐殺があったとされる1ヶ月も前の、1937年11月10日週間アサヒグラフ
(日本発行)に載せられた写真なのである
この写真の説明には、『日本軍に守られ畑仕事から帰宅する女性達』と書かれている
↑しかもこの写真、だれからまもってるかといえば、共産匪賊から !!!!!!(爆笑)
アサヒグラフ1937年11月10日号より 『烟なほ烟る揚子江附近の片隅に、
我が軍の庇護によつて平和に歸つた 二つの部落がある』
宝山県盛家橋 『我が兵に護られて野良仕事より部落へかえる
日の丸部落の女子供たち』 同紙から当時つけられていたキャプション
南京事件関係の写真の真偽を検証する本を見ていたら、面白い話が出てた。
反日謝罪活動をしている、元日本兵中国帰還者連絡会(中帰連)の本に
掲載されていた、南京の建物の前に並んで写る、足を切断し、松葉杖を
ついた中国兵10名ほどの写真。いっしょに腕章をした日本兵も並んで写っている。
中帰連の解説では「日本軍に足を切断され、逃げられなくされた中国兵」。
ところが、この写真の原板が新聞社で見つかり、写真にしたところ驚くべきことが・・・・
写真の中国兵の背後の建物には大きく「衛生隊」の文字があったのに、
中帰連の本ではこの「衛生隊」の文字が意図的に消されていたのだ。
実際は、「日本軍衛生隊」に治療を受ける中国兵だったわけだ。これが中帰連の正体というわけだ。
↑南京虐殺インチキばなし ↑すべてがこのレベル 言いふらしてるキチガイの名前をメモっとけ
反日を飯のタネにしてる卑しいヤカラを許すな !!!
47 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@転載は禁止:2015/11/19(木) 15:58:16.58 id:YccjqiLt>>37
昭和42年毎日新聞社刊の「日本の戦歴」に出てますね。写真の右上のほうに「衛生隊」と大きく書いてある。