雑誌「迷宮」1977に載ったイギリス人ジェームス・ウェッブの原題・オカルト体制、この大部の論考(2段組みで60ページ余りもある)を読んでいて、いろんなことを考えた。
ナチスのオカルト的側面を書いた本は多いが、本論考はその最高峰だろう。感服しました。
ヒトラーが政権を取っていたのはわずか12年というのが驚きだが、彼らの政権奪取の背景には、オカルト主義とでもいうべきもう一つの西洋思想が確かにあったことがわかる。
ドイツ週刊ニュース 松岡外相のベルリン訪問【日独同盟】 日本語字幕
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この挙手・敬礼が圧倒的にかっこいい。
だがこれはナチスが始めたものではなく、ローマ風の挙手・敬礼だという。
1925年。ミュンヘン一揆に失敗して収監されたランツベルグ刑務所から出所するアドルフ・ヒトラー 当時35歳
今更だけど、アドルフ・ヒトラーはカッコいい。ひたすら、決まってる… 何が良いと一概に言えない点がいい(笑)
談笑するヒトラー。ひたすら、カッコいい… ひいき目か(笑)
以下、私の秘蔵の写真を公開して、アドルフ・ヒトラー写真館となる(笑)。
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ドイツにヒトラーがいたとき 1984/9/1篠原 正瑛 (著)誠文堂新光社
↑日本人哲学者が書いた心に沁みる一冊。
小出和彦
5つ星のうち5.0 ドイツにヒトラーがいたとき
2012年10月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
45年前に作者のお宅に伺いました。ドイツの好きな方でメルクリンの実動の鉄道模型で部屋が一杯でした。
正直な人で…卑怯な行動をするタイプの人ではなかったです。
いわゆる、今…たくさん居る害虫みたいな卑怯な『進歩的文化人』とは彼は全く違います。
だいたい…実際にヒトラードイツにその時に、住んでいた人ですし…ヒトラーユーゲントの子供達の教師だったんですから。
篠原さんは、1945年の春、ドイツのその小学校で教師をしていて彼のドイツ人の生徒が自動小銃と対戦車無反動砲を持ってこれから東の戦場に向うから『先生ここでお別れします。』と東部戦線に向かった話を僕にしました。その人がベ平連なんて…驚いちゃったです。
とにかくこの本を読んでみて下さい。良く書けています。
ヨーロッパで開戦してからドイツに留学を強行した哲学を学ぶ学生だった篠原氏。
イエナでは東條英機が留学していた家主の家に住んでいたこと、ユダヤ人歯科医との交流、ベルリンだけでなく東プロセインのケーニスベルクの滞在記などのエピソードがある。
あまり知られていないが、枢軸国が勝った際には、
日独の学校教育から英語を廃止して、日本ではドイツ語、ドイツでは日本語を必修にする計画があった。そのモデル校の講師に、篠原氏が抜擢される。
歴史書では味わえない、日本人留学生が見たナチスドイツ、ぜひ一読してほしい。
現在の人類学において、ナチスの影響というのは強く残っている。それは「人種」がなぜ、できたかを解明しようという動きが全く消え去っているからだ。これなど明らかにナチスドイツの影響である。
嘘だらけのヨーロッパ製世界史 2007/岸田 秀 (著) 新書館 人類文明の母としてのアフリカ
「黒人→白人→黄色人」(高野信夫 ←浜松日赤病院の皮膚科の医者 この著作はここがミソ) 三一書房 1977
白人の出現は、黒人からの突然変異で説明できる。
黒人の両親から白子(アルビノ)とよばれる色素を作る能力を欠いた子どもが生まれることがある。
この白子が迫害され、白子だけで群れを作ったのが白人の始まりだ。
この絶対に認めたくない事実を突きつけられた白人は、白子の研究から一斉に手を引いた。
そして、「人類は肌の色に関係なく、みな同じだ、だから白子の研究をする人間は頭がおかしいか、とんでもない差別主義者だ」という風潮を作りあげようと躍起になっているらしい。
検証 ナチスは「良いこと」もしたのか? (岩波ブックレット) Kindle版小野寺 拓也 (著), 田野 大輔 (著)